15.拳


 ◆


 世界が私の心に合わせてその姿を変えることはない。

 雲一つ無い快晴の空、罪など何一つ知らないかのように澄み切っている。

 鳴り響く銃声。怒りか、慣れか、河童を撃ち、両親の幽霊を撃ち、そして私は人間を撃った。

 けれど、良心か、恐怖か、それとも単純に手元がぶれただけなのか。銃弾は事故物件一級建築士の足元を穿つに留まった。


「……そういえば、いたね」

 事故物件一級建築士が冷めた目で私を見た。

 清潔なスーツ姿の若い男だった。

 両手で銃を構えて、銃口を事故物件一級建築士に向ける。

 手が震えていた。

 心臓は早鐘を打ち、息が運動した後のように荒くなっている。

 先程まで稼働していたタワマンロボの動きが止まっていた。

 私に向かい合うために操縦を止めたのだろうか。


「つ、次は撃ちます……」

「どうぞ」


 事故物件一級建築士がそう言って、口元を三日月のように歪めて笑う。

 撃たなければならない、頭ではそう思っている。

 なのに、さっきは感じることの無かった引き金の重さを、今ははっきりと感じている。


「交通事故を起こす人間の殆どは別に人を轢きたくて運転をしているわけじゃない。つい、うっかり、人を轢いてしまうだけだ」

 事故物件一級建築士は愉快そうに言った。

「たまたま自分が銃を握っていて、そしてたまたま自分が銃を持っている時、つい、うっかり、反射的に銃の引き金を引けてしまうことがあるだろうし、パパとママをどうすれば良いかわからなくなって、うっかり引き金を引けることもあるだろう。二度も三度も引き金を引けば、四度目は勢いで引けてしまうだろうさ」

 一歩、二歩、三歩、事故物件一級建築士が私に距離を詰めてくる。

 知り合いに挨拶をするために近づいていくかのように無造作だった。


「近づかないで下さいっ!」

 引き金の重さが指から消えていた。

 銃声が響く、銃弾が空を切る。

 事故物件一級建築士に向けていたはずの銃口はあらぬ方向に向いていた。


「けれど、両親を撃ち殺した……おっと、失礼。もう死んでいるから、殺すというのは違うか。まあ両親を撃った君の心中はお察しするよ……どれだけの精神的負荷が君にかかったことか……撃たなければならないと思っていても、撃ちたくないだろう?」

 私のすぐ前に、事故物件一級建築士が立っている。

 おそらく、どんな人だってその距離で銃を外すことはないだろう。

 銃口は事故物件一級建築士の身体にひしと触れていた。


 撃たなければならない、と思った。

 そうでなければ、何の意味もなくなる。

 パパとママを無意味に撃って、ただ怯えるためにここに来たことになる。


「……なんで、パパとママを……皆を殺したんですか?」

 銃身越しに事故物件一級建築士の命を感じながら、私は尋ねた。

「なんでそんなこと聞くの?」

 引き金を引けば終わらせることが出来る。俵さんを助けることも出来るし、誰かが……私のように家族を失うこともなくなる。そうだとわかっているのに、私は指ではなく口を動かしていた。事故物件一級建築士の言った通りに、私は撃ちたくないと思って、引き金を引くことを先延ばしにしているのかもしれない。


「答えて下さい」

 けれど、聞きたいという気持ちもまた本当だった。


「君の両親が死んだことに正当な理由があれば納得してくれるのかな、例えばこの地球に隕石が迫ってきていて、その隕石を破壊するためにこのタワマンロボを稼働しなければならなかったとか、そういう正しい理由が……それともあれかな、納得できる理由が欲しいかな?君のパパとママも含めて、実はこのタワーマンションに住んでいる人間は全員悪人で、被害者の復讐のために殺したとか……」


 ゴボ。

 厭な咳が出た。

 私は銃口を事故物件一級建築士に突きつけたまま離さない。


「あるいはタワーマンションの住人だけでなくて、全ての人間を憎んでいて、人間を絶滅させたくなるような悲しい過去があるとかもいいかもね……」


 ゴボ。

 咳の後、澄んだ音がした。

 五百円玉が地面に落ちる音だ。

 硬貨は私の口から漏れていた。


「無いよ」

「……は?」

「君が納得に足るような理由は何一つとして無い。住人に殺されるに相応しいような悪人は一人もいないと思うし、タワマンロボは人間を殺して、あと周りの事故物件一級建築士たちに見せびらかすために作ったし、更に言うと僕の過去に何一つとして曇りはない。父親は公務員で母親はパート、兄は銀行で働いていて、家族仲は良い。いじめられたことはないし、てひどい失恋をすることもなかった」

