消しゴムマジックで消してやるのさ

「そういえば、光希ミッキーは元気?」


三杯目のハイボールを飲み干して、他に思いつく話題もなかったのだろう。興味ないくせにそう聞いてきた。


元気だよ、と答える。

今日は大学時代のサークル仲間とワンダーフォーゲルに行っているようだ。ついさっき、山頂からの景色の写真が届いていた。


そのことを弥生に伝えるとひどく驚かれた。そんな放任でいいのか、女はいるのか、その場のノリで過ちを犯し放題じゃないかと散々な言われようだ。


「ああ、そっか。ミッキーは小学校の先生だしねえ。そんなことしないか」


どれだけ言葉を使って否定しても納得しなかったのに、光希の職業にはえらく信用を置いているようだ。


弥生は勝手に納得するとアルコールの回り切ったとろんとした目をきらめかせて、皿の減らない机の隙間に器用に頬杖をついた。


「それにしても、あんたって結婚してもずっと変わらないわねえ。まるで独身のお友達と喋っているみたい。あたしが結婚するまでは、ずっとそのままでいてね」


結婚したからって、何か変わる必要あるのか?


律はそう思いながら、もともと烏龍茶であった氷しかないグラスを傾ける。一滴だけぬるりと喉に流れ込んだ。


「それなら私は、一生このままだろうね」


「おっと。どう言う意味かしら?」


弥生はニコニコと笑いながら、おしぼりを包んでいたビニール袋を手に乗せて、ふっと吹き飛ばしてきた。



燈子に写真撮って送りつけてやろうよ、という申し出に承諾して、店の前で自撮りを試みる。


たらふく飲んだ弥生が終始フラフラしてしょうがないので、肩をがっしり掴んでやった。柔らかな表情を見せる律と満面の笑みでピースサインを送る弥生が画面に並ぶ。

三人で撮る時よりも距離が近くて仲良しみたいだ。


半目になっていないことを確認して、弥生にスマートフォンを返す。「ちゃんと盛れてる?」と覗き込んで、彼女は楽しそうに悲鳴をあげた。


「やだ、もう。律ってば下手くそなんだから。知らない人が映り込んでるじゃない!」


「それ私の写真の腕に関係ある?」


律も改めて覗き込む。

弥生が指差した女を見て、胸騒ぎがした。


全身が映るほど小さな影だった。


しかしその女は明らかにこっちを見ていた。カメラを睨んでいるわけではない。律と弥生の背中を見るように佇んでいる。


淡いパステルカラーのワンピースを風に揺らし、同じく靡いた長い髪の毛は黒くまっすぐに伸びていた。そして何よりも目を引いたのが頭の上の花冠だった。


今朝の火事のニュースで見た女と同一人物だろうか。おそらくそうだろう。顔や特徴はあまりはっきりとは覚えていないが、花の冠を被った大人の女を一日に二人も見てたまるかとも思う。


そっと振り返って姿を探したが、そんな浮かれた格好の人間は見当たらなかった。


スーツの集団が「どうもどうも」と頭を下げながら名残惜しそうな素振りで別れの挨拶を交わしているだけである。


「えっへん。でも大丈夫。消しゴムマジックで消してやるのさ!」


弥生はヘラヘラ笑いながら画面をなぞる。白い線で囲まれた女は画面の中からパッと姿を消し、代わりにオレンジ色の提灯に照らされたアスファルトが伸びる。


ほう。技術の進歩はすごいな、と思うと同時に、写真とは真実の記録を残すものではなくなったのだとしみじみ痛感する。


おっと、何を今更感心しているのだ。

技術の進歩など、画面の中しか存在しえない、はっきりとした目と輪郭を持った自分からも顕著に出ていたではないか。


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