8.事故物件の恐怖の変形
◆
初めて見た幽霊の数は、あまりにも多すぎた。
エレベーターのスペースをいっぱいに利用して、幽霊をギチギチに詰め込んでいる。
東京の満員電車を思い出す密度だが、電車とは違ってその大して広くもないスペースの高さまで利用して幽霊を詰め込んでいる。まるでキャンディがいっぱい詰まった瓶のようだ。
それでいてエレベーターの重量制限に引っかかっていないのは幽霊に重さが無いからか、それともこのエレベーター自体が呪いによって常軌を逸した存在になってしまったのか。
ドアが開いたエレベーターから雪崩のように幽霊がエントランスホールに転がり出ていく。
「……俵さん」
悲鳴を上げなかったのは、我ながら上等と言っても良いだろう。
その代わり、声の震えを抑えることは出来なかった。
幽霊の姿は厚みのある半透明の影のようで、顔も体型も皆一様だった。髪はなく、服も着ていなければ、アクセサリを身に着けてもいない。生きていた時に刻んだすべてのものは失われていて、この中に私の家族が混じっていても見分けることは出来ないだろう。
そういうものが私達を取り囲んだ。
「気が立っているようだな」
「えっ」
「殺された上に、通勤ラッシュの満員電車よりも酷い霊口密度のエレベーターに押し込まれているんだ。全部が怒りに塗りつぶされて、生前のどんな思い出も残っていない。自分の姿を思い出すこともないし、愛していた人にわかってもらうことも出来ない」
大きくて強い人が、悲しそうにそう言った。
その時だけは、私と俵さんの身長が同じになったように思った。
「しかし妙なのは……」
俵さんが何かをいいかけて、言葉をつぐんだ。
「いや、今言うことじゃねぇか。とりあえず俺の後ろに来てくれ」
「は、はい……」
分厚い背中の後ろに私は回る。
俵さんの放つ熱気でもん、と空気が歪むようだ。
百匹を超える幽霊でもぶち抜くことは出来ないであろう鉄壁が私の前にあった。
どんな災害からも身を守れる安全地帯があるとするならば、おそらくは彼の後ろだろう。
しかし、一つ疑問があった。
ビッグ・ザ・メリーさんは物理的な人形だったから、俵さんはぶん殴ることが出来た、けれど幽霊を相手に俵さんは一体どうするのだろう。
答えはすぐにわかった。
「ウォォォ……」
うめき声を上げながら、幽霊が一斉に走り出した。
気がつけば、手に武器を持っていた。
以前、不動産鑑定士が訪れた際に破壊されたであろうエレベーターの破片、ガラス片、とにかくそれぞれが付近にあった硬そうなものを手に、俵さんの元へ駆けていく。
「オゴオオオオオオオ!!!!」
その幽霊たちの身体が宙を舞っていた。
おそらく、くらった本人は認識していなかったのだろう。
凄まじい勢いの回し蹴りが近づいた幽霊たちを吹き飛ばしていた。
幽霊は壁に叩きつけられたそばから消滅していく。
「天国があるとしたらそいつらを全員そこまで吹っ飛ばす……俺にしてやれるのはそれだけだな」
俵さんがその言葉とともにゆっくりと前に進む、私も俵さんの背中から離れないように前へ。
「ウォォォ……」
幽霊に普通も何も無いだろうが、普通ならばその一撃で俵さんに気圧されて、幽霊たちはじりじりと後ずさっていただろう。それほどに凄まじい攻撃だった。
だが、幽霊たちは怯むこと無く前に出て再び俵さんに襲いかかっていく。
例えば取り囲んでみるとか、あるいは手に持った武器を投げつけてみるとか、そういうことはなかった。それしか無いように……いや、それしか無くなってしまったのだろう。
まるで俵さんに倒されるためだけに向かっていくようだった。
「破ァッ!破ァッ!破ァッ!破ァーーーーッ!」
どこまでも続く幽霊の群れを俵さんは容赦なく吹き飛ばしていく。
百はあっという間に九十になり、九十は八十に、七十、五十、三十、十……そして零になるまでに、大した時間は必要なかった。
もうエントランスホールには私と俵さん以外には何も残っていなかった。
ガランとした静かな空間には、怒りだってもう残っていないはずだ。
私は目を瞑り、手を合わせた。
何もかも失った人たちが、行くべき場所に行くことを祈って。
私が目を開いた時、俵さんもその太い手を合わせていた。
「行くか、アンタの家に」
「はい」
しばらく悪霊の襲来に備えていたが、結局これ以上に訪れることはなかった。
私達は最上階へと向かうために非常階段を探し、あっさりと見つけた。
本来ならば緊急事態の時以外は施錠されて使えないであろう非常階段に続く扉は、俵さんの剛力であっさりとこじ開けられた。
今がまさに緊急事態なので許して欲しい。
扉を開く。
狭い通路だった。
上に続く階段、そして階層ごとに備え付けられた踊り場しかない。
