6.俵さんについて


 ◆


 時速285キロメートル。

 始発で乗り込んだ新幹線はそれぐらいの速度で東京へ向かうらしい。

 窓の外から見える景色はほんの少しだけ目に留まったかと思えば遥か後方に置き去りにされていく。

 現在があっという間に過去に……まるで、時間の流れがそのまんま可視化されたみたいだ。

 けど、今の私の人生はきっと新幹線よりも速く動いているだろう。

 命を狙われたかと思えば助けられて、そして今、私自身の意思でその原因のもとに向かっている。

 俵さんが言うには明日には帰れるであろう場所のはずなのに、もう静岡は遥か遠くに過ぎ去って見えない。


「俵さんは何ていうか……どういう人なんですか?」

 高速で移動する新幹線の車内で、あまりにも遅すぎる問いを私は意を決して発した。

 結局、俵さん自身のことについては名前ぐらいしか教わっていない。

 それになんで私を助けてくれるのかもわからない。

 もう少し早くに聞くべきだったのだろうけれど、そういうことを聞くのを後回しにしてしまうほどに色々ありすぎてしまった。

 そして、さっと聞いてしまえば良いことを中々に聞けなくなってしまうのが私だ。

 煩悶の末にとうとう新幹線の車内で聞くことになってしまった。


「言ってなかったか?」

 その横にきょとん、と付けたくなるようなとぼけた顔をして俵さんは私を見た。

 ぱっと見は巌が雨と風に削られて出来た自然の彫刻みたいにゴツい強面の俵さんだが、大型犬みたいに目一杯に感情を浮かべるその顔に怖さはない。

「名前だけしか」

「うっかりしてたな」

 そう言って、俵さんが頭をかきながら苦笑する。


「ま、コレが一番の自己紹介だと思っちまうからな」

 そう言って、俵さんが拳を握りしめる。

 指の一本一本が太くて、そして硬そうだ。

 昔見た岩を手の形に削った彫刻を思い出す。

 その手のひらの中に野球ボールを握りしめたら、ビー玉サイズに縮んじゃうんじゃないかってぐらいに力強い。


「すごい筋肉……」

「ま、代わりにおつむは全く鍛えられてねぇんだがな」

 そう言って、俵さんが呵々と笑う。

 私もそれにつられてクス、と笑う。

 俵さんはそういう思わずこちらも笑ってしまうような笑顔をする人だ。


「……答えづらいことを聞いてしまいましたか?」

 そう言ってしまった後に私は「すみません」と言って頭を下げる。

 結局、俵さんは私の問いに答えたわけではない。

 それはごまかしだったのかもしれないし、シンプルにそれで自己紹介を済ませてしまう人なのかもしれない。

 けど、わざわざ私がそれを口に出す必要はなかった。


「いや……答えづらいってワケでもないんだがな」

 俵さんが困ったように頭をかく。

 私はもう一度、「すみません」と言った。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 許されるならこの場から逃げ出したくてたまらなかったが、私の席は窓側で俵さんの巨体を横切るには俵さんの協力が必須だった。


「どうも俺は自分について話すのが苦手でな……」

 俵さんはそう言った後、「すまなかったな」と深く頭を下げた。

「ええっ!?」

 突然に頭を下げられて困惑するのは私の方だ。

「そんな頭を上げてくださいよ!!」

「俺については何の説明もしないまま……っていうのは流石に不誠実過ぎたな」

「いや、そんなことはないです!!説明っていうなら十分してくれましたし、私の命を助けてくれたじゃないですか!!誠実さの証明っていうならお釣りがくるぐらいに貰ってますよ私!!」

