8.どうかこの夢が、いつまでも続きますように②

「……ふう……ふっ……」

「お兄ちゃん、一旦休憩しよっ」


 この坂道を上ったら、もうすぐ展望台。

 だけど……傾斜が緩やかなこの坂でも、お兄ちゃんにはきついみたい。


「……でも……時間が……」

「大丈夫、まだ9時前だから。十分間に合うよ」


 そう、この秘密のお出かけは、午後11時っていうタイムリミット付き。

 それ以降に子どもだけで外出するのは条例違反で、お兄ちゃんは身分証明ができるものを持ってなかった。

 流星群のピークはもっと深夜だけど、万一補導されたときのリスクを考えたら、この制限は受け入れないと。


「ほら、ここ座ってて。そこの自販機でお水買うね!」


 ベンチに腰掛けたお兄ちゃんは、おでこに汗を流してる。

 人目がなくなってきたから、もうフードはしてないけど……それでもつらいよね。


「はい、どうぞっ」

「……ありがとう……」


 静かな夜の中、薄い唇をペットボトルに付けて、隣でお兄ちゃんが水を飲んでる。

 急がなくていいんだよ。この時間もとっても幸せだから、ゆっくり過ごさせて。


「……体力、落ちてるかも……昔も、こんなのだったかも、しれないけど……」


 道の向こう側を眺めながら、お兄ちゃんがぽつぽつと呟いた。


「……仕方ない……僕が選んだ、道だから……」


 こんなにか弱いお兄ちゃんは……それでも、一人の人生を歩むつもりなんだ。





「もう少しだよ……! 足元を確かめて、一段一段、ゆっくりね!」


 カツン……カツン。

 間隔の長い足音を鳴らしながら、最後に待ち構えてた階段を、少しずつ上っていく。


「……はあっ、はあっ……」


 お兄ちゃんがこけちゃっても、私の力ならなんとか手を離さずにいられるとは思うけど……気を付けないと。


「……はあっ……着い、た……」

「やったー、到着ーっ!」


 展望台の上は広く開けてて、空を360度見渡せる。流星群、ちゃんと見れそう!


「……人……あんまり、いない……」

「ほんとだねー。確かにそこそこ穴場のとこを選んだんだけど、それにしたって運が良いね!」


 まっすぐ進んで、南に面してるほうへ。ここまで来れたんだから、もう焦らなくて大丈夫。

 端まで来て、お兄ちゃんは柵を掴んで。


「……これが、この街の、夜景……」


 息を、大きく吸い込んだ。


「……僕たち、こんな都会に、住んでたんだ……」


 網を描いて広がる道路。その網目に立ち並ぶビル。

 それを映す川の水面。そこにまたがるアーチ橋。

 星空が落っこちてきたみたいに、その全部が、煌めいてる。


「……夢みたいに、綺麗……」


 幸せそうに呟いた、お兄ちゃんの横顔も……夢みたいに綺麗。


「ふふっ。ほんとに……夢見心地だね」


 分かってる。

 だって……これは、夢だから。




 そう。全部、夢。お兄ちゃんと出会ったときから、今までずっと続いてる夢なんだ。

 だから、一緒に住みはじめた街の夜景も、それを眺めるお兄ちゃんの瞳も、こんなに綺麗に煌めいてる。


「……もうちょっとだけ、そっちに寄っていい?」

「……うん……」


 お兄ちゃんとの間を、体が触れるか触れないかのところまで狭めて。


「……お兄ちゃん」


 私たち、まるで……。


「とっても、幸せだね……」


 ここが……夢と現実の、境目。

 これ以上距離を縮めたら、これ以上言葉をはっきりさせたら、夢はもう終わっちゃう。

 いつかは覚めてしまうけど、せめて、自分からは覚ましたくないから。


「ん……」


 目を覚まさなきゃいけない朝は、今も近づいてきてて、もしかしたらもう、それほど遠くはないのかもしれない。

 それでも……お兄ちゃんは私と出会ってくれて、こんなに幸せな夢を見せてくれた。それだけで、私は十分。


「……連れてきてくれて、ありがとう……」


 だって、お兄ちゃんもこの夢の中で、こんなに幸せそうに微笑んでるんだから。





「……そういえば、流星群って、いつ……?」

「うーん、もう見れる時間にはなってるはずなんだけどね」

「……ん……」


 お兄ちゃん、夜空を見渡して……なんだか不思議そうな顔をしてる……?


「……見えないけど……」

「都市部のど真ん中よりは見えると思うんだけどねー。辛抱強く待ったら、ひとつくらいは見つかるかな?」

「……ひとつくらい……?」

「うん? どうしたの?」


 もっといっぱい見たいのかな……?


「……流星群って、もしかして……ビュンビュン、飛んでこないの……?」

「えっ……お、お兄ちゃん……!」


 ちょっとそれ、かわいいんだけど!


「えっとね、条件が整ってても、見れるのは1時間に40個ってところらしいよ?」

「……そっか……」


 お兄ちゃん、夜景のほう向いちゃった。期待外れだったのかな……。

 ……あっ!


「……あ……」

「流れ星!」


 南の空の、低いところに……!


「……結華も、見えたの……?」

「見えたよ! すごーい、多分あれって大きいやつだよ!」


 北の空が中心でも、空全体で見えるとは知ってたけど……ほんとにラッキー!

 お兄ちゃん、ひとつだけでも満足そう! やったねー!


「……流星群だと、ずるいかもしれないけど……お願い事、した……?」

「うん! でも3回はちょっと間に合わなかった、えへへっ」


 出待ちは確かにちょっと反則かもだけど、やっぱりしちゃったよ!


「お兄ちゃんは?」

「……した……」

「どんなお願い事?」

「ん……」


 お兄ちゃん、ちょっと照れてる……聞かせてくれるかな?


「……その……」


 あ、笑顔に戻ってくれた……。


「……結華が……幸せな人生を、歩めますように……」

「……」


 私は……。

 とっさに、うつむいちゃって。


「ありがとっ……」


 こんなに幸せな夢なんだから、泣いちゃダメ。

 お兄ちゃんにこんな顔、見せちゃいけないの。

 なのに……抑えられなくて、涙が、溢れてくるよ。


「……結華は……?」


 こんなの叶いっこないって、分かってる。

 だけど、それでも、お願い。


「えへへ……ごめんね、秘密っ……」


 ……どうかこの夢が、いつまでも続きますように。

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