第231話 中村結菜8
ラザフォート学院で編入手続きについて説明を受けたところ、2カ月ちょっと先に編入試験があるそうだ。
それだけ猶予があれば、新しい屋敷での生活にも慣れるというものだ。
編入試験対策をした方がいいのかもしれないが付焼刃的なことをしても仕方がないし、成績がたとえ悪くても編入できるようだから、今まで通りやっていけば十分だろう。
これから休みの日を何日かかけて館から作業員と資材を運んで屋敷に風呂場を作る。
家具や日用品がここシュレアの店で手に入るのならば顔つなぎの意味もあるのでここで購入した方がいいが、いいものがないようなら館から運んでもいい。
ラザフォート学院の正門を出たところで少し歩いてからソフィアを連れて新館の俺の書斎に戻った。
「ソフィア、今日はありがとう。ミアたちにも今日のことを伝えておいてくれ」
「はい」
ソフィアは一礼して帰っていった。
リュックを床に置いて被っていた白銀のヘルメットをタマちゃんに預けてから机の椅子に腰かけ一休みした。
ふー。ちょっとだけ疲れた。
さて、できることはやってしまおう。
机の上の呼び鈴でアインを呼んだ。
いつものように20秒ほどでアインがやってきたので、ミアを学校にやるために学校の近くに家を買ったことを伝えた。
「前にも言ったかもしれないが、ミアはひとりで慣れない環境に入っていくわけだからカリンとレンカも一緒に学校にやる」
「はい」
「それで、家事などはソフィアにやらせようと思う」
「はい。屋敷の護衛とかは必要ありませんか?」
俺の言いたいことを先回りするとは、さすがはアイン。
「決して治安のいい街ではないけれど、2名程度護衛がいればいいと思っている」
「了解しました。日本語とミアの国の言葉をインストールした護衛を2体製作します。護衛ですがその屋敷の清掃などもこなせます。
あと、食事の準備などはどうします?」
「向こうで料理人を雇う訳にはいけないから料理人はこっちで用意するしかないな。ソフィアは料理はできないんだろ?」
「料理はできません。料理用自動人形も用意します」
「頼んだ」
どんどん人数が増えていくな。自動人形たちは寝るのに場所はとらないのだろうが大きな屋敷を買っておいて正解だった。
「あと屋敷そのものはそれなりなんだが、風呂が付いていないんだ。ミアもせっかくここの生活に慣れてるわけだから風呂に入れたやりたい。
ということで、こっちの作業員を向こうにやって風呂を作ってくれないか?」
「マスターが資材と作業員を運搬されるということでしょうか?」
「そのつもりだ。屋敷の受け渡しは7日後の9時にしたから、作業はその後になる」
「了解しました。ソフィアたちのため休眠装置も用意しておきます」
「休眠装置のことはすっかり忘れていた。さすがはアインだ」
「いえ」
「それじゃあ以上。かな」
「はい。
マスター、お茶をお持ちしましょうか?」
「頼んだ」
5分ほどでアインがお盆を持って戻ってきて小テーブルの上に紅茶とお茶菓子を置いてくれた。
お茶菓子はバームクーヘンだった。もう何でもアリだな。
俺は小テーブルの椅子に座ってお菓子を食べて紅茶をすすった。
会社の重役がどういったものだかは知らないが、きっと俺のように椅子にふんぞり返って秘書が運んで持ってきてもらったお茶を飲むんだろうなー。
俺には有り余る資産があるわけだから、重役などとケチなことを考えず最初から社長にだって成れる。何をする会社なのかは不明だから、そういう意味では社長さんゴッコかもしれない。
などと、訳の分からない空想を膨らませつつ、バームクーヘンを食べ終わり紅茶を飲み終えた。
そろそろいい時間だからうちに帰るとするか。
翌週。
7月1日は俺の誕生日。晴れてセブンティーンだ。18才なら成人扱いでいろいろ自由になるらしいが17歳だと16歳と変わらないようだ。
うちではショートケーキで祝ってもらった。ハッピーバースデートゥーミー。
夜の9時ごろめずらしく結菜からメールが届いた。
『誕生日おめでとう』と一言だけ。
俺の誕生日を覚えていたとは感心だ。結菜の誕生日は確か9月だったから、その時俺も『誕生日おめでとう』メールを送った方がいいだろうな。
どうも忘れそうだったのでスマホのカレンダーに書いておいた。おっと、結菜の誕生日はミアたちの編入試験の日じゃないか。別にどうでもいいけど。
翌日。
朝カバンを持って家を出たら、以前より黒さが薄まった結菜がうちの門扉の前にいた。
何か俺に用でもあるのか?
