18.貴方の家へ
◆
事件から一週間が経った今も、世間の話題の中心はタワーマンションが人型に変形して大暴れした件だ。タワーマンションほどの質量を変形させるだけでもフィクションの絵空事であるというのに、それが動いたというのだ。その動力源は未だに発見されていないし、調査の結果、そもそもタワーマンションは人型になったというだけで、それを動かすためのあらゆる仕組みが存在しなかったらしい。糸の存在しない操り人形が一人でに動いて華麗な曲芸を披露したようなものだ、奇跡か妄想としか言う他にない。
しかし、奇跡というには証拠があまりにも多すぎた。
未だに破壊の跡は色濃く残り、その破壊を近場で見ていた人間もいる。なにより一般人からテレビマン、迷惑系動画配信者までがそのタワーマンションを撮影していた。タワーマンションが二本足で立ち上がって破壊の限りを尽くすことと、そういう妄想を見知らぬ数多の他人が全く同じタイミングで共有し、その妄想の証拠となるフェイク動画まで用意していること、後者の方が説明をつけやすいような気がするが、前者の方が世間的には優勢だ。タワーマンションが動き出した理由は今の科学ではまだわからないだけで説明がつかないだけの話かもしれないけれど、タワーマンションが動いたとしか思えないような破壊の跡があって、そんな幻覚を見た人間が多数いて、テレビ局も含めてそんなフェイク動画を用意した、そんな一生かかっても理解できないような物事の方が世間としては恐ろしいみたいだ。
真実を語る人間はいない。私だって世間を安心させるために、『入居者の終の棲家になるタワー』の秘密を明かしたりはしない。あのタワーマンションは事故物件一級建築士が作ったもので、大量の悪霊が一致団結してあのタワーマンションを物理的に動かしていて、そして操縦手である事故物件一級建築士は死んだから、あのタワーマンションに関して心配することはなにもないのだ……そんなことを言ったところで、誰も安心したりはしない。近しい人ならば私という心配事を一つ増やすだけの結果に終わる。
結局、誰も何が起こっているかわからないまま、不安を心の底に押し込めて日常は続いていく。東京はどうだかわからないけれど、静岡にある私の勤め先は特に休みにはならなかったし、スーパーで特別に何かが品切れになるということもなく、私はいつも通りに閉店ギリギリにスーパーに寄って、半額の惣菜とカット野菜セットを買うような生活を続けていた。
いつも通りのフリをして過ぎてゆく日々の中で、私は俵さんについて調べ……そして今日、とあるマンションの一階に向かうことになった。
俵さんと同じ名前の子供とその母親が一家心中をしたという記事に具体的な住所は載っていないけれど、東京都内のどこで起こった事件なのか、それぐらいはわかる。あとは俵さんから聞いたマンションの一階、103号室という情報と、インターネットの事故物件サイトの情報を合わせれば、俵さん……らしき子供が死んだマンションの場所を突き止めることは出来る。
不動産のサイトを見た。
事件から十年以上経った今も、103号室は空き室でその家賃は安かった。私の住んでいるマンションの半額以下の値段だ。家具も以前の住人が使っていたものが利用できて、型の古い家電までついているらしい。心中事件からどれだけの住民がこの部屋から去っていったのか。もしかしたら誰一人としてこの部屋に住もうとは思わなかったのかもしれない。いずれにせよ、入居者はいないらしい。
気づけば不動産会社に内見の予約を入れていた。実際にそこに住もうという気は無いが、毎月の家賃は私の貯金からでも無理なく払うことが出来そうだ。パパもママも死んで、上司にも理由を説明するのが難しいから保証人をどうするかは難しそうだが、そこはもう現地でなんとかするしかないだろう。
あの心中で死んだ少年が俵さんでも、あるいはあの心中で死んだ少年を、私が俵さんと呼んだ人が騙っているだけでも、俵さんが私のことを助けてくれたのは事実であり、そして……そのマンションが無関係ということは無い、と思う。
もっとも、十年以上も前のことだ。そこに行ったところで何も無いかもしれない。あったところで、自分になにか出来るわけでもない。何も得ることが出来ないというのが最上の結果で、無駄に恩人の傷口を抉るだけの結果に終わるかもしれない。
