命を作るということ
あいつを野菜に例えると?
アスパラガスが悪くなっていた。
先っぽがふんにゃりと曲がって、茎の部分が少しぷよぷよしている。調べれば食べられなくはないらしいが、外出先で腹が痛くなっても可哀想なので捨てることにした。
ゴミ箱に放り込む直前、嫌な考えが頭をよぎる。
あのアスパラガス、私みたいだな、と。
そうなると巻き込んでやらなければ気が済まなかった。
テキパキと準備をしながら、頭の隅っこで考える。
弥生はゴボウだ。
どれだけ煮ても焼いても、小さく切り刻んだとしても存在を主張してくる。
以前冷蔵庫でいつまでも燻っていたゴボウをカレーに突っ込んだことがあったが、せっかくチキンをヨーグルトに漬け込むなどという面倒な作業までやってやったのに、一瞬にしてゴボウカレーに変貌した。
それが一度場に放り込めば自分の色に染めようとする弥生の姿と重なった。本人はもっと派手な野菜がいいだろうけれど。
弥生をささがきにしながら思考を続ける。
燈子は…トマトかな。
見た目はしっかりしているのに、中身はふにゃふにゃと柔らかいところなんかそっくりだ。
主役も張ることができれば、脇役に徹することもできる可愛い果実。出る時は出る、引く時は引くことのできる空気の読める女。社会で重宝されるのは燈子のような女なのだろう。
ああなりたいとは思わないが、彼女のことは尊敬している。
それでもって光希は、玉ねぎ。
これは間違いない。
和洋中問わず、どんな食材ともマリアージュする万能野菜。炒めてよし、茹でてもよし、生でもよし。とりあえず冷蔵庫にあれば安心する。
そう思うと、玉ねぎの皮を剥く作業がとてつもなく官能的なものに思えてきた。茶色に染まった皮と白い身の間に指を差し入れる。
ツン、と鋭い匂いがする。抵抗されているのかもしれない。
まあまあ、そう言わず。律お姉さんに身を委ねなさいな。ちゃあんと美味しく調理してあげるからさ。
などと妄想していたおかげで、マウンテンパーカーを着た玉ねぎが話しかけていることに気づかなかった。
硬いものをコツン、と頭に乗せられる。振り返ると光希が水戸黄門さながらに煙草の箱を持っている。みりんが切れていたので、近くのコンビニまで走ってもらったのだ。ついでに煙草も買っておいてとお願いした。
「ロゼしかなかった」
「ああ、いいよ。ありがとう」
「こっちこそ色々作ってくれてありがとう。明日は生徒に自慢してやろう。見たまえ、これが愛妻弁当だぞって」
「うええ。やめてくれ。とんでもないプレッシャーだ。作るのやめようかな」
「そう言うと思った」
光希はケラケラと笑った。
明日は遠足だ。
バスを貸し切って近くの山に行くらしい。そのためのお弁当作りを買って出たのはいいが、普段作らないため人に見せられるようにはできない。キャラ弁を作るお母さん達って偉大だなと思う。
みりんをシンクの上に置いて、光希は手伝うでもなく楽しそうにちょっかいをかけてきた。悪戯にエプロンを解いてくる。
やめて、と冷たく言い放つと彼は笑いながら紐を結び直す。酔ってるのかと思ったがそうではなく、ただ構いたいだけのようだ。面倒くさい。
「そういえばさ、うちの学校で座敷童子が出てるらしいんだ」
「へえ。未だに噂になるんだ、そんなもの」
口減しで殺された子供が化けて出るのが座敷童子と聞いたことがあった。殺されたにも関わらず、どうしてやってきた家に幸福をもたらすのかよくわからないと思ったから覚えている。一般的な怪異なら呪い殺してやりそうなものだが。
聞けば、クラスの子供が体験したらしい。
放課後に遊んでいると、おかっぱ頭の見知らぬ女の子が増えていたのだと言う。あの子達、手配書まで作って必死で探し回ってたんだぜ。可愛いだろ。
律は率直に浮かんだ疑問を口にする。
「でもそれって、座敷童子なの?学校に出てくるんだからなんか違う気がする」
光希は嬉しそうに小突いてきた。
「とことん俺たちは似てるね、律。俺もそう思ったんだ。だから子供達に考えさせてみた。そしたら一人、面白いことを言ってね。そいつは野良ワラシじゃないかって」
野良ワラシ。
ゴボウを炒めながら「ほう」と相槌を打ち、続きを促す。光希はまな板の上に乗っていたきゅうりを摘んだ。止める間もなく口に運ぶ。
「名付けた生徒がどう言う理由で野良と言ったのかは分からない。でも俺は鋭いなって思った。今や座敷童子が帰る家なんてないんじゃないかと思ったんだよ。
だってそうだろ?
子供が一人増えても誰も気づかない場所なんて、今の日本じゃ、学校くらいしか無い。
多様性だとか新しい価値観だとか言って、結婚したら子供を作って当然という風潮が常識ではなくなった。追い打ちをかけるように長引く不景気だ。どれだけ欲しいと望んでも、養っていくには一人か二人が精一杯。子供は贅沢品だとも言われているくらいだ。
おまけに土地の広い大きな家も少ない。何もかもがスマートで見通せる世の中になっちまった。
行き場を失った座敷童子は、その辺をウロウロ彷徨いながら、たまに子供がいっぱいいるところを見つけては一緒に遊ぶんだ。
もうそれは野良ワラシだろ」
光希は腕を伸ばした。
髪の毛を指でなぞるようにかきあげられる。チラリと視線を送ると、まるで愛おしいものを見るかのように目を細めていた。
他意はないのだろう。
それでも律の胸には、重苦しいものが漂った。少しでも軽くするために大きく息を吐き出す。
フライパンから逃げ出してコンロに横たわるごぼうを摘んで放り投げる。生ごみ袋にペチャリと張り付いたそれは、ずるずると往生際悪くシンクに落ちたがっていた。光希がそれを適切に拾って捨てる。
律は黙って腕を動かし、その光景を眺めた。
なおも身体の中に黒い煙が渦巻く。
あの日遠くに見えた火事のように、絶え間なく生まれては律の心に隙間なく満ちる。
光希はまだ二十七歳かもしれない。
けれど律は、もう二十七歳なのだ。
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