友人の手製の本から

紫鳥コウ

友人の手製の本から

 赤朽葉あかくちば水干すいかんを着た男の嚮導きょうどうにより左兵衛府さひょうえふの衛士三名が、五条坊門の凌霄花のうぜんかずらの群れに埋もれている女を見出した。何も酔客を保護するのが河内かわちの衛士の役目ではない。女は何者かによって斜めに斬られて、蠅がたかりはじめていたのである。何者の仕業であるかを男に問い糾すが、薄霧のかかった初刻しょこくに発見したとうのみ。およそ夜半の犯行だろうと結論される。


 爾来じらい正刻せいこくになると女の歔欷きょきする声が聞こえるとの事で、その時には誰も凌霄花の群れには近づかぬという次第。何でも、誰のものか分からぬ黒鞘くろさやの太刀が、斜めに陽を光らせて刺さっていたこともあるという。又、縄にかれた飴牛あめうしがどうしたものか急に仰向けに倒れた事も一度や二度のことではない。


 女は一体何者であろう。そうした疑念はこの都の幾人かに好奇と怯懦きょうだ惹起じゃっきさせた。


 さらに、或る日の夜半、黒酒くろきに酔った舎人とねりが一人、かの凌霄花のうぜんかずらに通りかかったとき、青白い女性の幽霊に遭ったという。が、弓杖ゆんづえをつかねば歩けぬほどの酔っ払い故に、そうした幻影を見たのであろう。


 次いで、越前の國より来た鮓売すしうりの女が、死人にかれたとの事。女は落ちていた枯れ枝を匕首あいくちのように振り回しながら冷やかしの者どもにこう叫ぶのである。


おれは仙人であるぞ。死してなおここに留まるという事は、仙人の証左であるぞ」


 曰く、死人としてもこの地上にいるという事は、生きているに等しいとうらしい。不老不死の仙人であると辯疏べんそしているのである。が、誰も取り合わない。鮓売の女のヒステリイはたかぶる一方である。


 さて、この騒動を聞きつけた或るわらんべが、群集のなかを縫い女の前へ出ると、人が変わったように神妙な顔付きとなり、万斛ばんこくの涙を流しながらこう云った。


「アア、我はそなたに懸想けそう致しておりました。しかしそれ故……アア、大慈大悲の……」(と、すすり泣きしながら)云々うんぬん


 すると不思議が起こったというのは、女もまた俄雨にわかあめのような涙を見せたかと思うと、誰も聞いたことのない読経どきょう滔々とうとうそらんじて天に昇ったという事。花曇りの空にはあなが空き、一束の光が都を照らしたと申す。


     *     *     *


 以上、野瀬くんより譲り受けた染みだらけの手製の落丁本に書かれていた事である。なお野瀬くんは、先日、人気ひとけの少ない往来で頓死とんししたと聞いている。

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