よしこさん、よしこさん
ユキト少年の憂鬱
夏休みが嫌いだ。
三つ上の姉ちゃんが家にずっといる。普段は朝と夜だけ我慢していればいいが、授業のない夏休みはそうはいかない。
姉ちゃんは怖い。
どこまでも優しく育ってほしい、という願いを込めて“
そんな姉ちゃんが、今日は珍しく早起きをしていた。中学生になってラジオ体操に参加しなくてよくなった途端、十時まで寝ているような姉ちゃんがである。
洗面台を我が物顔で陣取って(おかげで台所で顔を洗う羽目になった)、調子はずれの鼻歌を歌いながらヘアアイロンを当てている。
仕上げにお母さんが“ここぞというとき“に使う、いい匂いがするムースまでつけ始めた。
ユキトは内心ガッツポーズを決める。これは嬉しい。姉ちゃんはどこかへ外出するようだ。今日は一日、安泰に過ごせるぞ。
そうと分かれば、ユキトも嬉しくなって、ふんふんと適当にハミングしながらパンを焼く。お父さんが淹れたコーヒーの香りに「いい匂いだね」などと言う余裕まで出てくる。
気分のいい朝だった。
姉ちゃんがユキトの焼いたパンをぶん取って、我が物顔で席に着くまでは。
「今日、サヤちゃんたちが来るんでしょう?」
お母さんの言った言葉に、ユキトはもう一枚焼こうとしたパンを床に落としそうになる。
さらに姉ちゃんがパンを齧りながら頷いたので、もう片方の手に握っていたマーガリン用のヘラも宙を舞った。カランカラン、と床を滑る音に顔を顰めて、姉ちゃんは続ける。
「ユキ、絶対に部屋に入ってくんなよ。邪魔だからどっか遊びに行ってろ」
誰があの動物園みたいなうるさい部屋に入るかよ。
などとは言えない。黙って唇を噛み締め、パンをトースターに怒りと共にぶち込む。お父さんが静かに「プールでも行くかい?」と囁いてきた。小四にもなってお父さんとプールに行っても楽しくない。首を横にふる。
同じく歳の近い姉を持ったお父さんは、ユキトの気持ちが痛いほどわかるらしい。ぽん、と背中を叩かれた。
いつの時代も弟にとって姉という存在は脅威である。
しかし困った。
ユキトは今日、家で静かに本を読む予定だったのだ。
図書館で背伸びして借りた、ちょっと大人向けの小説だ。文字も小さければ、ふりがなも振ってない。返却期限までまだあるとはいえ、少しは読み進めておきたいと思った。
姉ちゃん一人なら無視してソファーで読めただろうが、あのサヤちゃんとかいう友達が来たら、耳栓をしていても意味がないほどうるさく騒ぐに違いない。そんな中でいつもより難しい本を読める気はしなかった。
さらに外は朝の段階で熱中症警戒アラートが出ているほど暑い。友達を誘うにしても、涼しい場所が必要だ。
プールは昨日行って人の多さに酷い目を見たし、公民館は怖い六年生が陣取っている。図書館で本を読むのは、静かすぎて逆に苦手だ。商店街をうろつこうにも、お小遣いがない。
つまりユキトは、サヤちゃんがうちに来て帰るまでの時間、耳を塞いでじっとしていなければならないことが確定した。
がっくりと項垂れる。
やっぱり、夏休みは嫌いだ。
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