 あわあわと両手を振りながら、私は俵さんにまくしたてる。

 勢いづいて話すのは久々で唾が飛んでしまったんじゃないかと若干不安になる。

 ただ、それでも俵さんという人を信じていることは伝えたい。

 そんな私の様子を見て、俵さんが微笑を浮かべる。


「……言いたくないというワケじゃないし、むしろ言えるもんなら言いたい。ただ、そんなに面白い話でもないんだ。それでも聞いてくれるか?」

「聞いていいんですか?」

「聞いてくれるとラクになる話ってあるだろ?」

 誰かに話すと楽になる。

 その感覚自体はわかるけれど、私には話すような相手がいない。

 ずっと内に溜めていた私の両親との最期の会話は、俵さんに話すことで少しだけ楽になった。

 俵さんも同じなのだろうか。


「ガキの頃にな、母親と二人で事故物件に住んでたんだ」

「えっ……じゃあ俵さんの口からも小銭が出たり……メリーさんからのイタ電が……」

「いや、オーソドックスな奴」

「そうですよね」

 事故物件にオーソドックスも何もあったもんじゃないはずなのだが、私の中の事故物件のイメージはすっかり、あのタワーマンションになってしまっていたらしい。


 ◆


 安い家だった……らしいな。

 まあ、ガキだから具体的な賃料なんかは知らないけれど、相場の三割ぐらいだったらしい。

 親父が蒸発して、頼れる親戚もいない。

 元々住んでいた家も住めなくなり……とにかく金がなかったからな、住む場所なんて選べる状況じゃなかったんだろうな。

 保証人に出来る人間だっていないんだから、もしかしたら事故物件の告知義務を消すための時間稼ぎみたいな家だったのかもしれないな。


 小学生の頃の俺は母親と二人でそういう家に引っ越すことになった。

 前住民の使っていた家具だってついてくるんだから、オトクが過ぎて、母親には選択肢がそれ以外に無いって思えたんだろうな。

 もっとも、今考えりゃ頼れるものは色々あったんだろうけど……貧すれば鈍するのはしょうがないだろ?


