第4話 正直者
レイとムゲンが訪ねてきた十六か所のオーナーの住まい及び事務所は、どこもかしこも部屋の隅に埃は積もっておらず、出しっぱなしの書類も、置かれたままの借用書も督促状もなかった。
「……金持ちの慈善家?」
「俺の予想を見事に裏切ったな。これは貧乏だ」
人が座るために用意されているはずの椅子の上には、毛がぼそぼそとした茶色の猫があまりにも優雅に丸まっていたため、レイは立ったまま、部屋の中を見回した。
レイとムゲンの言葉は、くたびれたスーツを着たやせぎすのオーナーにも聞こえていたが、彼は二人の発言を咎めることもなく、申し訳なさそうに微笑んだ。
「すみません、お菓子も出せなくて……お茶をどうぞ」
テーブルの上を督促状や書類が占領して置き場がないため、オーナーはレイとムゲンに直接コップを渡した。
「アパートメントのオーナーのスチュワードと言います。今日はいったいどのような要件ですか?」
レイは目を細めた。
スチュワードは知る術がないが、十六か所のオーナーは、誰一人として、自分からレイに自己紹介をしたことはなかった。名前さえも教えないのは、長いお付き合いをしたくないという言外の線引きだった。
「部屋を借りたいんだが」
スチュワードは丸眼鏡の位置を直しながら、眉を八の字にした。
「すみません、うちのアパートメントには今空いている部屋はなくて……」
「ずいぶんと盛況なんだな」
「ええ、とても賑やかですよ」
レイはテーブルの上の書類に視線を落とした。
「部屋が全部埋まっているのなら、ここまで生活は困窮していないと思うが? スチュワードオーナー?」
十六か所の他のオーナーと比べるとスチュワードの服は皺が目立ち、よれている。とても裕福な暮らしを送っているとは思えない。
「それは、お金を支払えない入居者もいますから……」
お金をとらない、という噂は本当らしい。
世の中は善意で溢れている。孤児がリンゴを売っている屋台を前に「リンゴが食べたい」とごねたら、追い返すことは、非常によろしくない。
それこそ、悪魔の所業と罵られるだろう。
「頼み込まれて仕方なく泊めているのか」
「屋根がないと寒いでしょうから。皆さん、困っているみたいなので……それで救われる命があるのならいいんです」
ムゲンから見て、レイの瞳がきらりと光ったような気がした。その光が好奇心という名を持つことをムゲンは知っている。
「そうか! 満室なら仕方がない! でも、スチュワードオーナー。先に入居している者たちが喜んで部屋を譲ってくれたら、入居してもいいだろうか?」
「喜んで部屋を譲る……? ええ、それなら大丈夫だと思いますけど」
スチュワードの言葉に「よしっ」とレイは彼がいれたお茶を飲み干すと、空のコップを彼が持っていたトレイに戻した。ムゲンは、その後を追うためにコップに口をつけずにトレイの上に置いて、慌てて、部屋を出た。
部屋を出て、十歩ほど歩いたところで、レイは満面の笑みでムゲンを振り返った。
「俺が好きな正直者だぞ、あれは! 正直者な上にひどいお人好しだ! 俺はスチュワードオーナーのアパートメントに事務所を構えるぞ! 喜べ、ムゲン!」
「……それで大喜びするのは貴方だけだと思いますが」
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