第45話

 降雪確立は、30%だった。今日は何年ぶりかのホワイトクリスマスかもしれないと、クラスのみんなは浮かれていた。だけど私は、とても浮かれた気分にはなれない。早く家に帰りたい気持ちと、帰りたくない気持ちがせめぎ合っていた。

 学校の図書室の窓から外を見ると、もうすっかりと暗くなっていた。冬の夜は早いなと、改めて思う。私は、現実逃避に使っていた全然興味の無い廃墟写真集を元の棚に戻して、下校する。頬と耳を刺す冷たい空気が、マフラーに顔を埋めさせた。

 地面を見つめながら歩いていると、ひらりと、白が視界に入った。雪だ。空を見上げると、黒い空からしんしんと白い粉が舞い降りてきていた。私は携帯を取り出して、その様子を写真に撮った。携帯カメラの性能が上がったと言っても、まだまだ改良の余地があるようで、いま私が肉眼で見ている空を再現するには至っていなかった。いや、私の目から見る景色には、きっと、心情というフィルターが掛かっているに違いない。人の心模様までも反映したカメラは流石に、これからも生まれることはないだろう。

 

 ロビーを通り、エレベーターに乗り、ドアの指紋認証に指を当てて帰宅する。家の中は真っ暗だった。緋山さんは不在なのかな。いや、奥に佇む人影が見える。彼は壁一面の窓ガラスの前に佇み、外を眺めていた。外に広がる夜景に照らされて、彼の影はリビングに長く伸びている。隣に歩み寄って、一緒に窓から外を見下ろすと、ひらひらと舞い降りる雪が、眼下に広がる街の灯りに照らされて、綺麗だった。幻想的な光景だった。いつも雪は見上げるばかりで、見下ろした事は無かったから、新鮮な体験だった。

「綺麗ですね」

 私はイルミネーションと街灯に煌めく街を見下ろしたまま呟く。

「うん、綺麗だね」

 なぜだろう、緊張は無い。私の心臓は落ち着いていた。

「問題、解けました」

 私は緋山さんの方へ向き直る。

「答えは?」

 彼は窓の外を眺めたままだ。

「菫さんを殺した犯人は、緋山さんですね?」

 少しの間の後、緋山さんは、私の方に顔を向ける。街灯りに照らされた緋山さんの表情からは、何も読み取ることが出来なかった。

「どうして、そう思うの?」

 心臓が高鳴る。一度だけ、緋山さんに聞こえない程度に深く息を吸って、吐いた。

「きっかけは、恵美のアカウントの件でした。緋山さんはあの時、こうおっしゃいましたよね。

『与えられた情報から答えを見つけられない場合は、前提を疑ってみるといい。そこには、思い込みが混ざっていないか?』

 私は、菫さんが寝たきりであることと、入退室の記録表を見せられて、すっかりと思い込んでいました。菫さんは自室で殺害されたのだと。でも、部屋で遺体を見つけたからといって、寝たきりだったからと言って、その部屋で殺害されたとは限りません。菫さんはきっと、車椅子か何かで外に運ばれて、別の場所で殺害されて、部屋に戻されたんです。そう考えれば、菫さんの死亡推定時刻の前後で、入退室の記録が残ることもありません。部屋の中に入る必要が無いんですから。そして、誰にも怪しまれることなくそれを実行できたのは、菫さんの死亡推定時刻の前後で唯一、入退室の記録を残している、緋山さんだけです」

 ここで一旦、緋山さんの反応を待つ。少し、体温が上がっているのを自覚する。そう言えば、コートもまだ脱いでいなかった。頭の中で何度も繰り返した推理をいざ披露することで、明らかに高揚していたみたいだ。後半は、少し早口になっていたかもしれない。

「王生に見せてもらったんだろう? 菫の死亡時刻より前に、僕がマンションを出ていく姿が、ロビーの監視カメラに映っている。これはどう説明する?」

 この質問は、想定通りだった。私は、用意していたセリフを返す。

「家具を揃えて恵美の部屋を模倣した、結衣と同じです。いえ、あれに比べればずっと簡単な話ですね。王生さんに監視カメラの映像を見せられた時、確かにロビーから出ていく緋山さんが映っていました。だけど、緋山さんだと判断した根拠は、黒セーターとジーンズという、いつもの格好だったからです。緋山さんはいつも猫背で、しかも俯いて歩くから、顔はしっかりと確認できたわけじゃありませんでした。でも、格好や仕草なんて、誰でも簡単に模倣できます。もしかしてあれは、背格好が似ている、王生さんに協力してもらったんじゃないですか? つまり、あそこに映っていたのは、緋山さんの格好をした王生さんだったんです」

 その場合、どこかのタイミングで王生さんがマンションに入っていく姿が監視カメラに映っていたはずだけど、そんなのはどうとでもなる。監視カメラの画質が上がっていると言っても、マスクや帽子、眼鏡などで、簡単に対策は出来るからだ。

「なるほど…なるほどね。じゃあ、王生は殺人に協力したと言うわけだ」

 なんだか、少し意地悪な言い方だった。普段の緋山さんらしさが垣間見れたようで、ちょっとだけ安心する。

「それは……その……いえ、そうとも限りません。王生さんには、ただの変装を依頼しただけかもしれないじゃないですか。緋山さんのお仲間には、依頼の目的や背景は気にしない人が多いみたいですし」

 水無瀬君と燻木さんを思い出す。私を救ってくれた時の事が、遥か昔のように思えた。

「確かに、王生から詮索をされたことは一度も無いな。頼み事をした時、『わかった』以外の返事を聞いたことがない」

 それで、と緋山さんは続ける。

「自宅を菫と一緒に出たにも関わらず、ロビーの監視カメラに映っていないのなら、僕は一体、どこで彼女を殺したのかな。まさか、いつ人が来るかもわからないエレベーターの前で?」

 暗闇でよく見えないけれど、仄かな街灯に照らされた緋山さんの表情は、どこか愉しそうに笑っているように見えて、鳥肌が立った。

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