アンデリーの泥棒退治人
第1話 最初にすること
所々跳ねている白髪が穏やかな風に揺れる。
レイは、日差しを避けるように黒い日傘を差し、目の前の屋台に並ぶリンゴを見ていた。
「お客さん、買うのかい?」
彼がこうして、腰を少し曲げてリンゴを食い入るように見つめ始めてから五分程となる。屋台の店主は訝し気にレイのことを見るとようやく問いかけた。
「ああ、買うよ。これにしよう」
形に細やかな違いはあれど、艶と色に大した違いはないリンゴの中から、レイは一つ選び取り、差し出された店主の手の平にコインを落とした。店主が拍子抜けしたように「なんだ、お金あるのか」と独り言ちる。
「レイ、ここにいたんですか」
レイがリンゴを手に持ったまま、もう片方の手で黒い日傘をくるりと回していると、その背中にムゲンが声をかける。彼は、通りを進んだ広間の方から小走りでやってきていて、後頭部で結んだ長い黒髪が前後に揺れている。
「ああ、ムゲン。遅かったな」
「待ち合わせは噴水でしょう。ふらふらしないでくれませんか」
レイが噴水のある広間に背を向け、そのまま進むとその隣をムゲンが歩く。
「さっきの店主、見たか? 俺がすぐにリンゴを買わないから、お金を持っていないのかもしれないと思いつつも、追い払えないでいた。お金を持っていないって言っても追い払えなかっただろうな」
くつくつとレイが喉の奥で笑う。
「そうでしょうね。今の世の中はそんな風にできてるんだから」
ムゲンは先程のリンゴの屋台を振り返る。
ループタイに白シャツに特注のデザインのジャケットを見れば、身なりのいいレイが金を払わないなんて普通は思わないだろうが、それでもたかがリンゴをじっと眺め、何分もの間、黙っているのを見て、お金がないと思ったのだろう。
お金がなければ、食べ物は与えられない。
この常識は、五年前から崩れ去っていた。
「悪魔を全て封印した教祖サマが、善意はどんな形であれ美徳であり、施さないことは悪だみたいなことを言い始めてから、これだ」
レイは肩を竦めると、手に持っていたリンゴを自分の横を歩くムゲンに押し付けた。ムゲンは仕方なくそのリンゴを受け取ったはいいものの、どうすればいいのかと、右手でリンゴを掴んだまま、どうすることもできず、胸の前にリンゴを掲げた状態で歩く。
「俺が金を持っていないとしたら、店主はお腹をすかせた子供に施しを与えなければ、と無償で俺にリンゴを与えただろうな。本心は、そうだな……ああ、最悪だ! こんなクソガキに大事な商品をタダでやらないといけないなんて! こんなガキ、俺の見てないところでくたばっちまえばいいのに! ってところか」
「そこまで考えますか?」
「たぶん」
レイの言葉にムゲンはため息を吐く。
「口にすればいいものを……」
「それが許されないのか、今の教会なんだ。なんていったって、七十二の悪魔を全て封印した教祖サマがいるんだからな。そんな奴に逆らったら、なにをされるか分からない」
「そういうものですか」
レイは両手で、くるくると日傘を回す。
「うすら寒い笑顔でニコニコとしながら相手に施しを与えようとする人間の顔を見たことがあるか? 笑顔のくせに目は笑ってないんだ。目は口ほどにものを言うって言うだろ? 目では相手のことを蔑んで馬鹿にして嫌がっているのに、その手に持った物を相手に差し出している。もらおうと手を伸ばしたところで、最初は引っ張っても強く持ってるから簡単にもらえないんだ。結局、すぐに手を離してもらえるけどな」
「まるで、施しを受けたことがあるみたいな言い方ですね」
レイが傘を傾けると、ようやくムゲンは傘の下のレイと目が合う。鮮血のような赤の両目は、にたりと微笑んだ。
「まぁ、そんな奴らが悉く面白くないから悪魔を解放することにしたんだが……そのために必要なことは何だと思う?」
「情報収集? 私には情報を聞いてこいと言いながら、貴方はリンゴを買っていただけですが」
レイはたんたんたんとスキップして、ムゲンよりも数メートル先の地面に足をつけると、くるりと振り返った。
「拠点づくりだよ」
「レイの家は?」
「俺は、仕事と寝る場所は分けたいタイプなんだ」
「悪魔解放のための拠点……あてはあるんですか?」
その問いにあっけらかんと笑うレイに、ムゲンはそこはかとなく嫌な予感がした。
「ない! でも、部屋を借りたいと言えば、簡単に借りられるだろ!」
「……そう簡単に行くといいんですが」
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