9.絶対、何があっても離さないから①

「……38度、3分……」

「ほんと……?」


 お兄ちゃんから受け取った体温計には……ほんとに、そう表示されてる。


「ど、どうしよう……!」

「……ただの風邪だとは、思うけど……」


 あの秘密のお出かけから3日。お兄ちゃんが朝から熱っぽそうで、今体温を測ったところ。

 お母さんにもお父さんにも、助けてもらえない……私しかいないんだ。


「と、とりあえず、お薬とか飲み物、買ってくるね!」

「ん……ばれない……?」

「おこづかいで買うから大丈夫!」

「……そこまで、しなくていい……」


 お兄ちゃん……やっぱり、私に負担をかけたくないんだ。でも……。


「遠慮しないで! 私がお兄ちゃんの風邪を、早く治したいの!」

「……ん……」


 そう。私はずっと、わがままを聞いてもらってる立場なんだから!


「……分かった……じゃあ、そうして……」

「うん、お兄ちゃんは自分のこと、何も悪く思わなくていいからね!」


 部屋に戻って、買い物の支度しないと!


「行ってくるね。お兄ちゃん、心配しないでね……!」


 私……お兄ちゃんに、風邪を引かせちゃったんだ。あの日、外に連れ出して、たくさん汗をかかせちゃったから。

 心配しないでって言ったけど、私が今心配でたまらないよ。

 ずっと引きこもってるお兄ちゃんに、病気と戦う力は残ってるのかな。お母さんたちがいる間、一人で大丈夫なのかな……?

 もし、治らなかったら……どうすれば……。




 今日の晩ご飯は、タラのムニエルと大根の洋風煮に、かぼちゃスープ……だけど。

 お兄ちゃんの分は、炊いたご飯とムニエルの代わりに、タラを細かく入れたレトルトのお粥。これで、喉への負担が少ないメニューになってるはず。

 お母さんたちにばれないように、なんとか栄養をつけさせてあげなきゃ……!


「お兄ちゃん、ご飯だよ!」


 晩ご飯にしてはかなり早めの時間だけど……しょうがないよね。


「……ん……ありがとう……」


 ベッドの上のお兄ちゃん、いつもよりさらにゆっくりしゃべって、喉をさすってる……。


「体、起こせる?」

「……大丈夫……」


 ゆっくり上半身を起こして、床に足をおろして、私のほうに顔を向けてくれた。

 もう、見るからに弱りきった動きになってるよ。ほんとに、ただの風邪なのかな……?


「一応、喉に負担がかかりにくいように作ったんだけど、食べられそう? 食欲はある?」

「……ないけど……食べる……」

「……うん、分かった! 私がお口まで運ぶから、あーんしてね」


 とりあえず、スープから。これで無理なら、もう食事は諦めないとダメかな……。


「あーん!」


 大きめのスプーンですくって、お兄ちゃんのお口に入れる。

 スープを飲み込むお顔は……目をぎゅってつぶってて、とっても痛そう……。


「大丈夫……?」

「……んっ……」


 お兄ちゃん……涙ぐんでる。


「……結華の、料理、なのに……喉……通りにくい……」

「お兄ちゃん……っ」


 私まで、苦しくなってくるよ……もう、諦めたほうが……。


「……我慢、できるから……食べさせて……」


 ああ……お兄ちゃんが、お口を小さく、開けてる。

 ダメだ。頑張ってくれるなら、苦しそうでも、食べさせてあげないと……。


「ごめんねっ……!」


 手の震えを抑えて、なんとかスプーンを差し伸ばした。

 私が折れたら、もうお兄ちゃんを支える人はいないんだ……!



 ◆



 お兄ちゃんが熱を出してから4日目の朝。

 熱は下がるどころか、初日の晩にぐんと上がってから、ずっと39度台。

 もうお兄ちゃんは水分補給するのもやっとで、口数もめっきり少なくなった。


「体温、見せて?」

「……」


 黙って手を震わせながら、だけどそっと丁寧に体温計を渡してくれる。

 お兄ちゃんがぼんやり眺めてた、画面の表示は……。


「40度……」


 ちょうど、40℃。

 このままだと、お兄ちゃんは……。


「……お兄ちゃん、お話できる?」

「……ん……」


 お兄ちゃんは喉に手をあてながら、かすれた小声を出した。


「……できる……」

「病院、行こっか。今からお父さんに電話して、迎えに来てもらうね」

「……分かった……」


 ……間に合ううちに、決断しないと。


「あのね。私、全部聞いちゃったんだ。会ってたことを知られたら、お兄ちゃん、追い出されるんだよね」

「……それは……」


 こんなに仕草がつらそうでも、顔には出てなかったのに……私の言葉を聞いた瞬間、お兄ちゃんは弱った表情になった。


「……ごめんね。私、お兄ちゃんを守りたい。約束、破っちゃうけど……せめて、お兄ちゃんが元気になるまでは一緒にいられるように、お母さんたちにお願いさせて」

「……でも……」

「どうしても嫌なら、ここを出ていくの、無理には止められないけど……お兄ちゃんが元気なときに、一度ちゃんとお話ししたいの。それも、ダメ……?」

「……」


 弱った様子のまま、苦笑いして。


「……分かった……結華が……そう、したいなら……」


 ……お兄ちゃんは、私の最後のわがままを、聞いてくれた。

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