23.ダンジョンの恐怖


 ◆


 こつ。こつ。という靴音が壁に反響してやたらにうるさく響く。

 手すりのない階段を私は両手で剣の柄を握ったまま降りてゆく。

 空気はひんやりとしていて、そして湿っている。

 ぽつ、ぽつ、という水滴の垂れる音はどこから聞こえてくるのだろう。

 階段を降りた先にあったものは上階のリビングルームと同じぐらいの広さの石造りの部屋だった。西原さんか、あるいは私がランダムな場所に移動することはなく、同じ部屋に辿り着いた。

 どうやってマンションの地下にこれほどの空間を用意したのだろう、想像していたよりも天井は高い。百八十センチメートルほどの身長がある西原さんでも頭一つ分ぐらいの余裕がある。部屋の四隅には他の部屋に通じているのであろう通路があったが、人が一人通るぐらいのスペースしかない。

 本当にパパが遊んでいたゲームみたいな構造をしているんだな、と思った。


「……人が死んでいればなんでも事故物件なんですよね、例えば観光地の城とかでも当時のままのものなら、広義の意味では事故物件と呼べますし……ただ、それはそれとして、やはりこの地下迷宮に来ると、事故物件という存在について深く考えさせられますね……」

「……私は最初に出会ったのが、殺戮ロボに変形するタワーマンションでしたので、それよりはマシだなと思っています」

「……多分感覚おかしくなってますよ」

 光源のようなものは周囲に見当たらない。

 その割に、西原さんの姿やこの部屋の中の様子はよく見えた。

 少なくとも、この部屋の中にアイテムは落ちていないし、敵もいない。下り階段もない。


「……えっ」

 そして振り返った瞬間、気づく。

 上階に続く上り階段が消えている。

 勿論、言われていたことだ。わかっている――わかってはいるが、実際確認してみるとぎょっとする。


「上がり階段もランダムに再配置されます……戻りたいと思ったら、頑張って探していくしかないですね」

「……進むのも大変そうですが、戻るのも大変みたいですね」

 現在確認されている最深部は十階のようだが、もっと深いのかもしれないし――あるいは、このランダムダンジョンに果てなどなく、無限に続いていくのかもしれない。あるいは西原さんが出会わなかっただけで、なにかこの事故物件の原因となっている誰か、あるいは何かが途中にあって、それを見つけることが出来れば……少なくとも、私の方の目的は達成することが出来るのかもしれない。


「とりあえず……」

 私は一旦、剣を左手に持ち替えて、スマートフォンを取り出す。おそらくそうだろうとは思っていたが、電波は通じていない。最もこんな場所ではGPSも役に立たなかっただろう。ただ、電源自体は入るのだ。いざという時のライトとしては役に立ってもらおう。


 通路は四つ、地下空間の広さがわからない以上、ある方角の通路は行き止まりになっている――なんてこともわからない、そもそもコンパスを持っていないから方角もわからない。

 通路は暗闇に覆われていて、ただ横方向に空いているだけの穴のようにも思えた。

 室内の存在しない光源は通路の中までは照らしてくれないらしい。


「……その剣でも倒してどっちに進むか決めます?」

「右で良いと思います」

「根拠は?」

「勘です」

「成程」


 とりあえず、私達は下り階段を求めて私から見て右側の通路へと進み始めた。

 わかっていたことであるが、暗い。

 私はスマートフォンのライトをかざした。

 だが、明かりは闇に飲み込まれていくばかりで――視界をちっとも広げてはくれない。

 それでも奇妙なことに、自分たちの手の届く範囲にあるものぐらいは理解することが出来た。

 通路は奇妙に折れ曲がって、右に歩かせたり、左に歩かせたり、人のために通路があるというよりも、通路のために人が歩かされているように思う。


「……通路の暗闇に明かりって役に立たないんですね」

 西原さんが嘆息して言った。

「試してなかったんですか?」

「俺、スマートフォンは持っていないんですよ……連絡する必要のある人間も、繋がりたい人間もいませんからね」

 だから、事故物件で他人を害することが出来るのだろうか。

 繋がりたいと思えるような人間がいれば、彼は事故物件一級建築士なんてやらないのだろうか。

 タワーマンションの事故物件一級建築士のことを思い出す。

 どこまで真実を語っていたのかはわからない、けれど彼は普通の家族がいて、普通の出会いがあったらしい。彼はそれを全部切り捨てることが出来てしまう人間だった。それに相応しい憎しみがあったなら良かったというわけではない、それに相応しい悲しみがあったなら良かったというわけでもない。けれど、理不尽だ。ただそれが出来てしまうというだけの人間に、私の家族は殺された。