 マンションの一階の103号室で、母親には何も言われなかったけど、入った瞬間に背がぞわってなって、気味が悪くなったことを今でも覚えてるよ。

 初日からさ、悪夢を見たよ。

 前の住民が残した布団にくるまって、眠ってたら……見たこともないおっさんがあの部屋の中で俺に「ようこそ」って言いながら、俺の首を絞めてくるんだ。

 おっさんの首にはおしゃれなネックレスみたいに縄がかかっていてさ。


 絶叫しながら飛び起きて、心配そうに俺を見る母親に「大丈夫」って言いながら、俺は首を思わず撫でてたよ。

 怖くて怖くてたまらなかったし、本当は「大丈夫」なんて言いたくなかったよ。

 でも、母親が困ってるのはわかっていたし、そんな状況で家族に迷惑かけたくないだろ。


 ま、我慢したからってどうにかなるワケじゃないんだけどなぁ。


 いっつもな、天井からぎいぎい音が聞こえるんだ。

 首吊ったおっさんの体重を支えてる天井が悲鳴を上げてるみたいな音がさ。


 どれだけ掃除しても、知らない誰かの足跡がくっきりとつくし。

 糞と小便の臭いがどっかから漂ってくる。

 首吊って死ぬと、シモが緩んで……まぁ出てくるらしいっていうのは後から知ったよ。


 毎日怖かったよ。

 家になんか帰りたくなかった。

 でも、そこが俺の家なんだよなぁ。

 学校や友達の家なんてもんはいつまでも居座ってられる場所じゃない、帰るしかないんだ。


 俺は当然キツイよ。

 けどさ、もっと辛かったのは母親を見ることだったね。

 首の絞まった後を安い化粧で隠して、なにもないような顔をしてるんだ。


 ガキの俺は怖いことよりも悲しいことのほうが辛かったよ。

 母親に何もしてやれねぇんだ。


 小賢しく家庭の事情なんてものを考えないで「引っ越したい」って素直に駄々こねてれば良かったのかなぁ。

 でも、俺が何も言わなかったから……ある日、母親がぼーっとした顔をして、自分の首を自分の手で絞め始めたんだ。


 止めようと必死だったよ。

 やめてって必死で叫んだけど、今考えたら俺は誰に向かって叫んでいたんだろうな。母親に言っていたのか、幽霊に言っていたのか。


 やめて、やめて、って叫びながら母親の両腕に縋りついていると耳元で声がしたんだ。


『やめないよ』

 いつも夢の中で聞くおっさんの声だよ。


『全員、呪ってやる』

 声も、死のうとする母親も何もかもが怖くて怖くて泣いていたけど、けど俺しかいなかったからさ。必死に母親の両腕に縋りついていたよ。

 でも母親はすごい力でさ、俺が小学生のガキだからってのもあるけど……全く動かなくてさ。


 そんな時に……天井から忍者が現れたんだよ。


 ◆


「忍者が!?」

 思わず私は声を上げた。

 先程まではホラーだったのに、急に現れていいものなのだろうか、忍者が。


「アンタ、サプライズ忍者理論って知ってるかい?」

「いえ……?」

「話の途中に忍者が突然現れて大暴れする展開の方が面白いようなら、その脚本は作り直したほうが良い……っていう創作の理論らしいがね、ま、俺の人生は幽霊が大暴れするよりも、忍者が大暴れした方が面白いっていうのを神様は考えたんだろうな」

「は、はぁ……」

「それからは忍者が大暴れさ……」


 ◆


 天井がどんでん返しめいてくるりとひっくり返り、そこから現れた忍者が空中で三回転の後に床に着地した。

「……に、忍者?」

 もうパニック状態の俺をよそに、それこそフィクションの中から抜け出してきたみたいな黒装束の忍者がさ、俺の頭に手を置いて言うんだ。


「心配はないぞ、忍者は最強の生命体だ。悪霊も忍者には勝てない……イヤーッ!!」

 と同時に、忍者が手裏剣を三枚投擲……すわ、母親に命中するか。と思いきや。悲鳴が上がった。

「グワーッ!!」

 俺にもはっきりとわかったよ。

 三枚の手裏剣は母親をすり抜けて、母親に取り憑いていた悪霊に命中。

 そいつを壁に縫い付けた。


「忍者は君を助けに来たんだ」

 そして忍者はヌンチャクを懐から取り出すと、乱打だよ。

 もう可哀想になるぐらいに悪霊をボコボコにするんだ。

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」

「グワーッ!グワーッ!グワーッ!グワーッ!グワーッ!グワーッ!」

 悪霊は爆発四散。


「悪霊よ……貴様らがどれだけ邪智暴虐を働こうと、忍者がそれを許すことはない。さらばだ!」

 そして、悪霊を徹底的にボコボコにすると忍者は去っていった。


 ◆


「で、俺も決めたんだ。あの時の忍者みたいになろうって、それで……まぁ、寺で修行を積んで、悪霊や怪異の類と戦える法力とフィジカルを得たってワケよ」

 そう言って、俵さんが笑う。

 ヒーローに助けられた少年がヒーローにになる、文句なしの英雄譚だ。


「一人だけで十分だろ、ああいう寂しくて悲しいガキは」

 けれど、私には俵さんのその笑みが、ほんの少し悲しげに見えた。


「助けてもらえないってのは辛いことだからなぁ……だからさ、俺は決めたんだなぁ。理不尽に襲われた奴を理不尽に助けてやりたいって」

 そう言って、俵さんが頭をかく。

 ただ、それで私は俵さんが私を助けてくれる理由がわかった。

 私はもう一度、頭を下げる。


「俵さん」

「うん?」

「助けてくれてありがとうございます」

 ごめんなさい――出てきそうになったその言葉を抑えて。


「おう」

 それから私も俵さんもしばらくは無言だった。

 車内アナウンスが上野駅への到着を告げた。

 東京駅への到着は時間の問題だ。


 頭の中に嫌な考えが浮かび上がってくる。

 俵さんを助けてくれた忍者なんてものは本当にいたのだろうか。

 私に気を遣って作ってくれた茶番劇なのじゃないだろうか。

 いや、本人がそう信じたい話じゃないのだろうか。

 母親を殺された少年が、それでも人を助けるために強くなった姿を私は思い浮かべる。


 けれど……


――破ァァァァァッ!!!

――ぎゃあああああああああああああああ!!!!!!


 私は思い出す。

 ビッグ・ザ・メリーさんを討滅した俵さんの拳を。

 私に襲いかかったホラーを、滑稽な茶番劇に変えてくれた俵さんの強さを。


 きっと、私のことを俵さんが助けてくれたように、俵さんのことを誰かが助けてくれた人が”いた”のだと信じながら、私は車窓から移り変わる風景を眺めた。


【つづく】

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