第4話



 一華の勤め先『三日月亭』は、開店と同時に客が流れ込んでくる。

 昼間は主に人間が、夜間は個室を利用するあやかしたちで繁盛していた。


「一華ちゃん、お疲れさま」


 いつも通り昼の最繁時の業務を終えた一華が休憩室に入ると、女将の 芽亜里めありが明るく出迎えた。

 一華が軽く会釈をすると、女将は楽しそうに笑って紙袋を差し出す。


「はい、これ。誕生日の贈り物。朝はばたばたしていて渡せなかったから。旦那と私からよ」


 就業時間前に祝いの言葉をもらっていた一華は、まさか女将と大将から貰えるとは思っておらず、目を丸める。


「女将さんと大将からですか?」

「ふふ、そうよ。心ばかりの品だけど、あなたに似合いそうなものをあの人と選んだの」


 袋の中には薄手の羽織りと、腰につける飾り紐が入っていた。決して安くはない贈り物に恐縮してしまう。


「遠慮はしないでね? いつも頑張ってくれている一華ちゃんにずっとお礼をしたかったの。だけどあなたって、なにか特別な理由がないと快く受け取ってくれないでしょ?」


 だから今回、誕生日の贈り物として渡すのだと言って女将は笑った。

 遠慮ばかりするのも失礼だと感じとった一華は、紙袋を抱きしめて女将に向き直る。


「女将さん、ありがとうございます。大切にします。早く大将にもお礼を言わないと」

「それはお店を出るときで大丈夫よ。早く着替えてゆっくり休んでね」


 中休みとして、一華は十五時から十九時まで休憩時間をもらっていた。

 女将には店の来客用の部屋か、一度施設に帰って休んでいると思われているようだが、実はこの時間を利用して一華は仕事を掛け持ちしていた。


 三日月亭からそれほど遠くはない中位区域の中心街にある和菓子屋で、箱詰め作業を手伝っているのだ。


 三日月亭だけでもかなりの額を稼いではいるが、璃音と一緒に生活していくためにも、資金は多いに越したことはない。

 それに一華は毎月、施設にもお金を入れている。強要されているわけではないものの、必ず渡しているものだ。そのために、稼げるだけ稼ぐ必要がある。


 一華は支度を整えると、荷物置き場に畳んだ前掛けを置いて休憩室を出た。

 途中で厨房に寄り、大将に贈り物のお礼を告げると、女将と同じような笑顔で「遠慮はするなよ」と言われてしまった。


 和菓子屋の箱詰め作業は、時給換算の日払いである。

 およそ三時間半と決して長くはない時間だけれど、塵も積もればなんとやら。これまで手をつけずにいたおかげで中々に貯まっていた。


 その日の給与をいただき和菓子屋の裏口を出たあとは、近道を使って三日月亭へと足早に戻る。

 休憩室で身なりを整え各テーブルを確認。補充を済ませて、三日月亭の夜営業が始まる。


(よし、もうひと頑張りだ)


 前髪は硝子細工の髪留めを、唇には淡い紅を、腰にはさっそく取り付けた飾り紐。いまならばなんでもやれそうな気がする。一華は気合いを入れて業務に励んだ。


 昼間と違って酒類が多く出るため、自然と客同士の会話は大きく耳に入ってきてしまう。

 一華は右へ左へ忙しなく動きながらも、テーブル席の客が話していた話題が気になっていた。


「聞いたか、人攫いの噂。若い女子どもばかり狙うっていう」

「ああ。この辺りは被害がないらしいが、ほとんど下位の人間だろ? 実はもう何人もいなくなっているらしいじゃないか」

「九尾様が統括してる下位区域だとよ。いやだねぇ、わざわざ国都内で人攫いとは」


 夜ノ国の中心ともいえる国都・東ヶ京とうがきょうは、妖五大家門の名のもとで、五つの街に振り分けられていた。

 一華が住む黒曜街は、黒の大天狗家の管理下にある。とはいえ下位区域ともなれば、直接手を回しているのは分家筋のあやかし家だ。


(いつ黒曜街の下位区域で人攫いの話が出るかわからないけど、大天狗家上の方の耳には入っているのかな)


 あやかしと人間には、それぞれ街の警備を生業とする者たちがいる。

 怪異を退けられるあやかし集団のさらに下に人間という組織図にある警備隊は、昼夜問わず交代で見廻りをおこなっていた。

 怪異に出くわそうものなら、あやかしたちは即刻排除に動く。

 人間の警備隊が出くわせば一般民に被害が及ばぬように足止めと、あやかし側に報告と要請を入れるという流れになる。

 そしてもちろん、警備隊内のすべての情報は、大天狗家に伝えられるのだ。


(だけど嫌な話……人攫いだなんて)


 悪事をはたらく者が早く捕まることを祈りながら、一華は空の徳利とっくりをさげるのだった。


 ***


 夜の十時過ぎ。一華は早めに仕事を切り上げることになった。

 せっかくの誕生日なのだからと女将が気を利かせてくれたのである。

 女将曰くもっと早めに上がらせたかったようだが、一華としては十分な心づかいだった。


(お給料はいつもの退勤時間までつけてくれるって言っていたけど、いいのかなぁ……)


 そう考えるものの、女将も大将も一度決めたことを覆すつもりはないのだろう。

 一華は早々と退勤させられてしまった。


(この時間ならまだ璃音たちも起きているよね。部屋で話もできそう)


 明日は日曜日。学び舎組の子供たちは休日だ。

 休みの前日は多少の夜ふかしも許されているため、夜は誰かの部屋に集まって遊んでいることが多い。


「……うっ」


 ふと、一華の歩みが止まった。

 突然これまでに感じたことがない眩暈が襲ったからだ。


(なに、これ? 足元がふわふわする)


 言いようのない浮遊感に戸惑いながら、どうにか気を紛らわそうと遠くの空に視線を向けた。

 ちかちかと、赤や橙の光が散っている。こんな場所からでも、桔梗楼ききょうろうの灯火ははっきりと確認できた。


(……よかった、すぐに治まった)


 楼閣を眺めていれば、徐々に眩暈が弱くなっていく気がした。


(なんだろう、貧血? それとも寝足りなかったとか)


 一華はほっと息をついて、もうしばらく目に映る桔梗楼を眺めた。


 桔梗楼とは、黒の大天狗家が国都に構える楼閣のこと。

 妖五大家門には都以外にも国内に管理すべき割り振られた土地があるが、それぞれ拠点として国都に立派な楼閣を築いている。

 下位区域からでも遠目に確認できるほど大きく豪奢な建造物は、空に浮かぶ摩天楼のようできらびやかだ。


(……そろそろ帰ろう。それに、お客様が言っていた人攫いにも気をつけないと)


 すっと一華は夜道だけを見据える。

 普段から目視できるといっても、一華のような下位の人間にとっては風景の一部に過ぎない。

 おそらくあの高い建物のどこかには、黒の大天狗家当主もいるのだろう。まったく想像もつかないけれど。


(街に出回っている大天狗様の絵姿は、どれも天狗の面を被っているんだよね。いったいどんなお顔をしているのかな)


 そもそも妖五大家門のあやかしとは、国の柱であり、天上人のような存在である。

 本来ならば想像することすら不敬にあたるのかもしれない。


(どんな顔なんだろうって考えるくらい、罰は当たらないよね)


 この国で最も尊ぶべきあやかしのご尊顔を拝見する機会など、自分には一生巡ってこないことなのだから。


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