「おはよう、一郎」
「おはよう。珍しいな」
「そう?」
「いや、そうだろ? なにか俺に用でもあったのか?」
「別に」
「まっ、いいや。駅まで一緒に行くか」
「うん」
うちの門を出た俺は結菜と並んで駅に向かって歩いていった。
「誕生日おめでとう」
「サンキュウ」
「それで冒険者の方はどんな感じだ?」
「ぼちぼちかな。
一郎の方はどうなの?」
「そうだなー。休みの日には必ずダンジョンに潜っているんだが、モンスターをたおしているわけじゃなくって他の事をしている」
「ダンジョンなのにモンスターをたおす以外のことってあるの?」
「まあな。2階層からずっと坑道型のダンジョンが続くことはお前でも知ってるだろ?」
「うん」
「26階層は坑道型じゃなくって石組の部屋が延々と続く階層なんだ」
「そうなんだ。そんなこと誰も知らないよね?」
「自衛隊は知ってるはずだけど一般はそうかもしれないな。
それでその先の27階層なんだが、1階層の大空洞といった
正確には暫定27階層だが、結菜には簡単のために27階層ということにした。
「えっ! ホントなの? っていうか26階層のゲートキーパーもたおしちゃったの?」
「ああ、だいぶ前、春休みの終わりごろだったはずだ。ただソロの俺があんまり先走ってしまうと攻略チームの士気が下がるということでダンジョン庁は公表を控えてるようだ」
「なんだかもう一郎って人間やめてるよね」
俺はプラスが付いていても人間なんだから人間をやめちゃいないぞ! とは言えなかったので黙っていた。
「俺はそんな感じだけれど、何か俺に話したいことがあったんじゃないのか?」
「別に」
「それならいいけどな」
そこまで話したところで駅についた。
駅を横断する途中で電車に乗る結菜と別れ俺は学校に向かった。
そしてその翌日。
「行ってきまーす」
『行ってらっしゃーい』
母さん謹製の弁当をカバンに入れて玄関を出たら、昨日と同じようにうちの門扉の前に結菜が立っていた。
何かあるってことだよな。
「おはよう」
「おはよう」
門を出たところで、
「何かあったのか?」
「うん」
「歩きながら聞いてやるよ」
昨日と同じように今日も結菜と並んで駅に向かって歩いていった。
「それで?」
「一郎。以前体調が悪ければ早めに言えよって言ってたじゃない。ダンジョンで見つけた大抵の病気に効く薬があるって」
「どうした。家族の誰かの調子が悪いのか?」
「うん。お父さん胃ガンだったの。今月末手術」
「そういうことは遠慮せず早く言えよ。それでおじさんは入院してるのか?」
「まだ会社に行ってる。手術の前に入院するだけだって」
「元気はあるんだな。
なら何とかなる。今日の夕方うちに来てくれ。薬を渡してやるから」
「ありがとう」
教室掃除が終わって急いでうちに帰った俺はどの程度の量が必要なのか分からなかったので2リットルの空ペットボトルを見つけて、うちの20リットル入りポリタンクから『治癒の水』を入れて満杯にして部屋に戻った。
100リットルで10億円だから1リットルで1000万円。これだけで2000万円なのか。そう考えると怖いよな。結菜には絶対言わないけど。
これでよくならないようなら万能薬の出番だが、おそらく大丈夫だろう。
劣化しているとは思わないが人に渡すものだから鑑定指輪で確かめたところちゃんと『治癒の水』の入ったペットボトルだった。
これで手渡す準備は整った。
下駄箱の上にペットボトルを置いておこうと階段を下りていたらインタフォンのチャイムが鳴った。
『はーい。……。
あら、結菜ちゃん、ちょっと待ってて』
「母さん、俺が出るから」
『じゃあ、お願い』
ペットボトルを持って玄関を出て、門扉の外に立っていた結菜のところに行った。
「これがその大抵の病気に効く薬『治癒の水』だ。ダンジョン庁で効能を確かめてる。
ダンジョン庁の人が点滴じゃなくても飲んでも効くとか言ってたはずだ。
見た目はタダの水だし飲んでもおいしい水としか感じないだろうけど試すだけならいいだろ」
「わかった。お父さんに飲ませてみる」
「今おじさんは具合が悪いとか自覚症状はあるの?」
「少しあるみたい。どうして?」
「自覚症状がないと逆に良くなったかどうかも分からないから。自覚症状が改善されたら良くなったってある程度分かるだろ?」
「それもそうか」
「1週間毎日コップ1杯飲んで自覚症状が改善されないようなら言ってくれ。まだ手段はあるから」
「そうなの?」
「まあな。
自覚症状がなくなったら検査してもらえよ。おそらくいい線いってると思うから」
「分かった」
「それじゃあな」
「それじゃあ」
おじさんのガンの進行度合いだが、会社に行ってるならなら末期ってこともないだろうから『治癒の水』を飲むだけでなんとかなるんじゃないかな。
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