市原雷電曰く②
市原雷電は天才だった。
幼い時分より、ことスポーツと身体能力に関し、彼の右に出るものはそうはいなかった。中学まで趣味でバスケットボールをやっていたのだが、高校入学を機に辞めると監督に告げた際、「頼むから続けてくれ」「君は日本の宝だ」と縋り付かれた等、その才を語るエピソードには枚挙に暇がない。
なお、同時期にラグビーもやめているが、ラグビーの部監督からも同じことを言われていた。野球や相撲に至っては、ロクな経験もないのに、プロがスカウトしに来たという逸話まである。
市原雷電は天才だった。数十年、いやさ、百年に一人の逸材だった。
故に、ほとんど負けたことがない。
それはつまり、戦術眼を身に付けていない、ということと同義だった。相手の実力を推し量ることができない。推量する必要がない。何故ならば、「普通にやれば、間違いなく勝つから」。必要がなかったから、身に付かなかった。少なくとも、自身ではそう思っていた。
しかし、ある夏の柔道場でその少年に対峙した瞬間、それが間違いだと知った。
何故ならば、
「……本当にやるんですか、マキナ先輩?」
数メートル先、柔道畳の上に佇んでいたその少年を一目見て、分かってしまったからだ。「ああ、コイツはヤバいな」と。
戦術眼で見抜いた、のではなかったのかもしれない。市原雷電のセンス、野生のカンのようなもので理解したのかもしれない。しかし、どちらにせよ関係はない。問題は、眼前に立つ少年だった。
……なんだ、コイツは?
高校三年生の夏。
既に
瘦せ型、黒髪、どろりと濁った瞳。表情は、読めない。身長は百七十と少しくらいで、隣に立つマキナに半ば無理矢理ヘッドギアを被せられている様は、何処にでもいる高校生に見える。
だが違う。
普通の人間とは何かが、根本的に、違う。
古い友人である
「久しいね、ジャック」
「おう。久しぶりだな、マキナ」
マキナと挨拶を交わすと、隣の異様な少年が、
「こんにちは」
と、告げてくる。
とりあえず、「おう」と応じておく。
「ジャック、こっちは高瀬壮太。高瀬君、あちらは市原雷電」
「……はあ」
「君とスパーリングしてもらう為に来てもらった。驚け、超天才だぞ。彼より強い相手は、そうは見つからない」
「どうも、超天才だ」
卒業試験だよ、とマキナは笑う。
いつものように、穏やかに、嫋やかに。
雷電は訊き返した。
「卒業試験?」
「ああ。高瀬君には色々、教えていてね」
「教えるって……。御陵流合気術をか? あれ、お前のところの家伝の武術で、門外不出だったんだろ?」
「ああ、違う違う。それは教えてない」
「じゃあ何を教えたんだよ」
「……色々?」
だから、その色々を聞きたいんだっつーの。
という言葉を飲み込み、「そこも戦いながら読み取ってくれ、ってことか」と自身を納得させる。マキナとは長い付き合いだ、どういう振る舞いをする奴かは多少は分かっている。
御陵真希波。天才の中の天才。名家の中の名家に生まれた、凡そ全ての分野の才能を持つ男。先日行われた模試でも、当然のように全国トップだった。しかも満点で、である。そんな彼は、「容姿端麗」という言葉では生易しいほどに妖しい魅力に満ち溢れ、百九十を超えるモデル体型で、音楽の技術も世界的なら格闘技でも負けなしという、まさに万能の天才だった。最早、「才能がある」という陳腐な言葉より、「年若い神様が何かの間違いで人間の学校に通っている」と評した方が、まだしも正鵠を得ているだろう。
「マキナ。お前、弟子は取らない主義じゃなかったか? 『まだ自分は未熟だからー』とかいう理由で」
「うん。でも、面白そうだったから」
「面白そう?」
「ダイヤモンドの原石を見つけると磨きたくなるでしょ?」
つまり、高瀬壮太なる少年の暴力の才を読み取り、弟子にした、と?
ダイヤモンドの原石云々は分からないが、彼を見て、雷電が想起するのは黒曜石だ。もっと言うならば、墨汁だ。虚無。漆黒。そこに、ただただ漂う、尋常ならざる暴力の気配。
「ま、いいか。……俺様も、面白いことは、好きだ」
目の前の相手が「ヤバい」とは百も承知。
けれども、雷電は面白いことが、好きなのだ。戦うことが、好きなのだ。だからマキナの連絡に応えて、ここに来たのだ。
武道や格闘技は専門ではない。しかし、アメリカン・フットボーラーである雷電にとって、「倒し合い」で負ける道理はない。「妙な才能をお持ちのようだが、」。彼は思う。「ならこっちも、才能で倒す。運動性能で倒す」と。
果たして、勝負は始まる。
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