花冠の女

理性を眩ませろ

つわりが治ってきたから、お茶でもどう?と誘われて、近くのお店でランチをすることにした。


何を気遣えばいいのか分からないが、妊娠すると匂いや味に過敏になると聞いたことがあり、香水ナンバーファイブはつけないことにしたのだと弥生が言う。


対して自分はいつも通りに身支度してきたのが申し訳ない。さすがに吸う予定はなかったが、ポケットには煙草まで入れている。何もかもがいつも通りだ。


前会った時よりも少しだけ大きくなった燈子のお腹に目が行った。それでもまだ、妊婦には見えない。ちょっとダイエットを中断して美味しいものをいっぱい食べました、程度である。


弥生はまるで自分にも妊娠の予定があるかのように、根掘り葉掘り聞き出そうとする。


つわりの苦しさは酒で言えばどの程度か、出産は無痛分娩か、自然分娩か。燈子は丁寧に答えながらも箸の止まった律にサラダを取り分けてよこしたり、弥生の減ったコップの中身を気にして忙しそうだ。


ほんと、気配りのできるすごい女だよ、とよく冷えた水を口にする。


「でもやっぱり人によるから」


燈子はそう言って、未知の妊娠に恐れ慄いている女二人に向かって微笑んだ。


「私はそうだったけど、二人はどうなるのかわからないよ。全然つわりがなかったって人もいれば、ずっと船酔いみたいでグロッキーになってたって人もいる。


こればっかりは運ね。やってみないと分からない。同じ人でも、一人目と二人目で違うことだってザラよ」


「どうして女は、産まねばならんのでしょうか」


ゲッソリした弥生に、律も同じような表情で頷く。皿の上が減らない。


「あの一時的な快楽のせいで、あらゆる女が苦しんできたんだと思うと吐きそうになる」


「だんだん男にムカついてくるわよね。何スッキリして終了してんのよ。男も妊娠と出産で苦しみなさいよ。


よーし、決めたわ。将来夫になる人を分娩台の横に立たせて、あたしが苦しんだ時と同時にアソコを握りしめてやる。それくらいしてくれなきゃ男女平等なんて言えないでしょ」


燈子は苦笑しながら弥生のコップに水を注いだ。


「まあまあ。男性も男性で大変なのよ」


「またそう言ってあんたは人当たりのいいこと言って。今はジェンダーの話はしてないでしょ。体の作りそのものの話をしてんの!」


「でもね、弥生ちゃん。やっぱり好きな人との間に子供ができるのって、嬉しいことよ。


私だって出産は怖いわ。でも、それ以上にあの人の子を産めることが幸福なのよ。これは女の特権よ」


華奢な首につけられた石の小さなネックレスがきらりと光った。


弥生はコップに注がれた水をぐいっと飲み干して「なんて綺麗事を!」と叫んだ。


女の特権。


大好きな彼の子を孕み、産むこと。


それが、女の幸せ?


律は考える。光希との間に子供ができたとしたら。


違和感に気づいた瞬間、検査薬が反応した瞬間、それを光希に報告する瞬間。

その切り取られた瞬間全てを一般的には幸福というのだろう。


光希は子供を望んでいる。将来、子供は二人欲しい。その将来がいつなのか。もう少し後でもいいと思っているようだが、あの薄い隔たりを外そうと試みる事態はいつか必ずやってくる。


怖い。


燈子の少し膨れたお腹に目を向ける。

妊娠と出産という、未知の体験が怖いというのももちろんある。


だがそれ以上に、生命を作るという行為が反道徳的で恐ろしいもののような気がしてならない。


生まれたからにはどうしたって苦痛が生じる。それなのに私は、新たな生命を誕生させてしまっていいのだろうか。


私がいなければ存在しえないか弱き命、それを他でもない産んでしまうことが恐ろしい。生きてしまえば、必ず死ぬ命を作ってしまうことが怖い。


「どうして人は、愛と生殖を一緒にしちゃったんだろうねえ」


弥生がため息をついた。自らの経験と重ね合わせているようだ。


「愛は愛で、それだけで独立してほしかったな。そしたら間違えないで済むのに。


ワンナイトラブなんて嫌な言葉も生まれなかった。生殖は生殖、愛は愛。どうしてスパッとわけてくれなかったのかなあ」


律は己の腹に視線を向ける。


理性ある人間は知っている。


生命の誕生は女にひどく負担があると。

きっとその苦痛を目眩しさせるために、人は生殖に重大な意味を持たせたのだろう。


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