〈海の門〉

暴力と破滅の運び手

門と魔術師(1)

 祖父は鍵持ちだった。

 その鍵は先祖代々受け継がれてきたもので、所持するものは森番といわれた。森へとつながっていたからだ。

 その森には糸杉ばかりが生えていた。暗く、寒かったらしい。空は曇りがちで、枝葉に阻まれてよく見えない。雪が降っていることも多かった。

 人々を森へと導く鍵はありふれているが、材木や果樹、またそこに住まう動物たちのことを考えれば、考えようによれば莫大な資産になる。伐採や採取、あるいは狩猟にはなかなかの人手が必要で、そうなると収穫物を運び出す人夫やら工具や食料を売る露天やら、果ては炊き出しや按摩まで着いてくることだってある。

 とはいえうちの鍵は不人気だった、というのが親類たちの証言である。

 我が家の森を描いた油彩画が残っている。

 鍵の導く場所を風景画として描くとき、構図の中に門を置くことがある。岩壁の中に埋まっているところを見ると、共用で使われている門のひとつだろう。

 開け放たれた扉の向こうは森だ。糸杉の幹の間に、ひとりの男が立っている。苔色の服を着て、頭には毛織の帽子、背には猟銃。黒い犬がこちらに顔を向けている。

 何ということもない風景画だが、その森がどんな場所だったか知っているものが見れば、寒々しい気持ちになる。

 祖父の森が不人気だった理由は、動物がいなかったからだ。だから、猟銃を抱えてひとりで森の奥へ行こうとする者などいないはずだった。

 門の向こうの世界は、何かしら不合理な面を持ち合わせている。

 ある鍵は海にいるはずの魚介類しか獲れない川へと繋がっていて、人々は漁を手伝うそうだ。虎が草を食べ馬が肉を食べるという草原の鍵はときおり人々の話の中に出てはくるが、行ったというものはいない。

 生き物のいない森というのはそこまで極端な不合理だったわけではない。伐採や、杉の実の採集を邪魔するものは寒さと雪くらいのものだった。

 では、なぜあまり人が寄り付かなかったのか。

 疑問を持ってしまうからだ、と祖父は語っていた。つまり、生き物をいなくならしめている原因がどこかにはあるのではないか、と考えてしまうのだ。

 故のない疑問ではない。こんなことがあった。

 ある男が、祖父が徒弟や日雇いの手伝いたちを共用門のひとつの前に集めているところにやってきた。

 見ない顔だったし、やけにコソコソしていた。祖父は、いやにきれいなボロを着ている、と思ったらしい。

 でも、日雇いの材木運びに訳ありが来ることは珍しくない。途中でへばって立ち去るならそれまでのこと。結果的に徒弟が増えるのなら万々歳だった。

 門に鍵を挿し、腹心たちにあれこれと指示を出しながら伐採場へと向かった。それからはいつも通りだった。幹を削り、縄を繰って引き倒し、枝葉を落とす。きれいになったものから運んでいく。新入りの姿はすぐに見当たらなくなった。早くも音を上げたのだろうと思って、気にも留めなかった。

 ところが、伐採場を離れて人気のない茂みで用を足しているところに、そいつは現れた。

 思わず小便がひっこんだわい、と祖父はこのアネクドートを語るときにいつも言った。祖母はその度に、服に引っ掛けたんだよ、と大きな声で陰口を言った。どちらにせよ、祖父が落ち着いて排泄を続けられる状況になくなったことは確かだろう。

 ごろつきはまごつく祖父の眼の前に手のひらをちらつかせた。その中央には鍵穴が《埋まって》いた。ちょうど銅貨のような色と大きさをした金属はちょっと手のひらよりも奥まったところにあって、ぎざついた肉の断面が見えた。抉り取って埋め込んだものと一目でわかる。

 それは〈連盟〉の開錠師だけに許された人体改造だった。

 襤褸の下に隠したもう片方の手が、じゃらりと音を鳴らす。開錠師たちはたくさんの鍵を所有しているが、その多くは、開ければたちどころに周囲にわざわいを及ぼす。攻撃や捕縛に使うためだ。

 手のひらはやばい。

 真っ先にそう思ったらしい。開錠師には位階がある。その辺で闇市とか違法利用を取り締まってるような奴らは、手に小型の門を持っている。それだって全身に耐呪のまじないを施してからじゃないと、手持ちの門を開けることはできないのだ。

 次に頭に浮かんだことは、何かがバレたのだろうか、ということだった。

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