第18話 人の物


 タオルで身体を拭いて、着替えるとオスカーはすぐにムゲンと共に寝室へと向かった。寝室では、大して待ってもいないのも、何時間も待たされたと言いたげなレイが眉間に皺を寄せて、腕を組んで待っていた。


 彼の前には、床に置かれた二つのコップがあり、後ろには寝室に元からあった水槽があった。


 その水槽の中には、青い尾鰭をゆらゆらと揺らしている魚が相変わらず優雅に泳いでおり、底には小粒の石が敷き詰められていた。魚の家代わりか、ごつごつとした苔をつけられたような塗装が施された岩の洞窟のオブジェが置かれており、その入り口横には赤い帽子を被った白い髭の小人のオブジェが置かれていた。所々に人工物に見える水草が置かれており、魚はその間を優雅に泳いでいる。


 先ほどまで揺れるお湯に翻弄されていた自分とは大違いだ、とオスカーはため息を零した。


「で? 原因って?」

「これだ」


 レイはいつの間にか袖を捲っており、顕になった白い腕を水槽の中に突っ込んだ。青い尾鰭の魚は驚いて、岩の洞窟の中へと隠れた。

 レイは洞窟の傍に佇む赤い帽子に白い髭の小人のオブジェを水槽から引き上げた。


「こいつだ」


 小人のオブジェを得意げにオスカーとムゲンに見せつけながら、レイは胸を張った。


「各部屋に置かれた水を確認してみた。揺れの大きさに着目してみると、寝室に近づくほど、揺れが大きいことに気づいた。それなのに、寝室にあるこの水槽の水はちっとも揺れない」


 どうして、レイがその考えに思い至ったかはオスカーの中ではどうでもよかったが、彼はちらりと寝室の横の壁を見た。その壁の向こうには自分が溺れかけた湯舟がある。

 なるほど。寝室に近かったから、湯があんなに揺れたのか。


「今まで、風呂の湯が揺れたとこの部屋の持ち主であるカナルとジャックは一言も言っていなかったから、きっと少しずつ動かせる量を増やしていったんだろう。悪魔もこんな姿のままでは、できることも少なかったらしい」

「もしかして、その小人のオブジェが俺が持っていたロケットペンダントみたいになってる……とか?」

「その通り!」


 レイは小人を持ったままの右手の人差し指を突き立てて、オスカーを差した。


「何故、この小人なのか? 理由は簡単だ。この小人を水槽から出したら、揺れが収まったからだ。何回か試して確認した」


 ずっと寝室にいたのは、その確認の作業をしていたからだろう。

 はたとオスカーはあることに気づく。


「俺が助けてって言った時に小人を水槽から出せばよかったんじゃないのか?」


 今まで黙って、レイとオスカーのやり取りを後ろから眺めていたムゲンは思わず噴き出した。思わず、オスカーは振り返ってムゲンを睨みつける。


「ムゲンさん! 笑いごとじゃないんですけど⁉」

「分かってます。分かってます。落ち着きましょう」


 ムゲンはそう言いながら、買ってきたサンドイッチをオスカーに差し出した。食べ物を無下にするわけにもいかず、オスカーはそれを受けとる。


「悪魔が封印されているとなれば、悪魔の力を利用しようとしている奴がいるのは、泥棒退治人の件からも明らかだろう?」

「俺の言葉への返答は? どうして、俺を助けなかった?」

「となると、意思を持っているものがいる必要がある。カナルとジャックは違う。あの二人は旅行に出かけたからな」

「オレ、もうお前に期待するのやめるよ……」


 オスカーが両肩を落とすと、その肩にムゲンが手を置いた。レイはそれを一瞥して、水槽のガラスを右手の指先で叩いた。


「残っているのはこいつだけだ」

「……まさか」


 水槽の中には、いる。生き物が。

 青い尾鰭を優雅に揺らめかせながら、水の中を泳いでいる。


「なにを思って、水を揺らしていたのかは知らないが、それができてしまった。理由はどうでもいい。これに悪魔が封印されているというのなら、壊すまで――」

「待った待った!」


 小人を持った右手を振り上げて、今にも床に叩きつけようとしていたレイに飛びつくようにして、オスカーが止める。


「なんだ」

「人の物! 俺の時も思ったけど、人の物を許可もなく壊すのはやめな⁉」

「お前の時は仕方なかっただろう」

「そうかもしれないけど、今回は依頼人! 報告する必要があるだろ! 壊しました、はい、解決で納得すると思うか⁉」


 オスカーの必死の訴えに一理あると思ったのか、レイが小人を持った手を下ろす。オスカーの後ろでムゲンも頷いた。


「それもそうですね。私の方から二人には説明しておきましょう。それまでは、小人のオブジェの回収だけに留めておく……。いいですね、レイ?」


 レイは手の中でくるりと小人のオブジェを回すと、肩を竦める。そして、それをオスカーの胸に押し付けた。


「返答が来るまでお前が管理しておけ。なくしたらただじゃおかないからな」

「わ、分かったって……」


 自分から壊すなと言った手前、受け取りを拒否することができずにオスカーは頷いた。


「俺は帰る」

「オスカー、後は頼みました」

「あ、はい」


 レイが手をタオルで拭き、袖を元に戻すと、黒い日傘を手に取る。それと同時にムゲンがレイの後ろにつく。


 オスカーは、玄関から出て行く二人を見送った後に、あることに気づいた。


「……家の中、全部俺が一人で片づけるんだよな?」

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