そのに

「ご足労いただいて申し訳ない」

「いえ、こちらこそ」


 一応、大人としてご挨拶なんぞを交わし、お高そうなコーヒーなぞを振る舞われた会議室で二人だけで話す。


「まず、祥子さんを騙そうとか陥れようとか、そういう事は一切ないことをお断りしておきます」


 そんなふうに話は始まった。


 上田鷹也(言い忘れていたが、例の彼の名前だ)の家、上田家は某有名企業の創業者の家系。元々は武家で結構偉かったらしい。それならそれで、もっと偉そうな名字にしてくれればいいのに、画数の少ないありがちな名字はそんな大企業と結びつかないではないか。

 さて、上田家の男にはちょっと変な遺伝子が伝わっているらしい。

 それは嫁溺愛遺伝子とも言うべきもので、もう、既に呪いのようなものだと。大体ひと世代に一人から二人くらい、この遺伝子が覚醒する。上田家の男は割と嫁以外には目を向けない傾向が高いとはいえ、遺伝子覚醒者はちょっと常軌を逸している。

 覚醒する人に統一性はない。あちこちで浮き名を流す人もいれば、堅物で女っ気のない人もいる。ただ、その遺伝子が覚醒したが最後、例え自分が結婚していようとも(須らく政略結婚した人ではあるが)、相手が結婚していようとも、相手との年の差があろうとも、身分差があろうが、外国人であろうが全てを薙ぎ倒して相手を手に入れようとするらしい。そして一途に添い遂げる。

 身分差ってと思っていたが、御一新前、武家の上田家に下女が嫁いだとか、御一新後、留学していた国の貴族のお嬢様を掻っ攫って帰国したとか。ついでに十五歳で新生児の嫁を見初め、嫁が十五になるまでひたすら待ったとか、そんな話がゴロゴロあるらしい。

 誠心誠意相手に接し、外堀も埋めるだけ埋め、搦手も辞さず、相手が絆されるよう粘るので、最終的には周囲が砂糖を吐くラブラブカップルになるらしい。

 万が一、相手と結ばれないとか相手が早逝した場合、覚醒者は出家するか放浪の旅に出て家には二度と戻らないのがパターンらしい。

 そんな側迷惑な奴、良家のご子息として許されるのかと訝しんだが、覚醒し相手を手に入れた後、そいつはお仕事的にも覚醒するらしい。嫁の元に早く帰るため、嫁が周りに侮られないため、凄まじい勢いで仕事を熟し大きな実績をぶっ立てる。それがお家のためにもなるので、あえて止めることはせず静観するのだと。

 で、その嫁達はみんな学歴や身分問わず賢い女性なので、そう言う意味でも家として賛成されるとか。見る目はあるんだねー。


 今回、祥子は普通の家の子で、面倒な係累もいず、成人していてそれなりの学歴もある賢い女性で、普通に健康なので(早逝の可能性が低いので)周りはみんな両手を挙げて喜んだと。

 なんでも弁護士さんが関わった件だけで、ちょっと堅気ではないお家の方とか、ライバル会社の娘さんとか、大変な騒動があったのだと、遠い目をしていた。


「と言うことは、やはりあの英訳のお仕事は搦手の一つだったんですね」

「はい、そうです。ですが、一冊目が好評だったというのは本当のことですし、二冊目も祥子さんにというのもこちらがゴリ押ししたのではありません」


 出版社的には剣道の本が好評を博し、それに続いてサムライ的教養シリーズとしてを次はお能を考えていたらしい。でも、お能よりは上田家に馴染みのある武家茶道を先にして欲しいとお願いしたというのは、ゴリ押しとは違うのか。ちょっと順番を変えてもらっただけですよと、涼しい顔で言っていたが。


