正しい選択、正しい狂気
それできっといい
燈子の出産はうまく行ったようだ。
真っ赤な肌をした(だから赤ちゃんっていうのかな)まだ目の開いていない小さな人間と、その横に横たわって笑みを見せる燈子の写真が送られてきた。
疲弊はしていながらも、穏やかな表情は完全に母親の顔だった。
生まれた子は女の子で、
私と一字違いだね、というと「やっちまった!捻くれたらどうしよう!」と返ってきたのが面白かった。意図はしていなかったらしい。
光希は写真の赤ちゃん相手にメロメロになっていた。
出産祝いを持って行かなくていいの?
次に遊びに行けるようになるのいつ?
としつこく聞いてくる。
璃星ちゃんに会いたくて仕方がないようだ。赤ちゃん向けの商品が並ぶサイトを眺めているのも見た。貢ぐ気満々だ。
妻の親友の子相手にこうなのだから、自分の子に相手には歯止めが効かないんじゃないかと思う。財布の紐は律がしっかりと掴んでやらねばなるまい。
それほどまでふにゃふにゃになった光希だが、「俺たちもそろそろ」とは言い出さなかった。璃星ちゃんの誕生を心から祝い、燈子の体調を気遣って、夫となる男に激励を飛ばしつつも、律にはいつも通りに接した。
ありがたいと思うと同時に、覚悟のつかない自分に甚だ呆れるばかりである。ゴミ箱に捨てられるだけの生きた体液に、何とも思わないわけではなかった。
燈子の出産祝いを買いにちょっといいデパートに来て、弥生と二人でおしゃべりをした。もっぱら璃星ちゃんの話題だ。
お母さん似か、お父さん似か。
できればお母さん似がいいよね、燈子は美人だから。
そうね。燈子ちゃんみたいに気遣いのできる、素晴らしい女性になって欲しいわ。少なくとも、あたしや律みたいにはならないように頑張ってもらわなきゃ。
いい反面教師として存在しましょ。
弥生はにこやかに握手を求めてきた。
渋々交わす。別に悪い手本として生きようとは思っていない。
「そういえば、あの女の存在が分かったわよ」
唐突に話題を変えるので、何のことか一瞬わからなかった。
ミルクレープに器用にフォークを突き立てた弥生の嫌そうな表情ですぐに思い当たる。
あの花冠を乗せた女だ。
聞けば彼女はよく他人の写真や動画に映り込むようだが、決まって誰かが死んだと噂される場所に出てくるらしい。
心霊スポットや自殺の名所を巡るユーチューバーの動画によく映り込んでいることが発覚したようだ。多分そいつらとグルで、演出なのよ、と弥生は不機嫌に語った。
しかし火事現場はわかるが、二度目に見た居酒屋やおはじきを渡された店になぜ現れたのかは分からない。調べてもその周辺で誰かが死んだというニュースはない。
それにおはじきを手渡して来た理由も謎のままだ。
光希は、“よしこさん“なんじゃないの?と冗談半分で言っていたけれど、そんな都市伝説を信じるほど子供でもない。
あの時受け取ったおはじきは、まだ律が持っている。あの日の夜に自宅の机の引き出しに放り込んだ。捨て方が分からなかったのもある。燃えるのか?あれ。
弥生と別れて、帰路に着く。
初夏の日差しが照りつける中、横断歩道の白線だけを踏んで歩いた。世界に一人だけの気分になるには、少し騒がしい通りだ。
ふと、電柱の隅に花が添えられていることに気づく。
まだ新しい。名前の知らない花はみずみずしく開き、ラッピングペーパーに水滴を滴らせていた。
ああ、とどうでもいいことに気づく。
別にニュースになってなくったって、人は死んでいる。
人の死んでいない場所なんて、探せどもどこにもないのだ。
律はその花に近づくと、傍に自らの煙草を置いた。花びらは上に行くほどグラデーションを見せて綺麗だった。
決意なんてものではない。
気の迷いといってもいい。
律はその夜、光希に提案した。
隔たりを無くした二人は、いつもより緊張して、どこかぎこちなかった。
☆
電話をかけていい?と尋ねると彼女は了承した。
やや疲れたような、それでも明るい声が聞こえて安心する。
誰かに話したくてしょうがなかったの。もう、子育てって覚悟していた以上に大変で。それを承知で産んだんだけど、やっぱり毎晩泣きそうになるのよ。
りっちゃんの声が聞けて、本当に嬉しい。
ありがとう。
何が力になれるのか、母親となった燈子に自分が何の言葉をかけていいのか分からない。
けれど律は、今の自分が言える精一杯を心の底から伝えた。
力が入りすぎたせいで泣きそうな声になった。
「燈子、おめでとう」
燈子はしばらく絶句した後、震える声で答えた。
「ありがとう。りっちゃん」
それから嗚咽を漏らす声が聞こえた。
つられて律も涙を流す。
電話口の燈子は泣きながら笑った。
もう、なんでりっちゃんが泣いてるの。
わかんない、なんか泣けてきた。
泣きたいのは私のほうよ、一生祝われないのかと思ってた!
うん、ごめんね。ずっと言えなくてごめんね。
でも、今なら言えるの。心から、おめでとうって思えるの。
「璃星ちゃん、おめでとう」
そう告げた律の声はまだ震えていた。
どうして震えているのかは、自分でもよく分からなかった。
でもきっと、それでいいんだと思えた。
(終わり)
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