斉藤狼子曰く①



 斉藤狼子ろうこは、日本最高峰の殺し屋である。

 仮に『殺し屋』という陳腐な表現に納得できないのなら、『職業殺人者』と言い換えよう。経済界のお偉方から、時には警察の暗部組織から依頼を請け負い、人殺を行う者。人殺しの請負人。

 個としての力が強過ぎるあまり、自身の存在を腕尽くで世界に認めさせてしまった女。それが斉藤狼子だった。

 殺し屋としての彼女の武器は日本刀であることはあまりにも有名だが、実は彼女が素手での近接戦闘にも優れることは、先の状況に比して、知られていない。当たり前と言えば、当たり前か。この現代日本で、日本刀をぶら下げた人間を見れば、「刀で戦う人間か」と判断するのが当然だ。まさか、目の前にいる少女が、刀を手放しても強いとは、夢にも思わない。

 悪夢である。

 近距離ではフルコンタクト空手の技術で、それよりも近い、過近距離とでも言うべき間合いでは、キックボクシングとムエタイの技術で戦う。これは酷い詐欺と形容できるかもしれない。人斬りに組み掛かったら、肘を入れられるだなんて。肘で、斬られるだなんて。

 射撃のスキルこそないが、こと立ち会っての殺し合いということに関しては、斉藤狼子は間違いなく、最強の殺し屋なのである。







 小さな居酒屋のカウンター席だった。

 ネギまを頬張っていた斉藤狼子は、隣に座り、同じように焼き鳥を食べている同居人の少年に、こんな風に訊ねられた。


「……狼子さんは戦うのが好きなんだよな?」

「え? あー、まあ、そうだ。勝つのはもっと好きだが」

「僕にはまず、それが疑問なんだけど、それは一旦、脇に置いておこう」

「何が疑問なんだよ。楽しいだろ、身体動かすの」


 烏龍茶で喉を潤して、ハツを口へと運びつつ、人斬りの少女は言う。

 そりゃスポーツが楽しいのは分かるけどさ、と少年。


久良ひさよし、そりゃ分かってねーな。一緒だよ、戦いも。実力を競うのが楽しいんだ。その結果、死人が出ることがあるだけで……。大した違いはない」

「大違いだろ」


 久良、と呼ばれた少年は冷静に突っ込んだ。

 四条河原町にあるこの店は、裏の人間の御用達の飲食店だった。メニューがどれも美味しく、裏通りにある為に目撃されにくく、何より、店主の口が堅い。今もそうだ。彼女等の会話など素知らぬ風に、串をひっくり返している。


「あー、じゃあ、いいよ。今は『違う』ってことにしておく。……で? 戦うのが好きなのが、どうかしたか?」

「いや、大した疑問じゃないんだけど……。ふと、狼子さんみたいな人達にも、戦いたくない相手っているのかな、って思って」

「そりゃいるよ」


 当然と言わんばかりに狼子は応じた。


「弱い奴。弱い奴斬っても楽しくないからな」

「そういうことじゃなくって……。厄介な相手、的な」

「ああ」


 新たにモモを二本、注文し、言う。


「それも、いるっちゃあ、いるが……。戦いにくい相手に対し、工夫して立ち向かうのは、結構面白いぜ? 吸い込んだら死ぬ系の毒とか使われると焦るが、上手いこと、相手の裏を掻けた時は、すげー楽しい」

「……そんな相手と戦ったことあるのか?」

「あるよ。結構ヤバかった」

「へえ。狼子さんでも苦戦するんだ」

「あー、違う違う。ヤバかったのは近隣住民だ。風向きによっては無関係な奴が巻き込まれる可能性があったんだ」

「ヤバ過ぎるだろ!」

「だから言ったじゃん、『結構ヤバかった』って」


 どうやらとんでもない修羅場を潜り抜けて来ているらしい。

 そうだ、と狼子は続けた。


「ヤクネタとか、やりにくいかもな」

「『ヤクネタ』? 暴力団における、厄介者を意味する隠語……だっけか」

「……お前、変なこと、知ってるよな」

「放っておいてくれ」

「まー、そのヤクネタなんだが、今、あたしが言ってるのはちょっと違う。……遭遇したら運がなかった、系の相手だ。しかも、一般人なんだな、ソイツ」

「裏稼業とか関係ない人間ってことか?」

「ああ。ただの警備員だ」


 なのに、と空になったグラスを大将へと返しつつ言った。


「とんでもなく強いんだ、これが」

「……なんでだ?」

「え?」

「だから、その警備員とやらは、なんでそんなに強いんだ? 空手とか、ボクシングの心得があるのか?」

「あー、あっはっは。そうなるよな、普通は。普通はそういう発想をする。……違うんだよ。そうじゃないんだ。アイツはな、」


 ただ、単に。

 極々、単純に。

 暴力に関する才能がずば抜けているんだ――と。


「とは言っても、あたしも実際に会ったのは、ついこの間なんだけどな」


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