7.内覧開始
◆
静岡駅から東京駅まで、新幹線で一時間と少し。
東京駅で乗り換えて、十数分。
到着したこの駅から五分ほど歩けば、『入居者の終の棲家になるタワー』に辿り着く。
移動時間は二時間弱……そして一年以上。
さほど遠くも無いはずなのに、私は地球の裏側に辿り着くよりも長い時間をかけてここに来た。
俵さんが来なければ、来ることが出来たかどうかすらわからない。
いや、きっと来なかっただろう場所だ。
「アレが……」
「ああ」
私の言葉に俵さんが頷く。
駅を出た瞬間に、それは見えた。
青い空を背景に天に向かってそびえ立つ『入居者の終の棲家になるタワー』だ。
空は晴れ渡り、太陽は輝いている。
その爽やかな空の下でぬるい風が吹いた。
獣の吐息……いや、風そのものが舌となって私の身体を舐め回しているかのような風だった。
寒い。
太陽の光の下、暖かい風の中、私は凍えていた。
最強クラスの事故物件……決して夜には来たくはなかった、しかし午前中に来たからといって、その恐怖が薄れるようには思えない。
空は地上で行われる営みに無関心なのだ。
だから、恐怖が蠢いていようとも青く晴れ渡り、太陽を光り輝かせることが出来るのだ、私の恐怖とは無関係に。
隣駅にでも行けば、普段通りの日常が繰り広げられているのだろう。
今日は休日だ、どこかに出かける準備でもしているのかもしれないし、家でゆっくりと休んでいるのかもしれない。折角の天気だから子供は公園で遊んでいるのだろうか。
すぐ隣にある平穏が、私を孤独にする。
「ハハハハハハハ!」
「わっ!」
震える私を見て、俵さんが大声で笑った。
「武者震いとは頼もしいな」
「へっ……?」
私の怯えを見て、俵さんは軽い口調でそう言ってのけた。
武者震い……そんなワケがない、私は恐怖に震えていたのだ。
けれど、恐怖に呑まれていた私の心は俵さんの言葉で楽になっていた。
「アンタが全員ぶっ倒さないでくれよ、俺の出番が無くなっちまうからな」
「いえ……全員ぶっ倒す気で行きます」
自分でそう言ったくせに、言った私自身がその言葉に驚いていた。
「あ、冗談です……その俵さんが冗談を言うので私も冗談で返そうかな、みたいな……でも決意表明は本物みたいな」
軽口のやり取りというものを人生で一度もしたことがないかもしれない。
基本的になんて返せばいいのかわからないし、なにかが思い浮かんでもそれを口にする勇気がなくて、結局曖昧な笑みを浮かべるだけで私のコミュニケーションは完結してきた。
それが今日は、そういうコトを口に出している。
「ハハッ」
俵さんが軽く笑い、「そいつは良いな」と言った。
「じゃ、アンタに負けないように今日は普段の二倍は頑張らないとな」
「はい、私も……負けないようにします」
そう言ったところで、私に出来ることは何もない。
俵さんのように悪霊や怪異と戦えるワケでもないし、一度も入ったことのない『入居者の終の棲家になるタワー』を案内できるワケでもない、内部に殺戮ギミックがあったところでそういう罠を解除する能力もない。
けれど、恐怖に負けることだけはしたくないと思った。
自分にできることはそれだけなのだから、せめてそれだけはする。
駅を出て、『入居者の終の棲家になるタワー』に向かってまっすぐに進む。
昔見た映画のように、上空をハゲタカが旋回している。
地震を目前にネズミが逃げ出したという話を私は思い出す。
ネズミにとどまらず動物というのは勘が鋭くて、なにか恐ろしいことが起こりそうになると予め逃げ出しておくのだという。
ならば、この上空を旋回するハゲタカは……その危機が人間のみに降りかかると知って、屍肉を漁りに来たのだろうか。それとも、ハゲタカの存在そのものが人間にとっての恐ろしいことなのだろうか。
「グルルル……」
野生化した犬型のウエイトレスロボットが唸り声を上げる。
その滑らかな移動で群れを率い、この駅を訪れる人間に不幸を運んでいるのかもしれない。
「俵さん……なんでこんなところにロボットがいるんでしょう」
「悪霊の仕業だな」
「そうなんですね」
俵さんがいるからか、ウエイトレスロボットは遠目に私達に向かって唸るばかりでこちらに寄って来ようとはしなかった。
「キヒヒ……殺したいロボなぁ……殺人カンフーをインストールされたこの殺人ロボ様の威力を見せてやりたいロボなぁ……」
そして、とっくに生産を終了した子供サイズの人型ロボットがナイフをペロペロと舐めて、私達を品定めするかのように睨んでいる。
「俵さん」
「悪霊」
「はい」
短くも長い駅から徒歩五分だった。
地価が極限まで下がるのも理解できる。『入居者の終の棲家になるタワー』に行くまでの僅かな道ですら、私を疲労させたのである。
だが、それはあくまでも『入居者の終の棲家になるタワー』の霊障の余波のようなものだ。
――とにかく一度はこっちに帰っておいで。
『入居者の終の棲家になるタワー』を前にして頭の中にパパの言葉が過ぎる。
帰ってきた、そんな感覚はない。
一度も来たことのない家だ。
結局、ここは私の家にはならなかったし……もしかしたら、パパとママの家ですら無かったのかもしれない。
