第3話
三月十二日。
その日は、頭痛に加えどこか熱っぽさを感じる朝であった。
昨夜も遅い帰宅だった一華が食堂に顔を出すと、すぐさま施設の子どもたちに取り囲まれる。
「一華ねーちゃん、お誕生日おめでとう!」
「これね、おてがみ書いたの」
香りの良い花束や可愛らしい便箋。ほかにも腕に収まりきらない贈り物が次々と渡された。
ほしぞらの家は最年少が一歳の幼児、小・中学生が十九人、そして最年長の一華と二十人の孤児が暮らしている。
一華を本当の姉のように慕う子どもたちは、彼女の驚きに満ちた顔に期待の眼差しを向けた。
「一華おねえちゃん、喜んでくれた?」
「……うん、すごく嬉しい! みんな本当にありがとう。手紙はあとで大切に読ませてもらうね」
「やったぁ、一華ねーちゃんうれしいって!」
「がんばって折り紙つくったもんね」
微笑んだ一華に、皆はサプライズ大成功と大喜びだ。
「一華
背後から声をかけられ振り返ると、そこには璃音の姿があった。
一華とよく似た顔立ちの璃音は、ほんの少し照れくさそうに目をそらしている。
「もしかして璃音も、なにかくれるの?」
「……うん、あげる」
璃音が手を前に出す。握られていたのは、髪留めらしき硝子細工だった。
「これなら、仕事のときも邪魔にならないでしょ。前髪もとめられるから」
「すごくきれい……これ、本当にもらってもいいの?」
「なにいってるの、あたりまえじゃん。そのために買ったんだからさ」
「ありがとう、璃音。お姉ちゃん、嬉しい」
感極まって頭をよしよしと撫でる一華に、もう子供じゃないんだからと璃音は後ずさった。そんな反応も姉としては可愛らしいものである。
そうして璃音は、ほかの子どもと同様に朝食の支度を手伝い始めた。
箸や皿を並べたり、ご飯をよそったりと、いつもより浮き足立った空気で食事の準備が進められている。
「本当は夕食にお誕生日会を開きたかったらしいんだけど……一華ちゃんは仕事だからって、みんな早く起きて待ってたのよ」
贈り物に埋もれた一華に声をかけてきたのは、施設長だった。
四十代後半の彼女は、年齢よりもずっと若々しく、優しげな笑みを浮かべている。
「そうだったんですね。みんなの気持ちが……本当に、すごく嬉しいです」
「あらあら、朝から涙ぐんじゃって。私が買ったものも喜んでくれたらいいのだけれど」
「え……これは、口紅ですか?」
まん丸とした手毬型の器。蓋を開けると、鮮やかな色の紅が収まっていた。
「ふふふ、そうよ。街の若い子にも流行っているものらしくてね。頬にも使えるのよ」
「こんなに良い物を私に……?」
「あなただってもう十八になるのだから。たまには色を差して楽しんでもいいと思うのよ。少しつけてみてもいいかしら」
「は、はい」
一華は戸惑いながらもうなずき、言われるがまま唇を軽く突き出す。
慣れないことだからか、妙に緊張してしまう。思わずまぶたを閉じると、くすりと笑う声が聞こえた。
「そう構えなくても大丈夫よ。ほら、とても素敵。似合ってるじゃない」
施設長に手鏡を渡された一華は、促されるがまま確認をする。
鏡のなかには、控えめに頬と唇を色づかせた自分の顔があった。
「わ、わ……なんだか」
「ふふ、気恥しい?」
一華はぎこちなく首を縦に振った。
いつもお洒落は二の次で、施設の手伝いや資金を貯めることばかりだった一華だが、こうして化粧をされると胸のあたりがそわそわしてしまう。
「私からの贈り物、気に入ってくれたかしら」
「はい。ありがとうございます」
「よかった。これであなたも……立派な大人の女性ね」
一華は施設のみんなから祝福され、温かな気持ちでいっぱいになった。
今日はこの紅を差したまま勤め先に向かってしまおう。いつもとは違った自分の顔に浮かれているのは自覚している。
けれど薄づきに塗られた唇の紅は、一華によく似合っていた。
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