「心なしかちょっと詰めが甘いとも思うんですが」

「そこは否めません。基本的に鷹也君は人がいいというか、謀には向かないというか。だから、彼は経営陣にはならずに研究者になったわけで。仕事は本当に優秀なんですよ」


 上田家の関係者は鷹也氏に頼まれれば動くが、積極的にアドバイスや動いたりはしない。それがせめて見込まれちゃった女性に対する礼儀だと。つまり、自分の才覚だけで手に入れて来いと。ふーん。


 別に私は二人の間をどうこう言うつもりはない。

 所詮私はただの友達で間借り人だ。彼女が金持ちのお遊びで弄ばれているわけではなく、向こうの家からいびられる危険もないのなら好きにすればいいと思う。

 反対もしないが協力もしないと宣言して、私は事務所を後にした。


 さて、私が考えつくようなことは彼女だってもちろん考えつく。ちょっと色々戸惑って、ちょっと色んな意味で浮かれていたとしても、何かが変だと。ましてやあの上田家の力を考えてみれば、この一連の仕事の依頼は何かの力が働いていたのではと。調べてみれば、案の定その出版社の株主に上田家関連の企業が名を連ねている。

 武道家らしく一直線に、彼女は彼に問いただした。貴方が陰で糸を引いていたのかと。

 元々研究肌で、その手の計略は余り得手ではない彼は、一連の容疑を全て認めた。要はありがちな『好きな人にいいところを見せたかった』というヤツの大規模版だ。これだから金持ちで下手に権力のある奴は。

 そうじゃなくてもそんな名家の人とお付き合いすることに戸惑いを感じていた彼女は、ひとまず逃げた。

 仕事に一区切りが付き、あとは校正というところまで行く頃、私に言った。


「ちょっと旅行に行こうと思って」

「いいんじゃない? ずっと忙しかったもんね」

「少し長めに留守にする。ついでにスマホが壊れたから新しいのにしてきた。番号も変わったし、メッセージアプリも引き継げなかったから、仕事用のEメールで連絡する」

「ふーん、なにか私がやっとくことある?」

「ごめん、再来週のマンション自治会の防災訓練、私の代わりに出てくれる?」

「おお、なかなか大任だね。わかった、気をつけて行っておいで」


 何やら決意を秘めた風情で彼女はトランク一つで旅立った。どこに行くとかも言わなかったし、私もあえて聞かなかった。ちょっと一人になって考えたいのかもしれないし、彼と物理的に距離を置きたいのかもしれない。

 前述のように彼女は小金持ちだ。ご両親の遺産は学費と生活費として使われたが、彼女もバイトをしていたし、贅沢とは無縁な生活だった。短期の語学留学さえ向こうの学生寮で寝泊まりし、費用は最小限で抑えたと言っていた。彼女の性格から旅先でも豪遊するとは思えないし、再来週とは言わず、数ヶ月単位で旅をするのに資金的に不足はないだろう。倹約家の彼女だってLCCなら海外さえ視野に入る。なんたって、私と違って英語ならば言葉に不自由はない。

 とはいえ、責任感の強い彼女がこのまま失踪なんてことは絶対しないだろうし、件の本の校正だってまだ残っている。それに何しろここにはご両親のものが置きっぱなのだ。自分のものは捨て去れても、あれらを置き去りにするなんてことは絶対ない。自分の気持ちが整理できたら、ちゃんとここに戻って来る。

