第216話 タマちゃん特訓
お風呂が沸くまで20分間、俺はフィオナに対する母さんの特訓をまねてタマちゃんを特訓することにした。
タマちゃんには見た目は口がないわけだが、何でも捕食できる以上体全部が口と言っても過言ではない。
発声には、空気の出し入れが必須ではあるがそんなもの気合と根性で何とかなるはず!
しかも相手は天スラのタマちゃん。タマちゃんの辞書には不可能の文字はない!
俺はさっそくタマちゃんが四角くなって寛いでいる段ボール箱の前に座った。
「タマちゃん、これから発声練習するから俺の真似をして声を出してくれ」
俺がそう声をかけたら、タマちゃんは段ボール箱の中でスライムらしく盛り上がり体をブルルと揺らした。
タマちゃんはやる気があるようだ。
これならいけるはず。
「タマちゃん、それじゃあ俺の言った通り発音するんだぞ。
あ・え・い・う・え・お・あ・お。はい」
「……」
タマちゃんの体は揺れるのだが、声は出なかった。
「か・け・き・く・け・こ・か・こ」
「……」
やはりタマちゃんの体は揺れるのだが、声は出なかった。
いくら天スラのタマちゃんといえども気合と根性だけでは乗り越えられなかったようだ。
やはり解剖学的な問題を先に解決してしまおう。
「タマちゃん、体の中に空気を吸い込んでみてくれるか?」
タマちゃんが震えた。
俺の言ったことはいつも通り理解しているようなので、見た目では全然わからないけれど今現在空気を吸い込んでいるのだろう。
「今吸い込んだ空気を、そうだなー、俺の顔に向かってゆっくり吐き出してくれ」
俺はそう言って、タマちゃんに顔を近づけた。
タマちゃんが一度震え、俺の方に向きを変え……? 変えたかどうかわからないがわずかに俺に向かって空気が流れてきたような。
「空気を出すところを一点に絞って俺の顔に向けて空気を出してくれ」
タマちゃんが再度震え、俺の顔にわずかだが確かに風が吹いてきている。
これならいける。かな?
「空気がなくなったら、空気を吸ってくれよ」
一度顔に吹いていた風が止まってまたすぐに風が吹き始めた。
タマちゃんの場合、空気を吸収しながら吐き出すことも可能そうだが、まあ、息継ぎした方が人間に近くなるからこれでいいだろう。
今度は声帯だ。空気が通っているところを振るわせればいいはず。これは難易度低そうだ。
まずはノドを作ってしまおう。
「タマちゃん、今空気を出しているところを筒にできないか?」
一度タマちゃんが震えて、膨らみから俺の方に向かって10センチくらいの筒が伸びてきた。
見た感じヒョットコに似てちょっとおかしいのだが、見た目は最終調整時に考えればいいだろう。
筒状になったことによりそこからの風はさっきより強くなってきた感じがする。
「次は、空気を出しながらその筒の内側を出来る限り速く振るわせてくれ。空気がなくなったらちゃんと吸ってからな」
タマちゃんが一度震えてた。
タマちゃんからの風が一度止まって、それからまた吹き始めたのだが、音は鳴らなかった。
俺の目をもってしても、タマちゃんの作った筒の内側も見た感じ震えているようには見えなかった。
「タマちゃん、筒の内側震わせてる?」
タマちゃんに聞いたところ体を震わせた。タマちゃんはこれまで肯定の合図しかしてなかったので、今のが「はい」なのか「いいえ」なのか、はっきりとは分からないが天スラのタマちゃんにこの程度のことができないはずはないので肯定の意味と取っていいだろう。
ではなぜ震えていない? タマちゃんの筒に顔をさらに近づけて筒の中をのぞいたら筒の中の輪郭がぼやけている。
指を当ててみたところ、振動しているのかどうかははっきり分からなかったが超高速で振動していると見ていいだろう。
これから少しずつ振動数を下げていけばちゃんと聞こえる音が出てくるに違いない。
「タマちゃん。少しずつ筒の内側を震わせる速さを落としていってくれ」
俺の声を聞いて、タマちゃんの体が一度震えた。
風は俺の顔にかかっている。
タマちゃんが一度震えた以上、筒の内側の振動は少しずつ遅くなっているはず。
そうやって30秒ほどやってみたのだが残念ながら筒から音は出なかった。
何がいけなかったのか?