天井は低く、俵さんの頭を少し擦っていた。
そういう狭くどこまでも続くものが、三十階……百メートルほど続いているらしい。
「こんだけ上がったら、アンタの家に着く頃には俺ァ、一キロぐらい痩せてるかもな」
俵さんがそう言って、笑う。
その笑みに引っ張られて私も笑う。
非常階段の形は折りたたまれた腸に少しだけ似ている。
怪物の腹の中に呑み込まれた閉塞感を殺す武器を俵さんは持っていた。
「ところで俵さん」
「どうした?」
「さっきは何を言いかけたんですか?」
あのエレベーターにいた大量の幽霊を見て、俵さんは首を傾げていた。
私にはよくわからないが、俵さんにはわかる奇妙なことがあったらしい。
「……悪霊には指向性が無い、なんていうか、霊魂とか怨嗟とか呪いとか、そういう人に害を成そうという力だけがその場に……ま、おおよそ死んだ場所だが……そこに留まって普通ならば動くことは出来ない」
ま、呪われに来た奴を呪うために動くことは出来るが……呪うために動くことは出来ないってトコだな。俵さんはそう続けた。
幽霊が物理的に襲ってくるのは呪いに含めても良いのか、私は少し考えた後、考えないことにした。どうせ答えは出せない。
「悪霊が移動し放題なら、警察の仕事は激減するだろうからな」
確かに、殺人犯が幽霊に呪い殺されて死んだ……いや、そんな直接的な言い方はないだろうが、それでも被害者が祟って出るような酷い事件は多い。それでも、幽霊ではなく主に警察が事件解決のために働いている。
そんな悪霊に指向性を与えるために怪異化する……その恐るべき儀式については、既に俵さんから話を聞いている。
だが、一体何がおかしいと言うのだろう。
「あれだけの人間がエレベーターで死んだっていうのなら、エレベーターにあれだけの悪霊が憑いていたのはわかる。だが……」
「確かに、幾らなんでも詰め込まれすぎてますよね……」
俵さんの言おうとした言葉を察して、私は頷いた。
「あのエレベーターはまるで来た人間に対する罠みたいだった、この事故物件には黒幕がいるのだから、そういう胸糞悪い作りにしていてもおかしくはないが……方法がわからないんだ。動かせるはずのないアレだけの悪霊をあのエレベーター一つに集めることが出来た理由が」
俵さんに関してはわからないことの方が多い。
忍者に関してはそもそも実在するかどうかすらもわからない。
だが、そんな俵さんにもわからないことがあるらしい。
背筋をナメクジが這うように恐怖が這い上がった。
わからないこと……恐怖の根源はそれだ。
だから、人は夜を明かりで照らす。夜の闇の中に存在するはずのないものを見ないように。
けれど、私が恐怖したのは……おそらく、わかったからだ。
単純であまりにも馬鹿馬鹿しく、そして残酷なコトを、おそらく事故物件一級建築士はやった。
確証はない、けれど私が思い浮かんだ答えを口に出そうとして……『入居者の終の棲家になるタワー』が揺れた。
◆
「どうやら君とゆっくり話をしている暇が無くなってしまったらしい」
『入居者の終の棲家になるタワー』の屋上にて、事故物件一級建築士が言った。
その頬を一筋の汗が伝っている、彼自身にも予想外の事態が発生したらしい。
『オーウ!事故物件一級建築士サーン!ドウシマシタ!?』
激しくその身を揺らすタワーマンション、その光景を見ているのか、あるいは事故物件一級建築士の態度の変化を知ってか、事故物件一級建築士と通話を行っていた男が煽るように言った。
「正直、俵を舐めてた」
『TAWARA?ジャパニーズライス入レル奴?』
「日本最高峰の除霊師……っていう話だけを聞いてたけれど、正直、予想よりも強かったみたいだ」
スマートフォンの向こうの相手に応じているのかいないのか、事故物件一級建築士は独り言のように呟く。
「いきなり切り札を切らざるを得なくなった」
『例ノジャパニーズタワーマンションロボットデスカ?』
「あの娘が生きてる以上は十割の力を発揮できる状態じゃない……けど、まぁ、しょうがない。俵が屋上まで来たら……ま、良くて五分五分って感じがする。それよりはマシだ」
『HAHAHAHAHA!!一人ノ除霊師ニビビルトハ……日本ノ事故物件建築士低レベルデース!!アナタニハ事故物件世界大会日本代表ノ自覚ガアルノデスカ!?』
嘲笑する電話の向こうの相手に対し、事故物件一級建築士はどこまでも落ち着いていた。
「そういう君は、まだ勝ち上がったワケじゃないだろ」
『オーウ!私ノウィンチェスター・ミステリー・ハウスⅡガ全米最強ノ事故物件ニナルニ決マッテマース!!精々、我ガ事故物件ノ訪日ニ怯エルガ良イデース!!』
「ふん……ま、とにかくこっちは忙しくなるから切らせてもらうよ」