ただ、来た。
遅すぎたけれど、私はこの家に来た。
私は頭の中で思う。
実はパパとママは生きていて、このタワーマンションで人が死んだというのも全部ウソで、振り込まれた保険金は保険会社の手違いで遺産は金銭感覚を履き違えた二人の私への仕送りで……なんて、そんな他愛のない想像。
最上階に行った私をパパとママがキョトンとした顔で出迎える。
私が「死んだんじゃなかったの!?」って言ったら「そんなワケないじゃないか」と盛大に笑う。
不器用なくせに娘が来るなら、とパパは張り切ってちょっと良い食材を買って料理を始める。ママはパパのおぼつかない手付きを見て「こんな時だけ頑張っちゃって」と呆れた顔で笑って、手伝いに向かう。
ホームパーティーはきっと、私の好物ばかりが並ぶだろう。
パパの作ったものは形が悪くてすぐにわかる、けれど味は案外美味しかったりする。
美味しい料理を食べながら、パパとママと私は久しぶりに話をする。
けれど私は会話のキャッチボールが苦手だから、結局パパとママの質問に私が答え続けるような会話が続く。
そして、テーブルがだいぶ片付いて来た時に……きっと、パパが切り出してくるのだ。「一緒に暮らそう」と。
心の底から信じているワケじゃない。
けど、パパとママの死はどこまでも現実味がなくて……そういうことを信じる余地ぐらいはあった。
事故物件一級建築士という犯人に会ったところでどうすればいいのかはわからない。ただ、一つだけわかっていることがある。
私はパパとママが死んだことを受け入れるためにここに来た。
◆
ガシュ。
ガシュ。
ガシュ。
ガシュ。
『入居者の終の棲家になるタワー』のエントランスへと続く、自動ドアが超高速でスライドしている。
一秒間隔で開閉を繰り返す自動ドアはドアというよりは横向きのギロチンである。
話には聞いていたが、いきなり非道建築タワーマンションの名に恥じない非道建築っぷりを目の当たりにして、私は慄く。
「これは入ったら……」
私はおずおずと俵さんに尋ねた。
「小学校の人体模型に転職したいなら、ちゃんと縦に切ってくれる奴を探したほうがいいな」
俵さんはそう言うと、足を広げて腰を落とした。
騎馬立ち……と言うらしい、深く息を吸い、吐き、そして超高速でスライドする自動ドアを分厚い拳で突く。
「破ァーッ!」
私が想像したのは、自動ドアのガラスが粉々に砕け散るところだった。
だが、自動ドアが案外に硬かったのか、それとも俵さんの拳が凄まじいのか。
どちらにせよ、人間業じゃない。
両のドアは砕けることなく、そのまま吹き飛び――エントランスホールの奥の壁まで何十メートルも吹き飛んで行った。
「風通しの良い家になったな」
堂々とエントランスホールに入っていく俵さんに対し、私はおずおずと入っていく。入ったこともないような広いホールだった。事故物件というか事件を起こす側の物件ということも一瞬忘れるほどに私は気圧されていた。テーブルを運び込んだらそれだけでパーティーの会場になりそう……だなんてことを思ってしまう。
「エレベーターを使いたいところだが、ま、非常階段だな」
「そうですね」
虹彩認証システムのあるエレベーターは、少なくともオーナーと手続きをしていない俵さんには使えないらしい。
もっとも、認証の問題を突破出来たとしてもとても使う気にはならないだろう。
ごう。
非常階段を探している途中に音がした。
エレベーターが稼働する音だ。
住人のいない、このタワーマンションで本来ならば聞こえるはずのない音だ。
話に聞く……事故物件一級建築士だろうか。
「試してみるか」
俵さんがスマートフォンを取り出し、言った。
「えっ?」
「心霊写真は知ってるな」
「幽霊が写ってる写真ですよね」
「ま、そんだけわかってくれてりゃオッケーだ」
俵さんがエレベーターに向けて、カメラアプリを起動し、写真を撮った。
「わっ……」
思わず声を上げてしまったのは、その写真に写ったものを見たからだ。
心霊写真自体は映画やテレビで何度か見たことがある。
本来あり得るはずのない場所に手や顔が写っていたり、あるいは被写体の何かが欠けていたりして思い返すだけで不気味な気持ちになる。
けれど、俵さんが撮った心霊写真は私が今までに見たことのない奇怪なものだった。
今、私の目には何も映っていない。
しかし、俵さんが撮った写真には手が写っていた。
『オマエヲコロス』
エレベータードアに青ざめた手が突き刺さり、そのように文字を形作っていたのだ。
「こっ……これは……!?」
「安心しろ、カメラアプリの手に余る霊なら俺のスマホは爆発してる」
スマートフォンを仕舞い、俵さんがこともなげに言う。
「少なくとも、大ボスが今すぐに来るワケじゃないらしい……」
チン。
エレベーターの到着を告げる高い音が鳴った。
扉がゆっくりと開く。
その狭い箱の中には、半透明の幽霊が百匹ぐらい詰まっていた。
【つづく】
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