高木浩介の場合
今日は会社の上司から勧められたセミナーがあり、そちらに行くところだった。
セミナーは午後一時から始める予定で、少し早めのお昼ご飯をと思い、近くのショッピングセンターのフードコートでラーメンでも食べようと思っていた。
そういえば周りで悲鳴があがったと思ったら、衝撃を受けた記憶がある。
そしてその後この場所にいた。
「貴方は頭を強く打って、ほぼ即死でした。苦しむ時間も短かったと思います。当たった場所が悪かった。柱に後頭部をぶつけて、頭が変形して」
「いや、もう結構。ありがとう」
グロい想像をしてしまった。
そうか。俺は死んだか。
幸い結婚もせず働いてきて、養うべき家族はいない。
両親も昨年亡くなったし、兄は結婚して家族と幸せに生活してる。年の離れた妹は最近結婚したばかりで、環境が変わってまだ不安定だから、俺が死んだら動揺するかもしれないが、旦那はよく出来た人だし、兄もいれば大丈夫だろう。
そろそろ嫁さんを探すかと思っていたが。
貯蓄も少しだがあるし、親の遺産もまだ手をつけてないから、兄と妹に遺せるものもある。
部屋はちょっと汚いが、兄が掃除してくれれば…いや、兄は掃除などしないな。遺品整理は妹がするだろう。あれやこれや見られるとおもうと死んでも死ねるが、もう仕方あるまい。
「俺たちの死はずいぶんなニュースになったんだろうな」
「そうですね。ニュース速報が流れる程度にはニュースになってましたよ。五人死亡、三人重体、五人重傷、
十四人軽症ということで」
「ありがとう。ずいぶん詳しく教えてくれるんだな」
「このぐらいはたいしたことないので」
そうか。
五、三、五、十四というと被害者二十七人?
それは結構な大事件だな。
突発的に人を殺したくなる因子とは物騒なものだ。
しかし、そんなもので死んでしまうとは。
読みかけの漫画、子供の頃から呼んでいた続き物の漫画が終わるまでは読みたかったな。
あと、海外旅行ももっと行きたかった。
南米とかアフリカとかテレビでしか見たことないが、一回ぐらいは行ってみたいと思っていた。
いや、そもそも国内だって。
こんな風に死ぬとわかっていたら、もっといい飯もたくさん食えば良かったな。
堅実に生きてきたから兄と妹に遺せる物もあるんだが、もうちょっと遊んでもよかったよな。
「また質問してもよろしいですか?」
一番端の女性がまた質問するらしい。
彼女頭いいな。
こんな状況なのに、自分のことは聞かずに先のことを聞いているとか。
俺には出来んが、せっかくだから、彼女の質問で情報を集めるか。
「私たちは死んだと言うことですが、彼の身体はもう生きていける状況じゃないということですよね。ということは新しい世界で新しい身体をいただけるのでしょうか?」
「君たちは赤子から生き直してもらうことになる。一度死んだのだから、新しく生き直しだな」
「赤子から。そうなると今の私の記憶は無くなるのでしょうか?」
「残してもいいが、無くすことをお勧めする」
「それはなぜ?」
「文化水準の異なる世界もある。君たちの世界には技術を与えて暴走させていた。技術がそれなりにあったということだ。便利な記憶を残したまま、新しい世界に適応するのは辛いだろう。そもそも知らなければ不満もなく生きていけるだろう」
なるほどな。
確かに、電子決済もない、そもそも電気があるかもわからない世界で、元の世界の記憶を維持して生きるのは辛いだろう。
掃除や洗濯、料理だってまったく違うかもしれない。
味覚は贅沢に慣れると落とすのが難しい感覚だ。まずい物を平気で食うにはうまいものの記憶がない方がいいだろう。
「記憶を残すときに部分的に残すことは?」
「例えば?」
「例えば貴族社会に行くときに、貴族社会になじめないときでも最低限の生活が出来るように、裁縫の知識だけ残すとか」
裁縫。
貴族社会というなら確かに布とかドレスとかはありそうだから、裁縫の技術はいいかもしれないな。
「可能ではある。ただ、赤子が持っているのはおかしいと思うので、五歳ぐらいでその知識をなんとかく思い出す、でよいか?」
「ありがとうございます」
技術の持ち出しか。
だが、思いつくのは貴族社会ぐらいだな。
温暖、灼熱、凍結、貴族、混沌だったか?
灼熱世界に役立つ知識とか、凍結世界で役立つ知識とかわからんよ。エアコンの作り方を知っているわけではないし。
水を巻いたら揮発熱で涼しいとかそのぐらいか?
灼熱世界で水がそんな使い方出来るほど余っているとも思えないし。
郷に入っては郷に従えばいいんだと思う。
記憶などなくてもいいな。
そうだな…
「俺も一つ訊かせてくれ。例えば少しだけ子供の頃に運動を好きになるみたいなことは出来るか?俺は運動があまり得意ではなかったが、子供の可能性はすごくて小さい頃からよく動いていたらどんな子供でも普通に跳び箱もできる、みたいなニュースをみたことがある。それならその世界の常識の範囲で少しだけ運動が好きな子供だとうれしいかもしれない」
運動が出来る子はそれだけで評価されたからな。
どんな世界かは知らないが、技術が無いなら身体能力は大事である可能性はある。
それに力があることはそれほど悪いことではないだろう。
「その程度なら可能です」
一番右に座っている人が答えた。
この人は女性か?
似たような容姿だが声が少し高いな。
「他に尋ねたいことはあるか?」
中央の男が俺たちに聞いた。
「あの、この子と私は同じ場所に行けないのでしょうか?」
中央に座る母親がそう聞いた。
子供は母親にしっかりと抱きついている。
そりゃあ、親子だと離れるのはつらいよな。
それにあの子まだ何を話されているか理解していないだろう。
あの親子が一番辛い選択をさせられるんだろうなと俺は思ったし、どうやら向こうの女性もそう思ってそうだ。
気の毒そうな目で見ているな。
同郷としてなんとかしてやりたい気もするが、記憶を無くすなら親子って関係あるだろうか?
「我々とのゲームに勝てば好きな世界に行ける」
「ゲームを受けます」
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