第16話 とあるカップルの悩み
「まさか、本当にあの大きな店主さんが人を寄越してくれるなんてねぇ~」
通された部屋のソファーでオスカーは所在なさげに肩を縮こまらせていた。その隣では、レイが緊張なんて言葉とは無縁のように笑顔で出されたお茶に口をつけていた。
「それで悩みというのは?」
ムゲンは、オスカーとレイをソファーに座らせて、自分はソファーの横に立ったまま、向かいの席に座っている女性に尋ねた。
彼女の名前は、カナル。
雑貨屋「ルブラン」に恋人と訪れた際、店主に「悩んでることは?」と聞かれて、彼女と恋人が暮らしている部屋で起こっている不思議な現象のことを話したらしい。
短い茶髪のカナルは、自分の部屋だからと肩を出した状態の服を着ており、オスカーは部屋に通されてからずっと顔を上げることができずにいた。レイとムゲンは、全く気にしていない。
「家の中の水が揺れるのよ」
「揺れる?」
「コップの水面とか」
レイが自身が手にしていたカップを口から離して、その水面に視線を落とした。しかし、そこには手の些細な揺れにより発生した波紋しか広がっていない。テーブルに置かれたカップの水面も揺れていない。
「本当に揺れるのよ~! 信じて~!」
「疑ってませんよ。それはいつ頃からですか?」
「うーん、二ヶ月前くらいから? 家具とか諸々ついてるって言われたから、この部屋に彼と引っ越してきたんだけど、なんだかおかしいというか~、違和感があったんだよねぇ。そしたら、めちゃくちゃコップの中の水が揺れるじゃん! もう本当にびっくりしたっていうか~、地面揺れたか⁉ って思っても揺れてないみたいだし、他の部屋の人達はそんなことにはなってないって言うし!」
「ただいま~」
カナルの語りに熱が入り始めていた時にちょうど玄関の扉が開いた。
「あ、ジャックく~ん!」
カナルは席から立ち上がり、玄関の扉を閉めていた短い黒髪の男性の首に抱き着いた。男性は、嬉しそうな顔でカナルの背に腕を回した。
「カナルちゃ~ん! って、お客さん⁉」
ジャックと呼ばれた男性はカナルのことを抱きしめ返してようやく部屋の中にレイとオスカーとムゲンがいることに気づいたらしく、顔を赤くしつつカナルと三人を見比べた。
「この人達は?」
「ほら、前に行った雑貨屋の。まともに相談聞いてくれたでしょ? あの店主さんが寄越してくれたのよ!」
「えっ、ほんとに?」
ジャックは、訝し気な視線を三人に向けた。
無理もない。
オスカーとレイの見た目は少年そのものだ。ムゲンは青年だが、こんな少年二人を連れた人間が悩みを解決してくれると言われてもそんなにすぐは信じられないだろう。
「安心してくれていい」
レイは、ジャックの方を見ずに、テーブルの上に置かれたカップを見ていた。
ゆらゆらと、横に揺らされているかのように水面に波がたっていた。
「え?」
オスカーは自分の手前に置かれているカップの水面が動いていることに目を見開き、テーブルの下を見る。
しかし、テーブルは揺れていない。床に足をつけても振動している様子はない。ただただ、カップの中の水だけが揺れているのだ。
「これは、たぶんこちら側の案件だ」
レイの言葉にジャックはため息を吐きつつ、頷いた。
「まぁ、こんなことを信じてくれる人が今までいなかったから頼るしかないけど……本当にそんな感じで水が揺れるんだ。前までは食器の中のスープや水が揺れるだけだったんだけど、この前から洗面台に溜まった水とかも揺れるようになってさ」
「ね! さすがになんとかした方がいいって思ってたんだけど、あたしたちじゃどうしようもなかったからさ。あの雑貨屋さんは願いを叶えてくれるって言われてたから、試しに行ってみたんだよね。そしたら、少ししたら人を送りますって言われたのよ」
オスカーはレイと顔を見合わせた。
自分達が雑貨屋「ルブラン」であの店主に会ったのは今日が初めてだった。しかし、どういうわけか、それよりも前にあの店に訪れていたはずのカナルとジャックの二人は、店主から人を送ると言われていた。