そうこうしていたら『お風呂が沸きました』と階下から給湯器の声がした。
「うーん。タマちゃんに声を出しもらいたかったんだが、ちょっと難しかったみたいだな。
俺は風呂に入ってくるからタマちゃんは休んでてくれ」
タマちゃんは一度震えて筒を体に戻しながら、段ボール箱の底で四角くなった。
俺はクローゼットの下の引き出しから着替えを持って脱衣場に下りていき、風呂に入った。
湯舟に浸かって日課の「ふー、生き返る」をした後、タマちゃんの教育方針について考えてみた。
教育と言っても、とにかく何でもいいから音が出なくては話にならないので、そこをどうにかクリアしなくてはならない。
その後で、舌や唇に相当するものを用意して、人間らしい発音に近づけていく。という教育というか工程なのだろう。
このアプローチはどう考えても一大事業に思えてきた。
うーん。何か良い手はないだろうか。
空気は出てるんだから笛は吹けるはず。
『あいうえお』の音が出る母音笛って打ってるのだろうか? それに子音が付けば50音になりそうだが。
うーん。どこかで売ってないか? 聞いたことないから売ってないんだろうな。
音は出ないけど、スマホを持たせて文字を打たせるか? それを読み上げアプリで読み上げさせれば何とかなるのでは?
結局あまりいい案は浮かばないまま頭と体を洗い、もう一度湯舟に浸かって50数えてから風呂から上がった。
部屋着兼寝間着を着て部屋に戻ったら、部屋の中には母さんから解放されたフィオナが戻っていて、自分のふかふかベッドで横になって目をつむっていた。
フィオナは一度目を開けて俺の顔を見てからニッコリ笑ってまた目をつむった。
だいぶお疲れのようだ。
フィオナはこのまま寝かせておいて、夕食時間までタマちゃんと特訓だ。
笛が役に立つとは今のところ思えなかったが、物は試しと思って小学校時代に使っていたリコーダーをタマちゃんに吹かせてみることにした。
リコーダーなど俺の記憶の中では十数年前の遺物だったのでどこにしまったのか、なかなか思い出せなかった。
それでもなんとか小学校時代の遺物はクローゼットの中の引き出しの上に置いた段ボール箱の中に入れていたことを思い出し、箱を引き出して中を漁ったところリコーダーを見つけることができた。
懐かしー。
そういえば小学校5年の時だったか結菜を好きなやつがいて、そいつが結菜のリコーダー舐めてた現場を俺がたまたま目撃したんだよなー。
そいつは慌ててリコーダーを袋の中に戻して結菜の机に掛けてたっけ。
あれはどういうシッチュエーションでそういったことが可能だったのかは思い出せないが、俺はそのことを誰にも言わなかった。
そいつは6年になって転校していったし、結菜も聞きたくないだろうしな。
墓場まで持っていってやるよ。
しかし、俺もこんな事よく覚えていたものだ。ある種ショックだったのかもな。
ある意味感慨にふけってしまった。
「タマちゃん、訓練の続き行くぞ」
タマちゃんに笛を渡そうとしたところで『ご飯の支度ができたから下りてらっしゃい』と母さんに呼ばれたので、特訓は中断して俺は食堂に下りていった。
食事の時はたいていついてくるフィオナは起きてこなかった。
「フィオナちゃんは?」
「寝てる」
「あら、特訓し過ぎちゃったかしら。明日の特訓メニューは軽めにしましょう」
特訓メニューまで考えていたのか。知らなかった。
「「いただきます」」
今日の夕食はカボチャとオクラとシイタケの天婦羅とナスビのはさみ揚げ。トマトとレタスのサラダ。それに豆腐の味噌汁に白飯だった。
シイタケを夏野菜とは言わないかもしれないが、夏野菜の天婦羅っておいしいよな。白飯でもおいしいけど、そろそろソウメンの季節だなー。
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