終局
おれの背後からどよめきが追ってくる。おれの感覚が通じるわずかな空間を、人々はすり抜けてゆく。強い風が吹き付け、おれは目を瞑り顔を背けた。
この風が冷たいのか暖かいのか、今のおれには分からなかった。表皮は温度と感覚を失っていた。
パニックになっている人々がホームに密集している。容易くおれはホームの人混みに埋没する。目の前の出来事をどれだけ切実なものとして捉えようとしても、現実感は消え失せたままだった。駅にいる人間が増大していることすら、おれは今初めて認識した。騒がしい人混みの持つ熱気に、美術館での狂気的な遠山達の姿が重なった。
おれは榮倉たちと数か月行動をともにしながら、彼らの人格について何も知らない。おれは誰のことも見ていなかった。
思い出す――おれが榮倉に誘われて、初めてボウリング場に行ったあの日。彼らを眺めていながら、遠山が金髪だったことになかなか気づかなかったおれ。図工の授業でドラゴンを描こうと提案し、拒否されたおれ。必死に爪痕を残そうと、青い空を塗りたくっても相手にされなかったおれ。
おれの行動のすべては自分本位で、誰のことも頭に入れていない。そんなことにも気づかず生きてきた。
おれは誰の内面も見ていない。ただ、榮倉や京子、ヒーローインサイドの作者の目に見える要素だけに対して、嫉妬に心を歪ませる。だから、榮倉の絶望を理解することができない。あれだけ優れているのに死にたいなんておかしいと、決めつける。
榮倉の表面しか見ていないからだ――榮倉がどう考えているのか、何を思っているのかについて、おれが思いを馳せることは遂になかった。
今までそうやって生きてきた。だから、橋本もおれの元から去ったのだ。おれがおれである限り、友達などできはしないのだ。
じゃあ、おれはどうすればよかったんだ――虚空に呟く。今では何もかもがあやふやで、手遅れだ。
いつだっておれには余裕がなかった。形容のできない不安に苛立ち、ある時は人を羨み、ある時は孤独に虚しさを覚え、自分の弱さを嫌っていた。そんなおれが、ほとんどの人間に劣等感を抱いているおれが、誰かに本当の優しさを与えることができるはずがない。
人を気遣って生きることができる人間にしか生きる資格がないというのなら、おれという人間には生まれた時から価値はない。何も手に入れられなかった。普通に生きる才能ぐらい欲しかった。
そんな人生に疲れた。こんなことばかり考える人生なら辞めたかった。
もろもろをひっくるめて、おれには人間として生きるセンスがないのだ。
頭の中には靄がかかっており、そこに冷たい空間が広がっている。榮倉は死んだ。自分に終止符を打った。地獄なんて作らなくても既にあると言いながら、この世の地獄を象徴する死に方を選び、実現した。面倒くせえ――また、榮倉の言葉が浮かぶ。不意に、榮倉のようになりたいという衝動が噴出した。おれは騒ぎ立てる人々を薄目で見やり、ポケットから鈍色に光る物体――ナイフを取り出し、眺めた。
喉元にナイフを近づける。
目を閉じる。握りしめた両手を首元に手繰り寄せる。喉元に鋭利な切っ先が僅かに触れる。僅かな痛み――冷たかった。さっきよりもきつく目を瞑り、覚悟を決めて震える腕に力を込める――
手足の自由を失った。スローモーションになる視界。放物線を描き点字の上に落下するナイフ。耳を甲高い音が貫く。
「岡本市長を殺害した少年グループの一人だ。カメラに映ってた顔だ」
険しい表情で喚きたてる男――警察官に、おれは羽交い締めにされていた。駅のホームには他にも、制服を着た警官が何人もうろついていた。おそらく、逃げたおれが監視カメラに映っていた――おれの足取りはばれていた。
おれは手足をばたつかせ、暴れた。これから起こることを想像するだけで寒気がした。それでも警官の身体はびくともしない。どうにもならない。
榮倉はたやすく自分自身を殺すことができた。死ぬことも殺すこともすべて自由にできた。あいつらもそうだ。おれにはそれすらも叶わない。同じ人間なのに。一緒にいたのに。なんで。
なんでおれだけが殺せない。死ねない。自分の行く末すら選べない。
死んでしまえればそれで全て終わりだったのに。
なんで。
どうしておれのやることはいつも失敗する――
視界が暗くなっていく。頭の中でおれが落ち続けている。もううんざりだと叫んでいる。何でこんなふうにおれをしたんだと呪詛を撒き散らしている。
おれにセンスがないから。
それが全てだった。
センスなんかいらない 大宮聖 @oomiyanoir1994
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