第42話

 やっぱり、そうだった。

「あ、あの…どうやって」

「何が」

「どうやって、中に入ったんですか」

「ノックして」

「ひ、緋山さんは?」

 王生さんは、私の方を向いたまま、緋山さんの部屋のドアをまっすぐ指差した。

「今は、寝てる」

 緋山さんの名前を呼びたい衝動に駆られる。本当に寝てるだけなのかを確かめたかった。もしかして、殺されてたりしないか。そんな物騒な想像が私の頭を駆け巡った。

「えっと…その…どのようなご用件ですか?」

「メール」

「え?」

「読んだから」

 そう言えば、緋山さんに教えてもらった王生さんのアドレスに、メールを送ったんだった。返事が無いから、てっきり無視されているものと思っていた。海外にいるかもと聞いていたので、まさか、会えるとは思ってなかった。しかも、こんな唐突な形で。

「わ、わざわざすみません…。あ、お茶、淹れますね」

「いらない」

 王生さんはぶっきらぼうにそう告げると、ストンと席に戻ってしまった。

「座って」

 安心させてくれる燻木さんとは対照的に、王生さんは私の不安を掻き立てる。菫さんを殺した容疑者、その最後の一人という事実を差し引いても、彼には得体の知れない雰囲気があった。私は、言われるがままに、王生さんの向かいの席に腰かける。気休めにしかならないけれど、いつでも逃げられるように、椅子は浅く引いておいた。

 テーブルの上のノートPCには、ステッカーがいくつも張ってある。水無瀬君もだけど、ハッカーと呼ばれる人は、ノートPCにステッカーを貼る文化でもあるんだろうか。王生さんがキーボードを叩くと、ノートPCをくるりと私の方に向けた。画面には、このマンションのロビーの映像が映っていた。

「これは何ですか?」

「事件当時の、防犯カメラの映像」

 まるで、私の心を読んだのかと思うほど、タイムリーな情報だった。まさに、これが見たかったんだ。映像の右下を見ると、日付と時刻が表示されている。6月23日AM8:03とある。確か、王生さんがこの家を訪問した唯一の時間帯だ。映像は、人が通っていない時間は全て早回しで再生された。

「そろそろ、俺が通る」

 そう言った直後、王生さんの後ろ姿が画面に映った。このボサボサ頭は、確かに王生さんだ。この時は、パーカーではなく、Tシャツを着ていたらしい。

 その約一時間後、王生さんがロビーを出ていくのが映る。見せてもらった時刻表通りだ。それ以降も、人の入退室の時だけ通常再生に戻り、それ以外は凄い速さで飛ばされた。燻木さんと水無瀬君が出入りする姿も、度々映る。水無瀬君の上はYシャツだったけど、燻木さんは相変わらずスーツだった。暑くなりつつある時期なのに、そういう所まで、サラリーマン然を守っているらしい。

 そして、6月27日のPM8:11分。いよいよ、菫さんが殺される日だ。そろそろ緋山さんが出てくる頃かな、と思っていると、さっそく映った。さすがにこの時期、ミリタリーコートは着ていないけど、この黒のセーターとジーンズは緋山さんだ。猫背気味で、俯いて歩く仕草も相変わらずだ。菫さんの推定時刻は深夜2時だったから、彼女はこの後に亡くなったんだ。

 まもなく、犯人が入っていく姿が映るに違いない。私は画面を食い入るように見つめた。だけど、夜間だったせいか、犯人らしき人物どころか、誰一人として出入りすることもなく、翌朝の9:07分、緋山さんが帰って来る後ろ姿が映った。つまり、緋山さん宅のドアだけでなく、マンション自体にすら、犯人は出入りしていないことになる。

 私は眉をひそめた。きっと、この映像のどこかに解決の糸口があると期待していた。でも、謎はより一層、深まるばかりだった。部屋だけでなく、マンションにすら、犯人は出入りしていないなんて。

「ちなみに」

「え?」

 あまりにも小声で、ボソリと呟くから、思わず聞き返してしまった。

「エレベーターの中には、防犯カメラは無い」

「え…あ、はい。そうなんですね」

「……………」

 沈黙が流れる。怖さと気まずさが共存する沈黙は初めてだった。耐えきれず、私は無理に話題を続ける。

「えっと…今時、エレベーターに防犯カメラが無いなんて珍しいですね。こんな高級マンションなら、尚更に設置しそうなものですけど」

「監視されているようで嫌だ、という住民の声は、意外と多い」

「はぁ…なるほど」

 まるで独り言を呟くように、王生さんはこちらも見ずに項垂れている。そのせいで表情が見えないのが不気味だ。

「王生さんも、やっぱり、カメラに録られたりするの苦手なんですか?」

 水無瀬君や燻木さんは、2人とも、監視や管理されるのを嫌っていた。もしかして、王生さんも同じなのかもしれない、と思っての質問だった。

「苦手」

「あ、やっぱりそうなんですね」

「人に、顔を覚えられるのも苦手」

「そ、そうなんですね…」

 だからさっきから、こっちに顔を見せず、ずっと俯いてるのかな。

「じゃあ、俺はこれで」

 唐突に王生さんはそう告げると、ノートPCを閉じてリュックに仕舞い、席を立った。

「え、もう帰られるんですか?」

「必要なものは見せた。後は、解くだけ」

「ちょっと待ってください! もしかして、王生さんは犯人を知っているんですか?」

「知ってる」

「どうして警察に言わないんですか!」

「言う必要が無い。誰もそんなことは望んでいない」

 望んでない? そんなはずが無い。少なくとも、兄である緋山さんは犯人逮捕を望んでいるはずだ。だからこそ、私に解決を依頼したんだから。

「この問題は、君が解かなければ意味が無い」

「待ってください、詳しく説明して下さい!」

 王生さんは、閉じていくドアの向こうで、最後にこう残した。

「少し、しゃべり過ぎた」

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