11.おかえり


 ◆


 百メートル。

 一番高い建造物――というわけではない。

 例えば東京タワー、『入居者の終の棲家になるタワー』が生まれる五十年以上も前に造られたこの建造物の高さは『入居者の終の棲家になるタワー』の三倍以上である。同じタワーマンションの中でも、百メートルはそこそこ高いと言えるかもしれないが、それでも一番には程遠い。日本の中だけでも二百メートルを超えるタワーマンションは存在するし、世界に目を向ければ四百メートルを超えるタワーマンションなんてものも存在する。

 ただし、それは何の救いにもならない。

 東京タワーは動かない。世界一高いタワーマンションも動かない。

 だが、この百メートルのタワーマンションは動く。

 百メートルの巨人が動き出せば、東京タワーであろうと世界一高いタワーマンションであろうと容赦なく破壊出来ることは間違いないだろう。

 俵が相手にしようとしているのは、そういう敵だった。


「さて……初めまして、俵」

 屋外へと脱出した俵をタワマンロボの威容が見下ろしている。

 俵へと降り注ぐ声は、タワマンロボに備え付けられたスピーカーから発せられたものか。

 先程までは人が異常なほどに死ぬ以外は普通のタワーマンションであった。だが、超絶変形を遂げた今、『入居者の終の棲家になるタワー』は人型タワマンロボ兵器と化していた。

 タワーマンションの立方体の胴体に、その立方体から分かれたやはり立方体の手足、まるで子供の描いた人間のようである。


「俺の名前を知っているんだな」

「まあね、君は有名だから」

「そいつは嬉しいな」

 何の喜びもなさそうな声で、俵が言った。

「アンタの名前も聞かせてくれるかい?」

「君も知っているだろ?事故物件一級建築士でいいよ」

「初めてだな、資格の名前を言われるのは……ま、普通自動二輪車免許さんよりはまだ特定しやすいだろうけどな」

 互いの言葉に感情の昂りはない。どこまでも平熱の会話だった。

 怒りも殺意も滲み出ることすら無く、言葉の奥深くに礼儀正しく隠れている。


「何故、彼女を殺したいんだ?」

 その会話の中でとうとう隠しきれぬ熱を持った言葉が俵から放たれた。

「……腫瘍」

「は?」

「弱点を告白するようでなんだけれど……あの部屋は私……というか、このタワマンロボにとって腫瘍のようなものでね、十全の力が発揮できないんだ」

「そいつは嬉しいことだな」

 燃え上がって消える一瞬の火だったのか、俵の言葉は平熱に戻っている。


「ところで、私がこのようなタワマンロボを作った理由については聞かなくて良いのかな?」

「そっちはどうでもいい。どんな理由があろうと、知ったこっちゃねぇからな」

「ふうん。ところで……君がここに来ることはあのお嬢さん以外に誰か知っているのかな?」

「生憎だが、仲間は彼女だけでな……」

「そうか……じゃあ、君の名前を知っておいてよかったよ」

「どうしてだ――」

 ごう、と凄まじい風が吹いた。

 俵が放とうとした音まで吹き飛ばしてしまうほどの烈風だった。 

 世間話でもするかのような平熱の会話――そんな日常の穏やかさのまま、事故物件一級建築士は拳を放った。

 タワマンロボの右拳である。

 その拳の大きさは人間の比ではない。

 新幹線と比べなければならないような巨大な拳だ。

 拳風だけで、周辺の建築物の窓ガラスにヒビが入る。

 そのような重く、疾い拳だった。


「君がここに来たことを誰も知らないんじゃ……私以外に誰も君の墓を建ててやれないだろう?」

 ずおん。

 タワマンロボの拳が地面に命中し、地面が揺れた。

 まるで隕石が衝突したかのように、俵のいた場所にはクレーターが出来ていた。

 そこに俵の死体はない。

 血も肉も骨も何もかもこの世から消し飛ばして残さない、そういう威力の拳だ。


「それを言うなら……」

 俵の声がした。

「俺だって、アンタの墓に事故物件一級建築士だなんて刻んでやらないといけなくなる」

 タワマンロボの拳の上に立った俵が屋上を睨め上げ、言った。

「避けたか」

「避けるだけじゃなくて、この細長い腕を駆け上がってアンタを殴りにも行けるだろうよ」

「それは、困ったなぁ……」

 ずん。

 タワマンロボが歩行を開始する。

 一歩が重い。何千トンもの衝撃を地面に与えながら動く。

 激しく揺れるタワーマンションの巨体に俵が体勢を崩すことはない、俵は根を張ったようにタワマンロボの拳の上に立っている。


「ところで……君はどれが良い?」

「あ?」

「この事故物件は入ると死ぬだなんて生易しい事故物件じゃない、入らなくても事故物件から殺しに行けるぐらいに殺傷力を高めてある。けれど……まだ足りないんだ。武器が、足りない」

