荒廃の果てに

 見覚えのある道を一心不乱に走っていると、駅前まで来ていた。既に冷えきった足で、歩を進める。駅――昨日電車に乗ったときに来た場所。美術館から一キロほど離れたところにあったはずだ。

 人は少なく、数台のベンチに五人程度が座っているだけだった。薄暗い空がおれを隠す。日が沈みかかった今、大きな屋根のせいで駅のホームはやたらと陰気だった。中島は死んだ。遠山は捕まった。他の連中がどうなったかは分からない。

 おれを追ってくる警官や一般人はいなかった。もしかしたら、被害者と勘違いしたのかも知れない。

 誰も殺せなかった。おれは鬱憤を抱えているはずだった。この世を憎んでいるはずだった。全部壊してやりたいという凶暴な衝動こそが、日頃からおれが抱いていた切なる願いであるはずだった。

 何も出来なかった。

 刃物を振り回し、容易く人を刺し、痛めつけ、殺す。世の中に対する彼らの鬱憤は想像以上だった。ボウリング場で、おれたちは進歩しないながらも熱中し、言葉を交わし、はしゃぎ合った。そんなものは彼らにとって何の救いにもならなかった。

 誰も殺せなかった。悲鳴が、生が失われる瞬間を目の当たりにして怯えた。怖かった。悪者にすらなれなかった。

 人を殺す――最初からおれに出来るはずがなかった。当たり前だ。何一つ出来ないから、おれはこんなことになったんだ。

 ただ、自分を取り巻く全てが怖かった。だから、全てを壊したかった。

 誰も殺せないだけなら、まだ仕方ない。おれは一枚の絵すら自分の意志でどうすることもできなかった。

 絵を本当に壊したいだけなら、自宅で壊せばよかった。妹の部屋に立てかけてある、書いている途中の絵を破くか絵の具を引っかけるかして、台無しにしてやればよかったのだ。

 何故それが出来なかったのか。

 妹を悲しませたくなかったからだ。矛盾しているが、おれは妹の幸せを本当に願っていた。それでも、劣等感と全身を巡る苦痛に耐えきれず、最後には妹の幸せより、自分が楽になる方を選んだ。本当に愚かしいほどに、おれは矛盾していた。

 妹を悲しませたくなかった――そうじゃないだろう。

 おれは全てが終わった後死ぬつもりだった。死ねば全てがなくなる――何を気にすることも、何を見ることも、何に悩むこともなくなる。

 おれは妹の悲しみを正視する度胸がなかっただけだ。妹のためを思ったんじゃなく、妹の悲しみと向き合う覚悟がなかったのだ。だから、自暴自棄になって、妹の絵を壊して死のうなどと考えた。

 乾いた笑いが口をついて出た――自分の意志では止められなかった。笑ってしまうほど、おれは臆病だった。一番大切で、近くにいた家族とすら、向き合うことがついにできなかった。暗闇に声が吸い込まれていく。

 それに、もし、時を戻したとしても、おれは妹の絵に何一つ手を出すことができないだろう。おれは小さかった。妹の絵を憎みながらも、自らの手を下すことが出来なかった。

 妹ほどの人間におれなんかが手出しをしてはいけないというコンプレックスが根底にあったからだ。妹の才能は誰よりもおれが気づいていた。本当なら自分とは全く関係ないところで、壊れて、自分と全く作用しない原因で、失われて欲しかった。ヒーローインサイドに対して抱いていたのと同じ、粗だらけの馬鹿げた感情。

 この期に及んでおれは劣等感の塊だった。人殺しに加担してなお、おれはあれほど嫌っていた自分を捨てられなかった。

 家族は数時間後にこの事件を知るだろう。人殺しにおれが加担していたと知って嘆き、怒り、悲しむ。どこで育て方を間違ったのかと後悔するだろう。そうじゃないんだと教えたかった。おれは生まれた時から失敗しているんだ。おれが何もできないから、センスがないからここまで落ちることになった。

「やっぱりここにいたんだ」

 忘れられない声色――声の方に向き直る。駅のホームに榮倉が立っていた。

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