事故物件一級建築士は通話を切ると、屋上に備え付けたコクピットへと向かった。
◆
しばらく『入居者の終の棲家になるタワー』が揺れ続けた後、唐突に声がした。
悪霊によるテレパシー……というわけではない、館内放送だ。入居者のいないこのタワーマンションで本来ならば聞こえるはずのない放送だった。
『あー……侵入者に告ぐ』
その声を聞くだけで総毛立った。
心臓の鼓動が速いのは、私を急いで死に向かわせようとしているからなのかもしれない。頭で考えていることと実際に動く身体は別だから、頭の中では逃げてはいけないと考えているのに、身体は逃げようと考えていて、けれどどうあがいても逃げられそうにないから、せめて死ぬことで今この声の主がいない世界に逃げようとしているのかもしれない。死んでも逃げられそうにないのに。
『このタワーマンションは人型ロボットに変形して、東京を大破壊する』
「俵さん!?」
その言葉を聞いた瞬間、私はすがるような目で俵さんを見た。
「事故物件ってそこまでやるもんなんですか!?」
「流石に初めて聞いた」
「私達どうすればいいんですか!?」
「俺が聞きたい……というか、普通ならくだらない嘘だと考えるべきなのに、あまりにもくだらなさ過ぎて逆に信じられるような気がしてきたな……」
俵さんの顔にもはっきりと困惑が浮かんでいた。
どうしたらいいか、俵さんも考えあぐねているようだ。
「待て待て待て、クソ……一旦、外に出てタワーマンションが巨大ロボに変形しているのを見れば一発だが、恐らく奴はタワーマンションから俺を締め出してアンタを殺したいはずだから……クソッ!なんでこんな馬鹿なことを真剣に考えねぇといけねぇんだ!!」
タワーマンションロボなどあり得るはずがない、ついさっきまで霊とは無関係の現実の世界にいた私ならばそう切って捨てられる……ワケがなかった。
メリーさんがいた、悪霊がいた、呪いがあって、そして俵さんがいる。
何がありえないのか、いや、ありえないものなど無いように思える。
それだけのものをこれまでの時間で叩きつけられた。
「……俵さん」
私はスマートフォンを起動し、SNSを見た。
小さいスマートフォンの画面の中で、巨大なロボットが立ち上がっていた。
「……フェイク画像と言ってほしいな」
「俵さん……悪霊がいる以上、タワマンロボも実在する、多分、そう考えてもおかしくないと思うんです」
「悪霊とタワマンロボは全然違うと思うが……まぁ、そうだな」
俵さんは覚悟を決めたようだった。
「タワマンロボが動き出す場合、私達に出来ることは何がありますか?」
「タワマンロボがマジで動くなら、ちょっと歩くだけで大量に人が死ぬ……その被害を最小限に食い止めるために、俺たちは急いで黒幕の元に駆けつけて、とっちめる」
「最小限……ってどれぐらいでしょうね」
「さあ、少なくとも、ああ……良かったなぁ、って数にはならねぇだろうな」
私は、一人でも誰かが死んで「ああ……良かったなぁ」なんて思えそうにない。きっと、俵さんもそうだろう。
「ま、幽霊が出るってのは誰かしら死んでるってコトでさ、俺はいつもアレだよ、事件が起こってからのこのこ現れるノロマだ……」
「被害をゼロにする方法はありませんか?」
俵さんの目をしっかりと見て、私は俵さんに問うた。
そういう都合のよろしい方法は存在しない、そういうことはわかっている。
けれど、そういう都合のよろしい忍者を私は求めていた。
「俺が外に出て直接タワマンロボと戦ってみたら、誰も死なせないかもな」
直接戦う、百メートル級のタワマンロボを相手に俵さんはそう言った。
「戦えるんですか?」
「攻撃を受け流し続けるぐらいは出来る……が、勝ち筋がねぇな」
勝ち筋……その言葉を聞いて、頭の中にある考えが過ぎった。
「俵さんがタワマンロボと戦って、私が事故物件一級建築士と戦う……」
信じられないような言葉が私の口から出てきた。
勝てるわけがない……さっきだって俵さんの背で守られていただけで、事故物件一級建築士の言葉を聞いただけで、私は怯えていた。
「……事故物件一級建築士が私に死んで欲しいっていうことは、私が生きていると事故物件一級建築士が困るってことで、つまり何か出来ることがあるってことで……いや、何にも出来ないかもしれないけど……でも……」
パパとママを殺して、私も殺そうとして、そして色んな人の死後の尊厳まで奪って、そして今からもふざけた手段で大量に人を殺そうとしている。
「私があいつをぶん殴りたいんです」
【つづく】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます