第1話 滋賀県大津市



 ベンツから下りた二人の男は、駆け寄ってきた駐車場係の青年を「邪魔だ」と押し退け、玄関ホールへと向かう。

 滋賀県大津市であった。川際に建てられている白が基調のそれは、一見すると、高級ホテルのようだった。しかし、そこが雄琴――大津市苗鹿だと聞けば、関西の人間、特に会社勤めの男ならば、「風俗店だな」と察するはずだ。

 温泉地すぐ傍の風俗街であるが、平日の昼間は平和なものだ。揉め事の類もなければ、従業員は実はヤクザに脅され働かされている、ということもない。暴力団対策法の甲斐あってか、風俗をシノギにするヤクザも減ってきているのだ。

 黒づくめの二人組は、その平穏を切り裂く闇そのものだった。

 ガラス扉を蹴り開けた二人は、開口一番、


「イイダ・キョウコは何処だ?」


 と、告げた。

 受付の男性スタッフは仰天しながらも、いらっしゃいませと慇懃に頭を下げ、


「お客様、どうぞ靴をお脱ぎになってください」


 と、あくまでも丁寧に促した。

 対し、見たところ上長であろう小柄な男は、ふんと鼻を鳴らす。


「女を渡せばすぐにでも帰るさ。……もう一度だけ言ってやる。イイダ・キョウコは何処にいる? ここで働いているのは分かってるんだ」

「大変申し訳ございませんが、お客様、当店のコンパニオンにはイイダなる者はおらず……」

「俺は本名の話をしているんだ。あまりイラつかせるな」


 言うが早いか、男は懐から拳銃を取り出した。

 受付は目を見開き、仰天する。

 その様子を見、男は満足げに語り始める。


「いいねえ、その顔。お察しの通り、本物だよ。尤も、こんなもの使う必要はないんだがな。この店には男にサービスするのが得意な女が揃っているだろうが、俺の後ろにいる男のサービスも、中々のもんなんだぜ?」


 と。

 振り返った男が目にしたのは、今にも倒れ伏しつつある相棒の姿だった。

 二メートルはあろうかという巨体が、小柄な青年――あの駐車場係の青年に、転がされていた。受付は、その一部始終を見て、驚愕の表情を浮かべたのだ。

 二人組の他方、大男は、近付いてきた駐車場係を払い除けようと腕を伸ばした。瞬間、青年は懐に入り込み、片足を相手の脚の裏に置き、下半身をロックし、そのまま肘を跳ね上げるように上体を逸らしたのだ。それはカポエイラでは『ヴァンガチーヴァ』と呼ばれる、倒し技の一つ。


「は?」


 爪先を大男の顔面に叩き込みながら、駐車場係の青年は、呆気に取られる黒服から拳銃を奪い去る。

 次の瞬間。がちゃり、という音と共に、銃が壊れた。スライドを外されたのだ。フィールド・ストリップ。軍隊の技術である。

 そして。


「死んだぞ、テメェ」


 男の顔面に、青年の右ストレートが突き刺さった。更に膝蹴りをお見舞いし、それで終わりだった。


「……やり過ぎましたかね?」


 青年の問いに、受付は苦笑いしつつ、「かもな」と応じた。

 次いで、趨勢を陰から見守っていたコンパニオンの女達が飛び出してくる。


「さっすが、高瀬君~!」

「ね、私指名してよ、指名! サービスするから~!」


 両手に纏わり付いてくる女二人を適当にあしらう高瀬壮太に対し、奥から黒髪の女がおっかなびっくり出てくる。


「あの……。ありがとう、ございました……」

「気にしなくていいっすよ。こういう揉め事処理も含めて、駐車場係やってるんで」


 懐からマルボロを取り出した高瀬は、「煙草休憩いいっすか?」と周囲に問い掛ける。

 答えなど決まっていた。





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