 と、私は思うのだが、ヘタレな彼はそうは思わないらしく。


 インターホンが鳴った。


「夜分に申し訳ありません。私、上田と申しますが──」

「面識のない殿方とお話することはありません」


 ぶち切りした。

 すぐさま電話をかける。武士の情けで警察は勘弁してやった。


「もしもし、上田弁護士事務所ですか? 我が家の周りにストーカーが出没しているのですが……」

「っ、すぐさま回収に参りますっ」


 うちのマンションのエントランス前に蹲っていたデカい、ぬぼっとしたストーカーは、弁護士氏に回収されて行った。

 しかし、この手のお話は彼氏はスパダリなのが定石なのではないのか? 詰めが甘いとことかヘタレな感じとか、ちょっと頼りなさすぎるのだが。


「鷹也君は本当に学業や仕事以外、興味を持たなかったですからねぇ」


 日を改めて、またしても弁護士事務所で弁護士氏と面会だ。お詫びなのか、今日はコーヒーにケーキも付いている。うまうま。


「机に向かう時間が多すぎて、心配したご両親がスポーツを薦めたのですが、団体行動は性に合わないようで。水泳と剣道は個人戦なので、今でも趣味と体力維持の為、続いているようです」


 ふむふむ、ぼっち属性ということか。そこは共感できる。


「その鷹也君が初めて執着したのが、祥子さんです。祥子さんにはお揃いのスマホをプレゼントして、そこにGPSアプリを入れていたようです。突然、GPSが全く動かなくなり、電話もメッセージアプリも繋がらず、たまらずお宅へ伺ったようです」


 うげっ、粉うことなきストーカーだった。


「一応、祥子さんにも了承は取っていたようです。お互いの位置がわかれば便利だということで」


 よかった、まだセーフだった。


「ただ、そのアプリは削除しても動き続けるらしいのです……」


 ナニソレコワイ。だめじゃん。アウトじゃん。

 あー、祥子はそれに気付いたと。だからスマホを替えたんだ。おそらく元のスマホは祥子の部屋に置きっぱだ。


「とりあえず、お宅には今後近寄らせません。祥子さんが戻られるまでは。戻られてからはちょっと責任が持てないのですが」


「そこで諦めないで下さい」


 弁護士氏は力無く微笑みつつ、私に菓子折りを差し出した。彼氏のご両親からだというお高そうな包みは、一見様お断りのお高い菓子舗の和菓子と高級チョコレートだそうな。確かこの特徴的な箱は、このデカさだと諭吉様が飛んで行くチョコレートでは? 和菓子のほうは知らないが、きっととってもお高い。

 まあいい、貰えるものは貰っておこう。


 私は部屋に戻り、リビングの写真の横に頂いた菓子折りを積み上げる。前だと箱がデカくて写真が隠れてしまうのだ。


「お宅の娘さんは、かくれんぼは得意でした?」


 まあ、お返事があるわけはない。


 私は祥子に幸せになって欲しい。だって彼女はとってもいい奴なのだ。若い女性というだけで、理不尽な目にあうのはありがちだとはいえ、彼女はそれを人に回さない。一人で激辛料理を作って、ちょっと人に見せられない様子で完食するだけだ。私を含め身近な人達は、愚痴という形で他の人に不満をぶつけがちだというのに。かと言って他人が言う愚痴を拒否する訳でもなく、彼女はその愚痴も黙って受け止めてくれる。相手の理不尽に耐えかねてこちらも理不尽な愚痴になってしまうのを、宥めるでもなく、諭すでもなく、ただ聞いてくれる。その静かな佇まいに、こちらが冷静になり、付き合わせたことを謝ると笑って許してくれる。だから、私も彼女の激辛料理に付き合い、二人でちょっと人には見せられない様子で完食した。辛いけど美味いのだ。

 私の無謀な将来の夢も笑わなかった。無責任に煽るでもなく、常識に則って止めることもなかった。ただ静かに寄り添ってくれた。

 彼女はいつも一人で静かに立っている。その風情は私の田舎の曾祖母宅の近所にある神社の御神木を思い出させた。なんの木なのかは知らない。小さな神社の片隅に真っ直ぐ立っているあの木は、凛として何者にも穢されない。私は、あの木に寄りかかって空を見るのが好きだった。しかし、彼女は人なのだ。高校生の頃の弱さや至らなさを全て克服してしまったかのような今は、極たまに無理をしているように感じた。

 いつか、彼女が背を預けられる人が現れたらいい。それがあのヘタレでなければならない理由は特にないが。

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