第9話 泥棒!


 その日、閑散としたアンデリーの街に一つの悲鳴が響き渡った。

 空へと伸びる建物の間を縫うようにして広がっている煉瓦の道を通って、少女の悲鳴が響き渡す。


「泥棒! 泥棒よ! 私のぬいぐるみー!」


 泥棒退治人は思わず立ち上がり、窓に飛びつく。目下の煉瓦道に人影はない。しかし、少女の叫び声はそう遠くもない。慌てて、階段を駆け上り、屋上に出ると、屋上を走り回って、アンデリーの街の煉瓦道を見渡す。


 こちらでもない、あちらでもない。


 道の幅は飛び越えられないほどではない。

 屋上から屋上に飛び移ると、ようやく灰色の塊を持ち運んでいる男を発見することができた。


「ぬいぐるみ……うさぎか?」


 屋上から見下ろす彼にそのぬいぐるみがなんのぬいぐるみであるのか判別は不可能だったが、それでも、灰色の何かを抱えて走る男に手をかざす。


 胸元のペンダントが浮く。

 すると、その男を巻き込むように風が起こり、その手からぬいぐるみが取り上げられる。


 しかし、宙に浮いた灰色の塊はすぐに男の手へと戻った。


「えっ、あれは盗んだものじゃないのか?」


 慌てて他の路地を見下ろせば、今度は白色のぬいぐるみらしき塊を持つ人間がいる。その人物へと手をかざせば、先ほどと同じように胸元のペンダントが浮き上がり、それと同時に白色のぬいぐるみが宙にあがり、そして、また持っていた人物の手元に戻っていく。

 その間も「泥棒!」という少女の声が聞こえる。


「おかしい……泥棒はいるはずなのに……」


 屋上から屋上へと跳び、ぬいぐるみを持つ人間を見つける度にそのぬいぐるみを宙に浮かし、持ち主に返そうとするのを繰り返して、約十五回。


「いやぁ、もうすぐ俺達が部屋を借りようと思って、足を運んだ回数と同じになるな」


 屋上の縁を前に膝をついている泥棒退治人の後ろから声がする。


 屋上には誰もいないのを確認した上で、この屋上に飛び移った泥棒退治人からすれば、青天の霹靂だろう。慌てて、振り返ればそこには真っ白な老人のような髪に、新鮮な血のような瞳を爛々に輝かせている少年がいた。その手には黒い日傘が握られており、不気味さを助長させる。


 その白い髪の少年の背は、百五十五前後だったが――泥棒退治人の背よりも幾分か高かった。


「お、お前、いったい誰だよ……ッ」


 白い髪の少年――レイは、にこにこと人懐っこそうな笑みを浮かべると、自身の背に隠していた真っ黒な見た目に尖った耳をつけた猫のぬいぐるみを取り出した。目元には大きな赤いボタンの目がつけられており、だらんとその手足と尻尾は垂れている。


「もしかして、お前が泥棒か!」


 金髪の少年の青い双眸がレイを捕え、そのままレイへと手をかざす。レイの足元からぶわりと空気が膨れ上がり、服の裾がばさばさと空気を孕んではためき始める。


「なるほどな。最初は風の力限定だと思ったが……」


 レイの手から風が黒い猫のぬいぐるみを奪い取ったかと思うと、ふわりとレイが宙に差し出した両手にぬいぐるみが落ちてくる。


「持ち主にぬいぐるみを返すところまでがお前が使っている力か」


 レイは黒猫のぬいぐるみの背中のチャックを引き下げると、そこから分厚い本を取り出した。

 その本の表紙には山羊の角と頭蓋の装飾が施され、おおよそ少年が持ち歩くような本ではないことが分かる。

 その場にあぐらをかいて座り込んだレイはポケットからペンを取り出すと、膝の腕に広げた本に視線を落とす。


「ソロモンの七十二柱が一柱、伯爵アンドロマリウス」


 スケッチを開始する。ペンが本のページに映し出したのは泥棒退治人の胸元のペンダントだった。ささっとスケッチし終えたレイは顔をあげる。

 レイはペン先を金髪の少年の胸元で揺れるペンダントにまっすぐに向けた。


「アンデリーの泥棒退治人の胸元のロケットペンダント」


 同時に、銃声が少年の耳朶を震わせた。

 呆気なく、風に揺れたロケットペンダントが、ぱりんと割れる音がする。それと同時に、ロケットペンダントから白色の煙が溢れ、風に乗って、それは搔き消えた。


「えっ……」


「アンドロマリウスは盗みを行うこともできるが、盗まれたものを取り返す能力も持っている。そして、その力で詐欺や裏取引を暴いて、悪人を罰することもできる」


 レイは、目の前の少年に語り掛けるように、いや、独り言を呟きながら、手元の本へと視線を移して、ペンでスケッチの横に文字を連ねている。

 金髪の少年が割れてしまったロケットペンダントを握りしめ、周囲を見回すと、隣の建物の屋上から自分を狙う銃口と、それを向けている黒の長髪の男が見えた。

 少年の握りしめた手から赤い血が屋上の床にぽたりと落ちる。


「別にいいだろ! 俺のしたことは善行だ! 盗まれたものを取り返してやってたんだ! いったいなにが悪いっていうんだ!」


「お前が勘違いをしたから、おばあさんの荷物を運ぼうとしただけの善良な市民が泥棒と間違えられて、仕事もクビになったらしいぞ。まぁ、本人のいつもの態度も悪かったのかもしれないが、お前がそもそも勘違いしなければ、浮浪者が生まれなかったわけだ」


「た、たった一度の間違い……」


「そのたった一度の間違いで人の人生潰しておいて、自分のやってることは善行だから許してもらえるって?」


 ぱたんとレイは本を閉じた。

 その真っ赤な目が目の前にいる少年を馬鹿にするように細められる。


「お前たちが妄信している善行って、そんなに偉いものなのかよ」

「う、うるさい……!」

「ムゲン」


 激昂した少年がレイに向かって、足を踏み出そうとした瞬間、隣の屋上から飛び移ってきたムゲンが少年の襟を掴み、その身体を屋上へと叩きつけた。


 レイは目の前の二人の動きを無視して、優雅に立ち上がる。


「アンドロマリウスは無事解放できた。これで、二体目の悪魔の解放だな」

「悪魔の解放……? いったいなに言ってるんだよ、この餓鬼!」


 金髪の少年はムゲンに押さえつけられながらも、自分のことを見下すレイを睨みつけた。それを聞いて、ムゲンが堪えきれなかったのか噴き出す。


「餓鬼に餓鬼呼ばわりされる筋合いはないな」


 レイは少年ではなく、思わず噴き出してしまったムゲンのことを睨んだ。ムゲンは目を合わせないように視線を逸らす。


「この泥棒退治人、どうするんだ?」


 話を「餓鬼呼ばわり」から逸らそうと、ムゲンが聞くとレイは顎に手を当てた。


「そうだなぁ……」


 ぱちりと、レイの赤い瞳と少年の青い瞳がかち合う。


「善行はともかく……悪いことをしたらごめんなさいは全人類の共通認識だよなぁ?」


 にんまりと細められたレイの瞳に、少年の背がぶるりと悪寒が走った。

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