居場所
スマートフォンの画面を眺める。LINEの友だち欄――りょーいち。榮倉のアカウント。今までおれには「友だち」は家族だけだった。友だち欄――目に見える薄っぺらい関係。普通の人間なら行く先々で適当に追加して増やせる。LINEの友だち――本当の友達というわけでは無い。それでも――家族以外との、目に見える繋がりを初めて手に入れた。馬鹿だと分かっていても、高揚感を抑えられなかった。
――あいつらは事情があって家に帰りたくない。でも行く当てなんかあるわけが無い。そういう奴らを、おれが家に泊めてやってるんだ。ネカフェとかカラオケは、深夜は条例で入れないからね。
――なんでそんな金があるんだよ。
――お父さんが死んだときの生命保険。三千万円ぐらいあったんだって。
――お母さんは大丈夫なんか? 普通さ、高校生にそんな金使わせてくれんやろ。
――まあ大丈夫でしょ。生命保険の名義はおれだし。
榮倉の言葉はどこか他人事のようだった。
榮倉は軽くあそこにいた連中の名前と事情を話してくれた。遠山と沢村は本人が話していた事情そのまま。短髪で背が高い青年が長崎で、褐色の肌でやや長めの髪のやつが康司。長崎は片親で育てられてきたが父親が居酒屋はパチンコに遅くまで通い詰め、彼自体は殆ど放置状態にされている。いわゆるネグレクトだ。浅黒い肌の康司は高校で不良に万引きを強要され、補導されたことで世間から冷たくあしらわれるようになり、半家出状態になっていたところをゲーセンで榮倉と会った。
ラウンドワンの窓ガラスから見える空は暗くなっていた。娯楽に浸かり終えてから帰宅するという感覚が新鮮だった。
晩ご飯はカレーだった。おかわりをしてから自分の部屋に戻った。机の上にはダイオキシン類の教材が乱雑に積まれている。ダイオキシン類の教科書――と言っても先生が印刷してのり付けして作った白黒のお手製だったが、勉強に使う分には何の支障も無い。一年生の時は綺麗だったが、いまやのりが剥がれてばらばらになっていた。
過去問を解く。丸付けをして、教科書を読み込む。いつもの試験勉強――今日は不思議と目が滑った。
思考の焦点が定まらず、意識が流れてゆく。頭の中に靄が張り巡らされているようだった。
あそこにいた少年達の受験に失敗して暴力を振るわれ、嫌になって飛び出した沢村。勉強と家族から逃げ出した少年。それでも、毎回教科書を持ってきて、机の上に積み上げている。やりもしないのに。勉強をしなければいけないという認識だけはあるが、そのためにどうすればいいのかを考えることに恐ろしく無頓着だ。だから、毎回教科書を持ってきて、それだけで終わってしまう。沢村は壊れた人形のようだった。
沢村だけでは無い。あそこにいる奴らは何かしら事情を抱えている。社会から排除された連中の集まりだ。
知りたくなかった――目の当たりにしたくなかった。自分の状況を遥かに下回る連中。
――あいつら、ここに来てるとき以外は何やってんだ?
ラウンドワンから帰る際に榮倉だけは見送ってくれた。階段を降りながらおれは榮倉に質問した。
――自分の家に泊めてるとき以外は、おれも知らない。でも、おれん家にいるときも特にあいつらは何もしてないよ。
榮倉の言葉がショックで、おれはしばらくの間固まった。
――あいつらとはボウリングぐらいしかやらないから。でも、あいつら毎回ちゃんと来るよ。
――いつもボウリングを繰り返すだけなのに、何でこいつらは律儀にここに集まるんだよ?
――ひとりぼっちよりはましだって、あいつらみんな同じことを思ってるからさ。他に行く場所が無いから。
榮倉はこともなげに答える。
一人になってからおれは榮倉の言葉を反芻する。ひとりぼっちよりはまし――その通りだった。いつだっておれは独りぼっちを隠す振る舞いをしていた。独りぼっちであることを知られることを何よりも怖れていた。
救われない奴ら――何処に行くことも出来ずにただ目の前の一日を消費してゆくやつら。遠山、長崎、康司、沢村、その他の少年。
榮倉は? あいつが不幸そうには見えなかった。榮倉はあの集団の中で明らかに異質だった。
思考回路がパンクしそうだった。
いつもと違って起こされなくても目が覚めた。朦朧とした意識の中、ベッドで横たわったまま部屋の床を眺める。教科書やコピー用紙、小説が散乱した汚れた部屋――嫌気が差す。
手足がいつにもまして疲れ切っており、全くと言って良いほど力が入らない。疲労が昨日のボウリングのせいだということはわかっていた。
朝ご飯も食べずに、いつもより早く家を出た。疲れを押し殺してペダルを踏む足に力を込める。また、いつもの学校生活に戻らなければならない。寂しくて些細なことで傷つく、生きづらいだけの毎日。また、昨日のことを思い返す。特別たいしたことがあったわけではないが、おれにとっては全てが新鮮だった。特に、同級生だった榮倉遼一と、居場所がなくてあそこに密集している彼らの人生がおれの人生と微かにでも交わったことにおれは軽い戸惑いと高揚を覚えていた。
校門を潜る。三人で談笑する制服姿の女子がおれを抜き去ってゆく。いつもの光景、その中で一人取り残されているおれ――見慣れすぎた光景。昨日のボウリングとは余りにもかけ離れている。
おれが孤独ないつもの状態に戻ったということを示している。それなのに、今までより疎外感と、不特定多数に対するでたらめな憎しみが遥かに薄まっている。
おれは学校に行くことに妙に楽観的なことに気づいた。今日だっていつもと同じ、孤独な日々をおくるはめになるはずなのに――
これが属しているということか――腑に落ちる。どこかに居場所があるという安心感か。
ひとりぼっちよりはまし――榮倉の言葉が生々しく蘇る。
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