「じゃあ……なんで……?」

 胃の中からなにか重いものがこみ上げてくる。

 凄まじい嘔吐感、だけれど――吐くのはきっと吐瀉物なんかじゃない。


「人が死ぬのってめちゃくちゃ楽しいんだよ。悪霊になって、生前とは似ても似つかない様子で生きている人間を憎んで襲っているのを見ると二倍楽しいね。甲子園に出場したことがある……そんな思い出を人生の糧にして生きてきた人間が悪霊になって、その思い出をただ相手に石を投げつけるための武器にしかしないのを見るのはとんでもなく愉快だし、恋人と未来の子供のために必死に働いて、こんな立派なタワーマンションに住めるようになったお父さんが、ゴミみたいに思い出の写真を投げ捨ててしまうのを見るともう……ふふ、なんか前フリの利いたボケを見るみたいで最高の気持ちになれる……うん、アレだね。一言で言うと……生の実感かな」


 大当たりしたメダルゲーム機みたいに五百円玉が私の口から溢れ出した。

 事故物件一級建築士の周囲では著しく下がった土地の価値を私は身体で実感していた。


「ご……」

 それでも、私は事故物件一級建築士から目を逸らさなかった。

「ごろず……」

 五百円玉を吐き出した喉のせいか、それとも事故物件一級建築士のくだらない動機を聞いたせいか、自分でも信じられないような声が出た。

 引き金に重さはなく、生きた人間の命を奪うという罪悪感も無かった。

 うっかり、反射的に――引き金を引けてしまう。

 おそらく、事故物件一級建築士の言葉は正しい。

 怒りは指先の感触を消した。


 だが、銃声は無かった。

 銃が宙を舞っていた。

 高く上がった事故物件一級建築士の足。

 事故物件一級建築士のハイキックが、銃を吹き飛ばしていた――のだと思う。


「あ……っ……」

 視線が銃に行く。

 神様に捧げられた生贄みたいに高く飛んだ銃は、神様に拒絶されたみたいに地面へと――屋上のフェンスを越えて、遥か下に落ちていった。


「助けは来ないよ……俵は潰した」

「えっ……?」

「君が家族を撃ってくれたおかげで、上手にタワマンロボを動かすことが出来てね……ああ、一応お礼を言っておこうか」

 事故物件一級建築士が慇懃に頭を下げて、なにか言葉を吐いた。

 頭が白くなって、音は頭の中に入ってこなかった。

 泣きたかった。

 その場に倒れ込んで、何もかもを諦めてしまいたかった。

 もう何も考えたくなかった。


 けれども、私は立っている。

 パパはいない、ママもいない。俵さんもいない。

 迷子の子供みたいにその場に立ち尽くしているだけだ、何も出来ることはない。それでも何もかもすべてを投げ出すことは出来ず、ただ立っている。


 事故物件一級建築士が愉快そうに笑っている。

 まるで、事故物件一級建築士の周りだけが夜になってしまったかのような笑みだった。絶望の闇の中で月の形をした嘲笑だけがはっきりと輝いている。


「……僕が人間を殺しまくるのを、この特等席から見ているといいよ。それがタワーマンションの最上層に住む人間だけに許された景色だからね」

 そう言って、もう一度事故物件一級建築士が嘲笑う。

 その時、私は信じられないものを見た。


「確かにいい景色だなぁ……」

 聞いているだけで、心が安らぐような声がした。

 巌のような人が私の視線の先にいた。

「俵ァ!?」

 事故物件一級建築士が振り返って叫ぶ。私達の視線の先、屋上の縁に俵さんが立っていた。


「教えたこと、忘れてないよな?」

 俵さんの言葉に返す代わりに、脇を締めて、拳を握った。

 完全に俵さんに気を取られた事故物件一級建築士を私は思いっきりぶん殴った。

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