第47話

「どうしたの、食べなよ。毒なんて入ってないから」

 それはわかる。ルームサービスを頼んで、ウエイターが運んできた料理を、目の前でそのまま並べたんだから、毒を入れる余地なんか無かった。そうやって安心させるために、ルームサービスにしてくれたのだと思う。

 緋山さんはヒレステーキにナイフを入れている。背筋を伸ばして、随分と品が良く見える。普段の食べ方がだらしない、なんてことは無いけれど、今日は一段と、礼式を重んじているみたいだった。私はとりあえず、目の前のシーザーサラダに手を伸ばした。

「どうして、菫さんを殺害したんですか?」

 緋山さんはナイフとフォークを置いた。

「それが、菫の望みだったから」

 ワイングラスを傾けて、赤い液体が緋山さんの喉に注がれる。アルコールを飲んでいるところを、初めて見た。

「菫の病状は、いよいよ末期でね。会話をするのがやっとだった。筋肉の硬化は止まらず、いずれ呼吸すら自分の力では出来なくなるのも、時間の問題だった」

「だから、菫さんは死を願った?」

「そう。ただ死んでいないだけの無意味な生。そうなる前に、菫は自分の人生に自分の手で幕を下ろすことを望んだんだ。だけど、もはや刃物を握る力も無かった彼女には、その選択肢すら残されていなかった」

「だから、緋山さんは代わりに、その願いを叶えた」

 緋山さんは頷く。

「藍は、僕のことをどう思う?」

「え?」

「妹の殺害を見事に実行してみせた僕は、淡泊で冷徹で、非人間的かな」

「……世間には、そう言う人もいるかもしれません」

「君の意見を聞いている」

「………………」

 私は、ポケットから手紙を取り出して、緋山さんに手渡した。

「これは、菫さんの遺書です。ご存知ですよね。きっと、指が動かなくなる前に、最後の力を振り絞って書いたんです」

 緋山さんは手紙を受け取ると、中の便箋を取り出し、見つめた。

「私は、緋山さんが冷たい人間だなんて思いません。その手紙に滲んだ、緋山さんの涙の跡を見ればわかります。家族を殺すのが冷たいだなんて、私は思いません。愛がなければ、こんなことは出来ません。だって、誰よりも辛いのは、手を下す家族、遺される家族の方なんですから。その辛さを恐れず、妹の最後の願いを叶えてあげた緋山さんが、冷たいだなんて思えません。少なくとも私は、絶対に」

「………………」

 緋山さんは、無言で私の方を見つめる。私も見つめ返す。そこには、いつもとは違う、優しい微笑みがあった。

「ありがとう」

 その言葉につられて、私も微笑み返す。なんだか気恥ずかしくなって、ごまかすように、グラスを傾けた。中身はジンジャエールだ。炭酸がちょっとキツイ。そして思い出す。そう言えばもう一つ、聞きたいことがあったんだった。

「どうして私に事件の解決を依頼したんですか?」

「僕の中の、バグを直すため」

「バグ…って、なんですか」

「プログラム用語だよ。機能が想定外の動きをしてしまうことをそう呼ぶ」

「はぁ……それで、緋山さんの中のバグって、なんなんですか」

「藍に、菫の影を重ねてしまうバグ」

 やっぱり、そうだったんだ。なんとなく、妹さんを私に重ねているのだろうと感じていた。だけど、まだわからない部分がある。

「それが、どうして私に事件を依頼することに繋がるんですか?」

 そうだなぁと言って、緋山さんはワイングラスを傾ける。

「藍は、アカウントってなんだと思う?」

「アカウント……ですか?」

 使い慣れた言葉だけど、いざ何かと聞かれると、言葉に困った。

「すみません、何て言ったらいいかよくわかりません。SNSみたいなサービスにログインするのに、必要なものだとしか」

「そう、その通り。社会は、個人が集まって出来上がる。それは、SNSという仮想社会も現実社会も同じだ。個人を識別するために、アカウントがある。アカウントとは、個人なんだよ。藍は、どうやって僕というアカウントを識別してる?」

「どうって…急に言われても」

「難しく考えなくていい。例えば、人混みで僕を見かけて声をかける時、どうやって僕だと判断する?」

「それは、顔を見て、です」

「そう。顔とは、IDなんだよ。でもそれだけじゃまだ弱い。顔が同じなら、それは本当に僕? 整形なんかで、簡単に似せられるけど」

「いえ、同じ顔なだけなら、一緒にいればいるほど、なんとなく違う人だってわかると思います。話し方とか、仕草とか、普段のクセとか……考え方で」

 緋山さんが頷く。

「そう。結局、人は人のことを、そういった要素の集合で認識してるんだ。SNSが、パスワードとIDでアカウントを認識するようにね。そして、パスワードが一文字でも違えば、アカウント認証は弾かれる」

 緋山さんの話がどこに向かっているのか、いまいちわからなくなってきた。そんな私を後目に、懺悔のように、緋山さんは続ける。

「菫は昔から、決して僕のことを疑わなかった。小さい頃、どうしても欲しいパーツがあってね、万引きをして捕まったことがあった。そんな時でさえ、何の根拠もなく、菫は僕の潔白を信じて疑わなかった。そういう子だったんだよ」

 兄を信頼する菫さんの性格は、手紙からも伝わってきた。

 菫さんは、兄を信じ過ぎた。全然、大丈夫じゃなかったじゃないか。私みたいな、顔がそっくりなだけの赤の他人に妹を重ねて、自分の家に住まわせてしまったんだから。

「藍に事件解決を依頼したきっかけは、恵美さんのアカウントの件だった。あの件が解決された時、結衣さんは、僕と同じことをしていたんだなと思ったよ。亡くなった人の影を見ていたんだ。それで、僕も、いつまでも現実逃避をしていられないなと思ったんだ。

 この事件は、僕のことを疑わなければ解けない。

 他人からすれば、本当に下らなくて些細な事と思うかもしれないけれど、藍が僕を犯人だと断定することで、僕の中のバグは直る気がしたんだ。とっくに亡くなった個人(アカウント)を、未練たらしく他人に重ねてしまう。そんなバグが」

「…………バグは、直りましたか?」

 緋山さんは首を振る。

「デバッグはこれからだけど、それは叶わないのかもしれない。自殺幇助は、立派な犯罪だ。僕が警察に未だに捕まっていないのは、運が良いのと、偽装工作による気休め程度の捜査攪乱、そしてなにより、証拠不十分のおかげだ。だけど、藍が望むのなら、僕は自首する。この事件の真相に辿り着いた君には、そうさせる権利がある」

 そんなことは、考えるまでもない。緋山さんの口から真相を聞くまでは、そんな未来もあるかもしれないと思っていたけれど、今の私の中では、答えは決まっていた。

「法律にも、バグはあったんですね」

「え?」

 緋山さんが、きょとんとした表情で私を見る。期待通りの反応に満足。いつもやられているから、そのささやかな仕返しだった。

「水無瀬君だったかな…。彼が、前に言っていました。人が作る以上、絶対にバグは存在するって。法律も、人が作ったものです。緋山さんはきっと、法律上は罰せられるでしょう。でも、そこまでして妹の願いを叶えてあげた緋山さんが罰せられるなんて、法律の方が間違っています。少なくとも私はそう思います。だから……その……これからもよろしくお願いします」

 言っていて、ちょっと恥ずかしくなった。照れ隠しをするように、私は手元のジンジャエールの入ったグラスを掲げた。緋山さんは、優しい顔をして、ワイングラスを私に差し出した。

「こちらこそ、よろしく」

 カチンと、ガラスとガラスの触れ合う音がする。

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