それでも真実を知りたい。
俵さんのことを知って、それで……私に出来る何かがあるのならば、私のことを助けてくれた俵さんのことを助けてあげたいと思う。
私に生きてくれ、と俵さんは言った。
そうすれば、ちょっとは救われると俵さんは言った。
本当は、その言葉の枠から一ミリもはみ出ないように、今までのように命の危機とは無関係な平穏な日々を過ごすことが一番の正解なのだろう。
後悔は消えない。
私は余計な領分に手を出して後悔するかもしれない。けれど、手を出さなかったことによる後悔を私は知っている。生きている内にパパとママに会うべきだったのだ、私は。何もかもが終わった後の家に向かって、結局、私が家に帰った時のような後悔を繰り返すだけの結果に終わるのかもしれない。けれど、私は向かう。あの家へ。俵さんの家へ。
「いってきます」
誰に言うともなくそう言って、朝早く、私は家を飛び出して駅に向かった。
曇天の空、海の底から見上げているような空の深い青色、太陽が出ているだけの夜のような青い世界を私は進む。
◆
アメリカ合衆国、カリフォルニア州の郊外、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスⅡにて一人の男が死んでいた。
名はマイケル、大天使を由来とするその名前が男の本名であるかはわからない。
男は事故物件一級建築士――死者の魂すら逃すことのない牢獄を作るものであり、人間社会に存在するありとあらゆる喜びよりも、その社会を破壊することに喜びを見出す存在であった。日本の事故物件一級建築士がただ事故物件一級建築士と名乗ったように、社会制度上の名前など彼らにとってはどうでもいいことだったのである。
彼の操る武器であり、彼を守る盾であるはずの事故物件、『ウィンチェスター・ミステリー・ハウスⅡ』は破壊の限りを尽くされていた。壁はなく、床もなく、屋根もなく、柱もない。家と呼ぶために必要なあらゆるものは粉々の破片になり、ただ山のように積もった残骸だけがそこには残されていた。
事故物件世界大会アメリカ代表の有力候補である彼の家に、ここまでの破壊をし尽くした者は誰か。おそらくはアメリカに存在する他の事故物件の持ち主が彼の家に対する攻撃を仕掛けたのだろう。『入居者の終の棲家になるタワー』がそうであるように、破壊の限りを尽くされた『ウィンチェスター・ミステリー・ハウスⅡ』がそうであるように、事故物件一級建築士の作り出した事故物件は人間社会を破壊し、他者の事故物件を破壊し、そして事故物件世界大会優勝のために存在している。
だが、鮫の悪霊を詰め込んだ『ホワイトシャーク・ハウス』も、悪魔を殺しその悪霊を憑かせたとも噂される『ザ・ハウス・オブ・ザ・デーモン』も、自由の女神そっくりな銅像の内部をくり抜いて居住スペースを作ったものを家と言い張る殺戮二足歩行戦闘兵器『スタチュー・オブ・セルフィッシュ』も『ウィンチェスター・ミステリー・ハウスⅡ』と同じような無惨な姿をアメリカの大地に晒し、アメリカ代表となりうる無事な事故物件は存在しなかった。
バル、バル、バル、バル。
プロペラ音と共に、『ウィンチェスター・ミステリー・ハウスⅡ』が突如として影に覆われた。屋敷よりも巨大な一台の巨大なヘリコプターが『ウィンチェスター・ミステリー・ハウスⅡ』の残骸の上に飛来したのである。
ヘリコプターは事故物件の残骸を自身に装着されたクレーンで一掴みすると、東京へのフライトを開始した。
事故物件世界大会――開催地は東京。
アメリカ代表となりうる事故物件は全て破壊され、ただ残骸だけが東京に向かう。それは不戦敗の証左か、あるいは名目上の代表として破壊の意志の残滓が選ばれたのか。如何なる理由があったとしても、一応は自分の作った事故物件が目的通り東京へと向かうこととなった。マイケルはそのことについて喜びを語ることもしないし、あるいは憎しみを語ることもない。
死体は感情を語ることも真実を語ることもなく、ただ黙していた。
事故物件一級建築士としては皮肉なことに、それは死体がそうあるべき真の有様であった。
【つづく】
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