市原雷電曰く③



 制限時間、一分間。

 ヘッドギア、オープンフィンガーグローブ装着。

 目突き、金的はなし。

 関節技などは「極まった」とマキナが判断した段階で止める。

 双方の距離、約三メートル。

 開始の合図は、ない。


「双方共、『行ける』と思ったら仕掛けていいから」

「OKだ」

「……分かりました」


 こうして、後に日本人初のNFLプレーヤーになる男――市原雷電と、謎の少年――高瀬壮太との勝負は、ゴングもブザーもなく、始まった。

 市原雷電、FFP、即ち、ツーポイントスタンスで構える。両足を肩幅に開き、爪先を前に向け、腰をやや落とし、重心は前方、そして何より、素早く、軽やかに。アメフトの基本姿勢を取る。

 対し、高瀬壮太は。

 一切、構えない。


「…………」


 雷電は考える。いつだったか、マキナに言われたこと。

 ―――「『構え』ってのはさ、アメフトのフォーメーションと同じなんだよ。その構えをしたな、ってだけで、相手の狙いや得意戦術が分かる。『ロンリー・センター』は極端な例だけど、相手が拳を何処に置いているか、どちらの足を前に出しているか、あるいは平行か、身体を―――」。

 話がなげぇわ。

 そこまで思い出したところで雷電は思考を打ち切り、突撃した。

 瞬時に加速し、右の腕で高瀬の胸倉を掴みに掛かる。その高速チャージは宛ら、ブリッツのようであった。百メートルを十秒で走る男がその身を疾駆させる。時に百キロを超える巨漢をも倒す市原雷電のタックル。

 次の刹那。

 視界から高瀬が消えていた。

 否、違う。


「(―――下ッ!)」


 超人的な動体視力と反応速度を持つ雷電だからこそ見逃さなかった。

 彼が突進した瞬間、高瀬壮太は自ら倒れた。背中から、後ろへと倒れた。それは柔道における後ろ受け身のようだが、その実、全く異なる。自身が落ちる勢いと身体のバネで繰り出されるのは、真下からの顎を狙った両脚蹴り―――。

 それが中国武術、地功拳の『腿法トゥイファ』だと、雷電は知らない。

 知らないが、反応はできる。

 何故ならば彼もまた、天才だからである。

 左手で高瀬の脚を防ぎ、落とす。防いだ。次は。既に高瀬は立ち上がっている。「格ゲーのキャラみたいな身のこなしだ」。再び、足先に力を込める。逃がさない。距離を詰める。今度は左手を伸ばす。

 高瀬が動く。迎撃するように、身を沈めながら回転させる。下段に対する高速後ろ回し蹴り。酔拳が、『後掃腿』。足を払われる。直感的に雷電は飛んだ。バレルロールのように飛び上がりながら身体を回転させ、足払いを避ける。着地。


「(マジか、コイツ)」


 滅茶苦茶つえーじゃねーか。

 俄然、面白くなってきた。

 両者の距離が空く。雷電、慎重に距離を詰める。対する高瀬、詰められた分だけ距離を取る。「マキナの野郎、何教えたんだ?」。「、って、本当に色々な蹴り技を教えたってことかよ」。一歩踏み込む。すかさずの後ろ回し蹴りを右前腕部で受け止めつつ、今度は雷電が身を沈める。

 こっちの番だ。お前が面白キックを多用するなら、俺様も面白技術を見せてやる。

 下半身を狙ったチョップタックル? 否、違う。それは「走る格闘技」とも呼称される、カバディの―――。


「―――『アンクルキャッチ』」


 マキナの声が、耳朶に届いた。

 雷電の右腕が空を切る。

 高瀬は片手で側転するような形で足首を取られることを防いでいた。しかし、体勢は崩れている。切り返す。追撃。身体の何処でもいい。衣服の端でいい。親指と人差し指で。あるいは小指と薬指で。二指で十分。触れさえすれば倒せる。

 そう、俺こそが天才。日本一のアメリカン・フットボーラー。

 あの万能の天才たる御陵真希波と唯一まともに遊べる相手なのだから―――。

 電撃の如き速さの左腕。身を屈めていた高瀬は、応じる術がない。

 はずだった。


「あぶねッ!!」


 側頭部への一撃を叩き落とした瞬間、声が出てしまった。

 ……何が起こった!? どう考えても蹴れる体勢じゃなかっただろ!!

 そう、高瀬が放ったのは、空手の蹴り。上半身を前に倒し、しかし同時に身体を反らせるように足を跳ね上げて、足裏で側頭部を蹴り抜く変則蹴り。かつて、『蹴り技のファンタジスタ』と呼ばれた空手家が得意としたそれには、『サソリ蹴り』という名があった。

 無論、そんなことを雷電は知らない。

 極々単純に、反射神経で防御しただけだった。


「はい、それまで」


 マキナが手を叩く。手合わせ終了だった。

 高瀬は慎重に距離を取り、ありがとうございました、と頭を下げた。


「……マキナ」

「なんだい?」


雷電は言った。


「お前、凄い奴を見つけてきたな」

「でしょ?」


 高瀬は褒められたことが分かると、黙ったまま会釈を返してくる。

 相変わらず表情は読めない。

 だがまあ、先輩として、教えておくべきこともある。


「高瀬……だったか?」

「はい」

「悪ぃが、俺様はアメリカン・フットボーラーなんだ。分かるか、アメフト?」

「……すみません。あまり……」

「気にすんな。俺様もルール、半分も分かってねぇよ」


 けど、と雷電は一歩踏み出し、手を伸ばした。

 あの一分間とは違う、友好の意を示す手を。


「武道やら格闘技やらの礼法は分かんねぇが、球技のラストはこれだよな」

「これ?」

「握手だよ」

「……ああ」

「楽しいスペシャルマッチだったよ、ありがとう」


 そうして二人は握手をし。

 以降、彼等の道は、交わることはなかった。


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