 ぬうっと、タワマンロボの左腕が動き――隣の駅に見えるオフィスビルを指し示した。


「あの会社を引っこ抜いて、超巨大鈍器にしようか」

 指し示す対象がオフィスビルから動き、運行中の電車に移った。

「あの電車を持ち上げて、ヌンチャクとして振るってみようか」

 超巨大質量は俵一人を殺すことは出来なかった。

 だが、俵以外を殺すには十全の効果を発揮する。


「住民を全滅させた事故物件……私は『入居者の終の棲家になるタワー』をそんな生易しい事故物件で済ませるつもりはないよ」

 俵の位置から、事故物件一級建築士の表情はわからない。

 だが、その悪意に満ちた笑みが俵には透けて見えるようであった。


「一千万人殺した最強の事故物件、そこからがこの『入居者の終の棲家になるタワー』の伝説の始まりだよ」

「……そいつは無理だな」

「どうし――」

 平熱の言葉で事故物件一級建築士が言う。

 俵の油断を刺さんと、その言葉の途中でタワマンロボの左腕が地面を薙ごうとして、動かなかった。

 俵がタワマンロボの左腕に跳び、その関節部分に蹴りを打ち込んでいた。


「今、アンタをぶん殴るために頑張ってる奴がいるからな」


 ◆


 ふと、私は二人の葬式のことを思い出していた。

 金色に輝く豪華な祭壇は人が思い描く楽園の建築物によく似ている。そしてパパとママの死を悼む人から贈られた落ち着いた色の供花が葬式会場に花畑を作る。私が頭の中で思い描くものとは違うし、沈痛な雰囲気が邪魔するけれど、それでもあの葬式会場は地上に現れた極楽浄土のように思えた。きっと故人が死んだ先があのような楽園であってくれという祈りがこめられているのだろう。

 その楽園の中心にパパもママもいない。

 遺影の中で自分が死んだことを知らない顔で微笑んでいるばかりで、棺桶は空っぽのまま葬儀は進行していった。

 あの死体を見てあれがパパとママの二人のものであると言うことは娘の私ですら出来ない、そういう死体だった。二つの死はどこまでも人格無く並んでいて、あらゆる誰かの死を代入できるようなそういう死体だった。

 エンバーミングは死体の時間を止めることが出来るけれど、時間を巻き戻すことはできない。どう取り繕っても取り繕いようの無い二つの死体が葬式に出ることはなかった。


 弔事を読む。パパとママとの思い出を語る。

 弔問客の中には泣いている人もいたけれど、私は泣けなかった。

 やはり、死の実感が無かった。

 両親の葬式に出ているというのに、どこまでも他人事だった。

 はっきりとパパとママのものだとわかる死体があれば泣けたのだろうか、死の直前にちゃんと二人に会って、二度と会えないということを強く実感していれば泣けたのだろうか。


「おかえり」

 パパとママがそう言った。

 扉を開くと、何もなかった。

 河童もいない、悪霊もいない、メリーさんもいないし、事故物件一級建築士もいない、惨劇の痕が広がっているでもない。


「た、ただいま……?」

 なにか変だな、と思った。

 二人のいる家とはいえ、初めて入る家だから「お邪魔します」の方が良かったのかもしれない。


 綺麗な場所だった。

 パパとママが私を普通に迎え入れて、リビングに案内してくれる。

 タワーマンションにはどこか不釣り合いな和風の――パパとママが『入居者の終の棲家になるタワー』に引っ越す前、私達三人が暮らしていた頃の家の中にあった家具の中にタワーマンションに合わせて新しく買ったのか、ちょっと良いテーブル。

 窓ガラスからは東京を一望出来る。

 きっと天国から見える景色はこんな感じなんだろうな、と思った。

 人間の姿は見えない、路地に落ちたゴミもわからない。ただミニチュアみたいな建造物が現実味無く見えるだけ。


「アキちゃん」

 パパが嬉しそうに言った。

 ああ、やっぱりそうだったんだ。

 パパもママも本当は生きていたんだな。と思った。


 帰ってこれて、よかった。


【つづく】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る