要するに、あの店主は、元からここに誰かを送る予定だったのだ。もしくは、レイたちが来ることを予測していて、最初からこの件を頼む気だった。
今、この場でカナルとジャックを問い詰めても、納得できる答えは得られないだろうと判断したレイは、店主の目論見は頭の隅に置いておくことにした。
「家の中を見たいんだが」
「ああ、それなら数日泊まっていいわよ」
「えっ」
さすがのカナルのその提案にはオスカーが驚きの声を上げた。
初対面の人間に家に泊まっていけというのは、あまりにも警戒心がなさすぎる。
すると、カナルは三人に見せつけるように、ジャックの腕に抱き着くと彼の頬にキスをした。
「私達、この後から旅行する予定だったのよ~! 二日ぐらい家にいないから、その間、泊まってくれて構わないわ!」
「か、カナル、それはちょっと……」
カナルよりもジャックの方が警戒心を持ち合わせているようで、彼女の言葉に困惑の色を示す。しかし、カナルはジャックの方を見て、彼をなだめるように説明した。
「だって、水が揺れるのって一日に多くて五回くらいで、少ない時は一回くらいじゃん。それなら、家にずっといてもらわないと。少しの間、家にいたってあの現象にまた会えるかどうか分からないでしょ?」
「それはそうだね……」
ジャックも不可思議な現象を体験しているため、彼女の言葉に首肯した。そして、苦渋の決断を下す。
「分かった。盗まれて困るものもないし、旅行している間だけ……」
「そういうことだから! あ、ベッドは使わないでちょうだいね。お風呂は勝手に使っていいわよ。あとはキッチンも。食材は自分達で買ってきてね!」
「分かりました」
カナルの出す条件にムゲンが頷く。オスカーもこくこくと頷く。レイは気にしていないようで、ゆったりと出されたお茶を飲み切っていた。
しばらくすると、カナルとジャックは大きな鞄を持って、家を出て行った。合鍵を家に置いていかれ、オスカーはぽかんとしながらも、その後ろ姿を見送ると、レイとムゲンを振り返った。
「あれ、本当に大丈夫なのか?」
「スチュワードさんと同じくらい善良だな。あれが素なんだろう。嫌いじゃないぞ」
心の底から善意で浮浪者達を自分のアパートメントに受け入れていたスチュワードのことを思い出し、レイは口の端を歪めた。そんなことは聞いていないとオスカーはため息を吐く。
「スチュワードさんもある意味すごいと思うけどさ……。カナルさんもジャックさんもこんな怪しい人間たちに家を好きにさせるって……」
「確かに元泥棒退治人は怪しすぎるな」
「怪しさで言うなら、オレよりお前の方が怪しいと思うけどなぁ⁉」
オスカーとレイが言葉を交わしていると、ムゲンが二人の向かいのソファーに腰を据えた。
「さて、どうします?」
「とりあえず、水を溜めるか。洗面所だったな。あとはカップに水をいれて放置だ。部屋が複数あるから、部屋ごとに水をいれた容器を複数置くぞ」
レイはそう言うや否や立ち上がる。
「腹ごしらえが必要だから、ムゲンはなにか買ってこい」
「分かりました」
ムゲンはやれやれと首を振りながらも、ソファーから立ち上がると、それ以上はなにも聞かずに部屋を出て行った。
レイはオスカーを振り返る。
「ということで、早くしろ」
「えっ、なにが?」
「聞いてなかったのか?」
「もしかして、水を溜めるのを全部やれって?」
オスカーがきょとんと目を丸くすると、レイは大袈裟にため息をついた。
「誰がお前のことを雇ってると思ってるんだ?」
「お前だけどさっ⁉ 動けよ、お前も!」
「俺が動いたら、なんのためにお前を雇ったのか分からないだろう」
オスカーはソファーから立ちながら「どうして、自分はこの事務所で働くことになってしまったのか」と自分の現状について、真剣な顔をしながら疑問に思うのだった。
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