斉藤狼子曰く②



 夏。大阪。とある野外フェスの会場だった。

 斉藤狼子は外縁部を歩いていた。噂の『ヤクネタ』に会う為に。

 裏では有名な噂。「とある小さな警備会社に、恐ろしく強い警備員がいる」。その強さ足るや、あの『アバドン』の精鋭でも敵わず、『白の部隊』の隊長格すら遅れを取るかもしれない、ということだった。

 どんな一般人だ。

 狼子は思う。「そんな奴、いてたまるか」。

 しかし、どうにも噂は真実らしいのだ。今日もこのフェスの警備に当たっているという。『御幸町警備企画』というこの国有数の警備会社から仕事を受け、見回りを担当している、と。

 夏の太陽の下、露店で買ったアイスバーを齧りつつ、少女は歩を進める。激しいロックと観客のコールが鼓膜を揺らす。聞いたことあるな、なんて曲だっけか。そんなことを考えていたら―――、

 ―――いた。


「(……へえ)」


 警備員姿の青年が目の前から歩いてきた。

 一瞬で分かった。コイツが件の『ヤクネタ』――高瀬壮太だ。

 殺し合いの場に身を置く狼子故に理解できた。「ヤバいな」。何が恐ろしいと言うならば、青年が自然体であること。周囲を警戒するでもない、殺気を振る撒くでもない。ごく自然に、尋常ならざる暴力が、その気配が、漏れ出ていた。見る者が見れば、即座に分かる。狼子が理解したようにだ。

 武道や武術を習ったことがないのだろう、気の抑え方を知らないのだ。

 ……ということは、コイツ、何かしらの達人ってわけじゃねーな……?

 歩く姿を観察しても、それは自明だった。隙がある。素人だ。しかし、隙はあるのだが、その隙には暴力の気配が満ちている。異常だった。


「なあ、そこの警備員さん」


 ちょうど視線が合った際に、狼子はそう呼び掛けた。

 高瀬壮太は立ち止まり、「なんでしょうか」と平坦な声音ながら丁寧に応じた。


「今、忙しい?」

「いえ、それほどでも」

「オーライ、最高だ。……隣、歩いてもいいか?」

「どうしてですか?」

「話がしたいからさ、アンタと」


 青年は数秒、考えた後、


「構いませんよ」


 と、答える。感情を伺わせないトーンで。

 こうして、稀代の人斬りと暴力の天才は、並んで歩くことになった。

 第三者が見れば、どう思うだろうか。しかし、その心配は無用か。人気のない、会場外縁部である。周囲に人影はない。例えば、今ここで殺し合いになったとしても、誰も気が付かないであろう。

 例えば――の話であるが。


「警備員さん」

「なんでしょうか」


 食べ終わったアイスバーの棒部分を咥えたまま、彼女は訊いた。


「……お前、なんでそんなに強いの?」


 狼子の質問の意図を高瀬は図りかねているようだった。

 けれども、やがてこう言った。


「僕は、強く見えますか?」

「見えるね。つーか、実際強いだろ?」

「……『強さ』の定義にもよりますが、まあ」


 曖昧な返事である。

 そして、背筋が震えそうな回答だった。

 斉藤狼子という超一流の殺し屋から見ても、「強い」と感じる青年が――自身の強さに関し、まるで無頓着なのだから。

 それは、安全装置が壊れた拳銃を持ち歩いているに等しい暴挙。武道家である狼子からすれば、信じられない在り方だった。自らの強さ、その源泉や意味、目的を自覚せずに、ここまで強いとは。


「(……戦いたくなってきたな。一発、ぶん殴ってみようか……?)」


 流石に行動に移すことはしないが、そんな考えが頭に浮かぶ。一発でも殴れば、相手だって抵抗するだろう。戦いになるだろう。

 隣を歩く暴力の化身と自分、どちらが強いのか。

 試したいし、楽しみたい。

 斉藤狼子は――戦いが、好きだった。


「やめてくださいね」


 と、唐突に高瀬が言った。


「……何がだ?」

「あ、いえ……。俺の勘違いだったら申し訳ないんですが、殺気を感じて」


 一人称を切り替えた青年は、さらりとそんなことを口にした。


「あー? いやそりゃ、正しいよ。あたし、今、喧嘩売るかどうか悩んでたもん」


 我ながら未熟だね全く、と笑う狼子。

 それは残忍で狡猾で、けれども、高潔な笑み。


「俺、何か悪いこと、しました?」

「いーや、全然? これに関しちゃ、あたしの悪癖だ。昔っから、戦うのが好きなんだ。悪いね。謝るよ」

「いえ」


 高瀬壮太は暫し、沈黙を保っていたが、やがて、


「あなたも相当強そうだ」


 と呟いた。

 狼子はにやりと笑う。


「そーかい。でも、それもさっきと同じだな――“強そう”じゃなく、実際に“強い”のさ」

「試す気は、起きないですけどね。質問に答えるなら、答えは『分かりません』です。自分がどうして強いのか、俺は分からない」

「何かやってた、って感じじゃないな」

「はい」

「でも、師匠はいそうだ」

「……先輩がいます」

「何教えてもらったんだ?」

「変な蹴り技、ですかね」

「変な蹴り技、ね……。テコンドー、じゃ、ないよな。カポエイラかな? か、地功拳か。なんで弟子入りした?」

「俺がお願いしたんじゃなく、先輩の側が教えたがったんです」

「へえ。そりゃまた、なんで?」

「……『強い奴がもっと強くなったら面白いから』」

「はははっ! オーライ、分かったよ! ヤバいのは先輩もだな?」


 それはそうです、と高瀬は珍しく即答した。


「あなたは、どうして?」

「え?」

「あなたはどうして強いんですか?」

「んー……。分かんないが、鍛えてるから、じゃねーの?」

「凄いですね」

「鍛えもせずに強い奴の方が凄いだろう」

「ですかね」

「ああ」

「じゃあ、なんでそんなに強くなりたいんですか?」


 今度は狼子が即答する番だった。


「武道家だから。強くなること……。昨日の自分より、今日の自分。今日の自分より、明日の自分。強さを求め続けることを生き方にした人間だからだ。武道家ってのは、そういう生き物だ」

「そんなものですか」

「そんなもんだよ。あと、単純に戦うのが好きなんだよ」

「好きこそものの上手なれ、ですかね?」

「それもあるかもな。お前は、どうだ? 強いことは、好きか? 戦うことは?」

「……何も思いません」


 けど、と青年は続けた。

 狼子と目を合わせることなく、ずっと前を向いたまま。

 そのどろりと濁った瞳で。


「どうせ強いなら、せめて何かを守る仕事をしよう……。そう思って、警備員をやってます」


 どうしてだろう。

 彼の瞳は濁っていて、煮詰めた墨汁のようで、黒く、暗く、あるいは何も見ていないようですらあったけれど。

 そこには確かに、何かがあった。


「……く、はは、はははっ」

「俺、何か変なこと言いましたか?」

「いーや、全然? でもな、お前の先輩、マジで見る目あるわ」

「ありがとうございます」

「お前の強さを見抜いたことじゃなく――お前が、強いだけの人間じゃないことを見抜いたのが、見る目あると思うよ」


 「お前、優しいんだな」。

 最強の殺し屋である斉藤狼子はそう言って、また笑い。

 「ありがとうございます」。

 ただの一般人である高瀬壮太はそう返して、笑わなかった。


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