13.家庭崩壊
◆
室内が揺れている。
名前も知らない沢山の人の死を乗せて、このタワーマンションは名前も知らない沢山の人を殺すために動き続けている。
けれど、周囲を取り囲む死も、これから行われる殺戮も気にすること無く、二人は死とは無関係みたいな顔で食卓についている。
「ひっ……」
二人に対する恐怖があった。
死がわかりやすい姿をしていたのならば、私は容易に受け入れることが出来ただろう。いっそ、私が会ってきた怪存在のようであれば怖くなかったかもしれない。
けれど、二人は私の思い出の中からそのまま取り出したみたいな姿で私の前にいる。自分が死んだことにも気づかないで。
「大丈夫?体調悪いのかい?やっぱり女の子の一人暮らしっていうのは大変だから、やっぱり自分が思っているよりも疲れちゃうんじゃないかな?」
「寝る?お布団敷こっか?」
心配そうな表情で私を見て、二人がそう言う。
「そのうち、アキちゃん用のベッドも買わないといけないなぁ……」
そして自分が死んだことなんて意に介さず、未来のことを考えている。
帰ろう。
そう思った。
死んでいることは間違いない。
悪霊とか、河童とか、そういうものと同じ存在になってしまったことは間違いない。けれども、二人は今ここにいる。
生きていないけど、生きているフリをしてくれている。
これは私のエゴでしかないけれど、二人にはここにいてほしい。
二人が年を取って老衰で死んだなら受け入れることが出来たのだろうか、病気で死んだのならば受け入れることが出来たのだろうか。誰も悪くなくて、ただ当然のことが当然起きるという形ならば、私は人が死ぬということを受け入れることが出来たのだろうか。それとも、こんな事故物件死だとしても、二人のものだとわかる死体をちゃんと見ることが出来れば、しっかりと受け入れることが出来たのだろうか。
わからない。
ただ、今ここにいる私は――パパとママが死んだことなんて受け入れたくないと思っている。
「アキちゃん?」
私は二人に背を向けた。
もう、これ以上二人の顔を見ることは出来なかった。
死んだ後、どうしてあげることが正解なのだろうか。
あの世というものがあるのならば、その世界に行ってもらうことが二人にとっての幸せなのだろうか。それとも二人がまだこの世界にいられることは幸せなのだろうか。けど、私にとっての幸せは――二人がこの家で幸せに暮らしていることで、たまに二人からかかってくる電話にうんざりしながらも応じることで、でも、一体私に何が出来るというのだろう。結局、私がこの家に帰ってきたところで俵さんの役に立つことは出来そうにない。何かをすることが出来そうにない。
「……アキちゃん、どこに行くんだい?」
玄関へ向かう私の肩にパパの手が置かれる。
私と大して変わらない体温。
生きている人間の温かさが死んだパパの手から伝わってくる。
その手を私は振り払う。
「帰らなきゃ」
「……帰る?」
「泊まっていけばいいじゃない……顔色悪いわよ?」
「お肉が食べられないなら……何か呼ぼうか?おうどんとか……?」
焼き立てのステーキの良い匂いが漂ってくる。
私が初めてこの家に来たちょっとだけ特別な日のための御馳走は、何を思って用意されたのだろう。
涙が出そうになって、私は拳を強く握りしめた。
どこまでも無機質な鉄輪の冷たい感触が少しだけ私を強くさせる。
ぶん殴ってやる、と思った。
屋上に上がって、あの事故物件一級建築士をぶん殴る。
もう、本当に、そうすることでしか、私の心の中で膨らんでいる感情は発散出来そうになかった。
鍵は掛かっていない。
プッシュプルハンドルのドアは軽く押しただけで開く。
そのはずなのに、ドアは動かなかった。
「アキちゃん」
優しい声だった。
何も変わってはいない。声も。漂ってくるステーキの匂いも。そして今、もう一度私の肩に置かれた手の温かさも柔らかな感触も。
「帰っておいで、ここで一緒に暮らそう」
「そうよ、アキちゃん……やっぱり家族で暮らすのが一番よ」
家族だから、何もかも全部わかるわけじゃない。
パパもママも私のことをいつまでも子供扱いして、全然わかってくれてはいない。
けれど、家族だからわかることがある。
二人とも心の底から、それを願っているのだ。
「……ドアを開けて」
私の声は震えていた。
許されるならば、私だってそうしたかった。
二人と一緒に暮らしたい。
いや、二人が生きていてくれるのならば――私がこの家で暮らしても構わない。心の底からそう思っている。
けれど、今じゃない。
「アキちゃん?」
「ドアを開けてッ!」
私はもう一度パパの手を振り払うと、その心臓部に拳銃を構えた。
銃弾は通用するのだろうか、そんなことは考えなかった。
ただ、武器を手にしなければ私の弱い意志は負けてしまいそうだった。
俵さんを助けたい。パパとママを殺した奴を許せない。名前も知らない誰かが二人みたいな目に合うのが許せない。事故物件一級建築士をぶん殴ってやりたい。
私は今いるべき場所はここじゃない。
だから、そのための行動を取らなければならなかった。
少しの沈黙があった。
二人は無言のまま、しばらく私をまじまじと見つめて、そしてパパが口を開いた。
「君は誰だ」
「えっ」
「アキちゃんはそんなことはしない……っ!き、君は……アキちゃんのフリをして……何を企んでいる?」
「……わ、私は」
二人が私を見つめる視線の中には確かな怯えと、そして怒りがあった。
私に向けられたことのない感情だった。
「ここは私とママとアキちゃんの家だ……!わ、私には家族を守る義務がある!」
パパの声は微かに震えていた。
けれど、その奥底には家族を守ろうとする勇気が感じられた。
そうだ、パパはそういう人なんだ。
――わ、私の娘に手を出すなんて許さないぞっ!
そんなことを大真面目に言いながら、リードの外れたチワワから私を庇おうとしたことを今でも覚えている。
パパは犬嫌いで、あの犬がチワワだとしても飛び出すのに大変な勇気を必要としただろう。そういう人だった。
そして今も、その勇気で家族を守ろうとしている。
「ピ、ピストルなんて怖くないわよっ!」
咄嗟に近くにあったフォークを掴んで、ママが叫ぶ。
そうだ大人しく、パパの後ろに隠れていられるような人ではないのだ。
互いが互いを思い合っていて――そして、その二人の愛情を確かに受けて私は育ったのだ。
もう一度、私はドアを押した。
ドアは最初から開閉する機能など無いかのように動かなかった。
二人だって、私を追い出したいだろう。
けれど、そんな二人の意思とは無関係にこの家はあるのだろうか。
この家を壊してしまえば、出られるのだろうか。
「ドアを開けて……」
生きている二人ならば、私が銃を持っていたとしてもきっと話を聞いてくれただろうか。良くも悪くもそれを娘の成長として、それを受け入れてくれただろうか。死んだ二人にとっては銃を持った私は娘ではないらしい。
二人が怯えと怒りの混ざった視線で、私を見ている。
私はフィクションの幽霊を思った。
遺族と話をして、心残りを解消して、そして成仏する。
もし、それが出来るのならば――私は何時間だって、何日だって、私は付き合う。
部屋が揺れている。
今も、俵さんは戦っている。
今も、タワマンロボは動き続けている。
「ドアを……開けて……お願いだから……」
この部屋に対して、私が出来ることは――これだったのだろうか。
これしかなかったのだろうか。わからない。
銃声が二発して、扉が開いた。
振り返った二人の家は、ただ壊れた家具と血痕がこびりついていて、誰も住めそうにはなかった。
【つづく】
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