危険なキノコ増殖中
危険なキノコが増殖中だと言うニュースが告げられる。
映像は見るからにヤバそうな赤いキノコで、形は一般的に思い浮かべるようなものではなく、地中に埋まった人の指が空を掴もうとしているような不気味なものだった。
こりゃ明日の遠足が怖いぞ、子供達にも絶対触るなって言っとかないとなあ、ともぐもぐ言いながら光希はスマートフォンを取り出した。そのキノコについて詳細を調べているようだ。
幸い、この辺りには見つかってないようだが山の方はわからない。子供達は何にでも興味を持つ。注意は必要だろう。
しばらく眺めた後、顔を顰めて画面をこちらに向けてきた。
「見ろよ。えげつないこと書いてあるぜ。触るだけでも炎症を引き起こすし、食べるとじわじわ内臓を壊していくんだって」
「本当だ。ご丁寧に二日後に死ぬって書いてあるね」
「これを食べたやつがいたんだな」
「そして全員、見事に二日後に死んだんだろうね」
「今ある食用キノコは、あらゆる犠牲の上に生えてんだなあ」
よく火の通ったエリンギを箸で摘んで、光希はしみじみと言った。
並んだ妊婦の断面図を思い出す。
あらゆる犠牲のもと私たちは今を生きている。
いつかくる私の死は、未来の誰かを救っているかもしれない。このキノコの紹介文のように、名のない被験体となって。
「光希、死なないでね」
なんとなく出てきた言葉だった。
光希もおそらく、なんとなくで返した。
「死なないよ。律が死ぬまでは」
その言葉に、思わず箸を置いてしまった。
二つ並んだお揃いのコップ。大きさの少し違う夫婦茶碗。おかずが並んだ色とりどりの皿。賑やかな机の上が、どうしようもなく寂しく思えた。
律がいないくなった世界を、光希が生きようとしていることに驚いた。
一人分減った空間を、微かに残った香りや声をなぞる絶望を、予想に容易いが故に経験したくはない、避けては通れぬ苦しみを、彼が背負おうとしている。
どうして彼はこれほどまで美しく、まっすぐで、強いのだろう。
俯いて、唇を噛み締めた。
対して私はどうして、こんなにも弱く、捻くれて、醜いのだ。
どうして私は、こんなにも薄情なのだ。
私は怖い。
普通に生きることが、死ぬことよりもずっと怖い。
死にたくない。死んでしまいたくない。
だから、生きたくない。
でもどうしたことか。私は生きてしまった。私は生きて、光希を愛してしまった!
「どうしたの?なんで泣いてるの?」
慌てたように抱きしめてくる夫の胸に寄り添い、律は静かに嗚咽を漏らした。
柔らかい温もりと、陽だまりのように優しい匂いに包まれて、なおさら涙が止まらない。
ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返す。
何を謝られているのか分からない光希は、ただひたすらに、泣きじゃくる律の丸まった背中を何度も撫でた。そうすることが最善であるかは定かではない。それでも肩を震わせる妻を離すことなどできなかった。
「大丈夫だよ、律。大丈夫」
根拠のないその言葉はしっかりと律の体に染み込む。彼の腕の中であれば、全てが大丈夫な気がした。自分が抱えている絶望など、どうでもいいと思えた。
仮初でも良かった。
誰もが根拠のないものにしがみついて生きているのだ。
律も早くあらゆるしがらみや執念を捨てて、正しく狂ってしまいたかった。
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