門と魔術師(2)

 祖父は恒常的に糸杉の採れ高を偽っていた。

 小麦や野菜をちょろまかすのとは話が違う。切り株を数えたら分かる話だ。よくも〈連盟〉の査察官の目を掻い潜ってそんなことをしようと思ったものだ。

 祖父は頑として不正を認めようとしなかった。祖母は帳簿を繰っていて気付いたというが、それも祖父が鍵を失ってから、しばらく経ってのことだった。

 トリックは簡単だった。

 祖父は門とは反対側にもうひとつ、材木置き場を作った。祖父は不気味な噂が立つに任せていた節がある。査察官も奥までは見たがらない。

 すっとぼける祖父の様子が目に浮かぶ。――え? 査察ですか。参ったなあ、日付を間違えていたみたいで。木材だったらそのへんに積んであるんで、ご自由に見てください。随行? 出来ませんね、このとおり忙しいんで。

 祖父がそれでも敢えて危険を冒していたのは、〈連盟〉より高値で買ってくれる客がいたからだった。

 祖父が秘密を教えてくれたことがある。

 私が〈連盟〉の学校を出るか出ないかというころだった。錆びて軋みをあげる車椅子を押して、門のひとつを散歩していた。

〈連盟〉の有力者は、害がない代わりに何の資源にもならない門を、公門として鍵なしの平民たちに開放している。祖父のお気に入りの門は、石の組合が開放している古城だった。

 石の組合は建築と造園を司る。古城の庭園には、著名な門前の景観を模したランドスケープがそこかしこに仕込まれていた。その中のひとつに、針葉樹の森があった。

 もちろん、そのモデルは祖父の持っていた門ではない。古城にはいつも日が射していて、温かい。いつも生き物の気配がある。

 その日は、紋白蝶が木漏れ日の間を泳いでいた。私は森の入口で車椅子を止め、その様子を眺めていた。何も書かれていない紙が舞っているように見えた。

 飲み屋で声を掛けられたんだ、と祖父が呟いた。

「何の話?」

「木材を売ってくれってな。〈連盟〉に内緒で」

 祖父が何を語ろうとしているのか察した私は、口をつぐみ、芝の上に腰を下ろした。

 レジスタンスか? と祖父は訊いたらしい。

 それはもっともな反応だっただろう。そいつが提示した金額は木の組合で定められた単価よりも高く、末端価格より安い値段だった。

 祖父は改めて目の前の奴を見直した。

 目元まで覆うフード付きのローブ。髪の下から象嵌の施されたマスクが覗いている。肌が見えるのは指先と口元だけだった。それも、彩色される前の蝋細工のように青白かった。

 魔術師かもしれない、と思った。

 誰でも知っているお伽話だ。誰も開けていない門の向こうには魔術師が住んでいる。普段は日陰で食っちゃ寝しているが、鍵が刺されるのを見ると重い腰を上げて、開けるものが望む風景を拵えてやるのだ。そしてたまに、門から一人で出ていって悪さをする……

 バカバカしい、と祖父はその考えを振り払った。

 ゆるやかな衣服で体を覆い隠すのはむしろ、開錠師たちの特徴とも言えた。手袋やマスクの下に錠前が埋められていたとて、なんら不思議ではない。

〈連盟〉の子飼いの開錠師がこんな場末の酒場で密輸の相談に来るとも思えない。レジスタンスだったとしても、もっと場所と時間を選ぶだろう。こんなふうに話を持ちかけてくるのは、愚かであるか、力があるかのどちらかだ。

 もしかしたら、やばいやつにつかまってしまったのかもしれない。

 何に使うんだ、と祖父は訊ね直した。返答次第では売れない。何かの片棒を担がされたくはないんでね。

 相手は口をぽかんと開けて硬直したあと、くぐもった声で答えを寄越した。

 紙を……紙を作る原料にしたくて。

 かみ?

 揶揄われているのだと思って反応を探ろうとした。しかし、全てをマスクが覆い隠していた。このマスクには視界を確保するための穴や透かしが入っていない。

 紙くらい、〈連盟〉が配給するだろ。あの紙じゃだめなのか?

 だめだ。

 粗悪だから?

 質の良し悪しは重視していない。

 意味がわからなかった。やはりレジスタンスだろうか、と当たりを付けた。

 鍵が私たちを導くものは、風景ばかりではない。現象を司る鍵がある。門の中に入れたものが変化するのだ。レジスタンスたちは複製現象を司る鍵を所有していて、それでアジビラを作っている。

 複製は無限にできるわけではない。最初に入れたものを記憶をしてその後に入れた原料を変化させる、というのが〈複製現象〉門の本質だ。文字を書いた紙を複製したいなら、紙とインク、ないしその原料を入れる必要がある。

 まあチラシくらいなら、と祖父は溜飲を下げた。武器とかアジトを作るならともかく、レジスタンスのアジビラが増えるくらいなら別に構わない。カラクリが露見したところで、そこまでの問題にはならないだろう。

 それで材木を売ることになった。

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