 

「なんで、事故物件なんて作っているんですか?」

 一瞬だけ躊躇して、しかし私ははっきりと声に出して尋ねた。

「……悲劇には道理が通っていて欲しいですよね」

 私を先導する西原さんは振り向くことなく、ただ私に背を向けたまま答える。


「何らかの悲劇が起こって、事故物件一級建築士という怪物が誕生し、彼らはあちこちに住むどころか、立ち入ることすら危険な事故物件を建築している……怪物にはその誕生に相応しいような悲惨な過去があり、その犠牲になるのは彼らのルールを破ってしまったから……けど、他の人がどうかは知りませんけれど、俺は楽しいから事故物件を作っていますし、誰かが住んでいる家に押し入って無理矢理に事故物件に仕立て上げることもありますよ」


 ひょろりとした頼りなさげな背中だった。

 俵さんほど大きくはなく、厚みもない。頼りにはならないけれど、少なくとも持っている剣はよく刺さりそうだ。

 私の殺意を察したのか、あるいは単純に私の顔を見るためか。

 そのタイミングで西原さんが振り返った。

 悪意など微塵も伺わせない顔だ、眉を曇らして困っているようにすら見える。


「ただ、俺の性根がクソなのはしょうがないんですけど……事故物件一級建築士っていうのは知っちゃった存在なんですよ、人生のすべてがどうでもよくなってしまうようなものを。あー、俺もう、普通の幸せって良いかな、ってなってしまうようなものを」

 西原さんの言葉は僅かに震えていた。

 それは恐怖なのか、あるいは歓喜なのだろうか。


「それって……?」

 その答えを聞いたところで私は納得したりはしないだろう。

 それでも聞きたいと思った。

 その知ってしまったものとやらがなければ、西原さんもタワーマンションの事故物件一級建築士も、事故物件を作ることなんて無かったのだろうか。

 悲劇など起きなかったのだろうか。


「あー……すみません……」

 私の前方――西原さんを挟んだ通路の先から、きい、という鳴き声が聞こえた。

 西原さんは私に向けていた視線を通路の先に戻し、走り始めた。

 私もそれを追って走り始める。

 最初の部屋を出て、どう考えてもマンションの敷地の外に出ただろう、それほどの距離を歩いて、私達は次の部屋に辿り着いた。


「……この話は一旦、置いておきましょう」

 新たな部屋、その入口に西原さんが立ち、ちょうど、その反対。

 部屋の壁を背に三匹のゴブリンがいた。

 そして私は西原さんが邪魔で部屋の中に入れない。ただ通路の中から部屋の様子を伺うだけだ。

 

 緑肌の子鬼はどこかデフォルメが効いていて、実際に存在する生物というよりかはゲームに登場するモンスターが、ゲームの中からそのまま抜け出してきたかのようだ。体躯はそれこそ人間の園児と同じか、それよりも小さいぐらいだろうか。おそらくは一メートルぐらいしかないのだろう。

 けれど、その手には石でできた棍棒が握られている。

 少なくとも、私を殺すには十分過ぎるぐらいの武器だ。

 きいきいと鳴きながら、彼らは立ち止まっている私達を睨むように見ている。


 西原さんは動かない。

 そして、私も動けない。

 様子を見ているのか、ゴブリンも動かない。


 一分ほどの沈黙の後に、西原さんが言った。


「ターン制行動って知っていますか?」

「……いえ」

「あのゴブリン達、私達が動かないと動けないんですよ」

 西原さんが部屋の中に一歩踏み入れると同時に、ゴブリンたちもまた西原さんに向けて歩を進めた。


「もっとも――」

 瞬間、私の目から西原さんの姿が消えた。

 目にも止まらない速さじゃない――目にも映らない速さなのだろうか、もしかしたら瞬間移動をしているのかもしれない。私は彼らに何が出来るか、その限界を知らない。そのようなことが出来てもおかしくはない。

 ゴブリンたちとの距離は一瞬にして詰められていた。

 ターン制行動と言ったが、ゴブリン達に次の行動はなかった。

 中段回し蹴り――やはり、私の目に西原さんの足の動きが止まることはなかったが、少なくともそれをしたのだ――ということは理解することが出来た。

 一、二、三。

 バターを割くかのように、ゴブリンの首が切断され、頭部が宙を待った。

 回し蹴りというよりも、足の形をした斧が彼らの首に振るわれたようだった。


 首が吹き飛ぶと同時に、彼らの胴体が消え――そして、頭部もまた消滅した。


「俺が動いたら、彼らは動けないんですけどね……」


【つづく】

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