センスなんかいらない

「地獄はもう十分にあるんだよ。世の中の人たちの大半が気づいていないだけでね。それでも、大半は気づいてないんだよ、隆司。そういう意味で、おまえは他の奴より優れてるじゃないか。地獄に身を置いていることに気づけたんだから」

 榮倉はおれが人より優位だとでも言いたげだった。それがたまらなく気に障った。神経は擦れすぎて千切れそうだった。

「そうじゃない――おれに他人より優れたところなんて何もない。それが不公平なんだ、嫌なんだ」

 榮倉の言葉に耐えられない――気づけばまた口を開いていた。口の中はやけに乾いていた。

「だってそうじゃん。センスあるやつはみんなに褒められて、楽して生きていける。でも、何も得意なことがない奴は誰からも認められない。人が当たり前にやってることすらできずに、自分の不出来さを呪いながら生きていくことしかできないんだ」

「そうかもね」

「センスあるやつにはあるやつなりの苦労があるとかいうけど、そんなもの何にもない奴の苦しみに比べたら大したことないに決まってる」

「いきなりセンスセンスって、なんのセンスだよ」

「生きていくためのセンスだ。おれには人間をやるセンスがなかったんだ。今だって、あいつらよりはるかに恵まれているっていうことに気づいていたのに、結局はこんなだからな」

「いいじゃない。そんなものなくても」

 耳を疑った――瞬時に怒りに変わった。相変わらず薄く微笑している榮倉遼一――美術館で凍り付いたはずの、何度か彼に対して抱いていた殺意が瞬時に蘇った。

「おまえはわからないからそんなことを言えるんだ。だってお前は勉強ができて絵も描けるじゃねえか」

「そんなことどうにもならないよ」

「嘘だ。おまえはセンスがあるんだよ――おれからしてみればな。でも、おまえにとってはそれができて当たり前なんだろう。だから本当に何の才能も無い人間がどういう生き方をしてきたかってことに全く考えがいかないんだ」

「何が言いたいの?」

 歪な感情が絡み合い、ぐちゃぐちゃになる。整理しきれない感情を伝えられないもどかしさ――容易く怒りに転化する。

「センスなんか、才能なんかいらねえ。そんな奴らがいっぱいいるから、おれがこんなにも苦しまなきゃいけないんだ。センスあって恵まれてる奴らなんか、全員死ねば良いし、センスなんか、全部消えちまえばいいんだ‼」

 やめろ――止まらない。念じたからと言って止められるものでも無い。もはや自分が何を喋っているのかすらわからなかった。おれの口から出るのは言葉ですら無い、ただの煮えたぎったどす黒い感情だった。

「だからおれもそう言ってるじゃんか」

「違う――そうじゃないんだ! おまえの言ってる意味とおれのでは全然違う‼」

「落ち着いて――確かに、センスはなくてもいいのかもしれないよ。でも、そんな世界で、なんでおまえが必要とされると思うの?」

 榮倉の言葉が切っ先鋭くおれを抉った。おれは束の間呼吸を失った。

「隆司のいうセンスがいらないなら、おれやおまえだっていらない。だって、そうじゃない? それなら、そんな世界で必要なものなんかないと思うよ」

「結局てめえも同じなのか。おれのことを下に見て、価値がないと嘲るんだ。そんなおまえだって価値なんか――」

「隆司さ、おれのこと美術館で殺そうとしたでしょ」

 唐突な言葉――心臓に釘を打ち込まれたような衝撃。見透かされていたことに対する恥辱より恐怖が勝った。途端におれは意志を封じられ、何も喋れなくなった。

 おまえにはセンスがあるんだよ。センスある奴なんか死ねばいい――さっきおれがまくし立てた言葉は榮倉に対する殺意を肯定するものだった。おまえを殺したい――そう断言したも同然だった。全身をびりびりとした不快なものが包み込む。

「おれに価値がないと思うんなら、あの時殺せばよかったでしょ? それとも、おれに価値がないと思っていたから、おれを殺さないでくれたのかな?」

 榮倉遼一は穏やかな微笑みを浮かべた。おれは全てが打ち砕かれたように全身に力がなくなっていくのを感じた。もう、自分自身に抗うことに疲れた。泣きたくなった。

「榮倉。お願いだ」

「何だよ?」

「絵をめちゃくちゃにしてくれないか」

 プライドを捨てて口にした。唇が震えた。一言述べただけなのに、焼けちぎれそうな熱さと痛みが全身を貫いた――屈辱だった。榮倉に何も頼みたくなかった。

「どういうこと?」

 榮倉が目を丸くした。少しでも榮倉の意表をつけたことに身体の奥底から快感が沸き上がる――おれは屈折していた。

「絵だよ、あっただろ、高校生のやつ。話したじゃんか。おれの妹――」

「何言ってるの。もう無理だよ。当たり前だろ」

 榮倉が笑い飛ばす。おれの願いはたやすく砕け散る。

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