第41話

 まぶしい。

 視界がボヤける。朝?

 違った、部屋のライトだ。窓の外はまだ暗い。そっか、結局うたた寝しちゃったんだ。いま何時だろう。時計を見ると、一時間ほど時間が飛んでいた。軽い自己嫌悪に陥っていると、机の下、その奥の方に、気になるものを見つけた。紙が落ちている。机の上に置いていたものが、奥の壁との隙間にストンと落ちてしまった、そんな感じだった。なんだろう、学校のプリントかな。おかげで重い体を起こすモチベーションが生まれた。

 屈んで机の下に潜りこむと、それは手紙だった。封はしてあったみたいだけど、既に開けられている。中には一枚の便箋が入っていた。どうしよう、他人の手紙を読むのはさすがに抵抗がある。だけど、手紙には宛名も何も無いし、中身を確認しないことには持ち主にも送り先にも届けられない、という建前で、私は好奇心に負けることにした。

 

 …………………。

 それは、兄への感謝と別れの言葉が綴られた、妹からの手紙だった。紛れもない、菫さんの遺書だった。と言うことは、やっぱり菫さんは自殺だった? でも、菫さんは薬物の注射で死亡している。

 遺書の文字を見ると、緋山さんの言う通り、注射での自殺は難しいと思い直した。動かなくなりつつある指で書いたらしきその字は、ひどく乱れていた。きっと、ペンを持って支えることにも、苦労したはず。そんな状態で、自分で正確に血管を捕え、薬物を押し込むのは、難しいに違いない。

 そもそも、どうやって薬物なんて隠し持っていたんだろう。寝たきりで、身の回りの世話をしてもらっていた菫さんが、緋山さんに見つからずに薬物と注射を手配し、隠し持てたとは思えない。奇病に伏せ、長く生きられないと知っていた菫さんは、文字が書けなくなる前に、生涯最後の手紙を、兄に向けて遺したかったんだ。それがまさか、他人に殺される最後になるなんて、この時は思っていなかったろうに。菫さんに会ったことはないけれど、せめてその最後は、安らかなものであった欲しかったと、思わずにはいられなかった。

 読んではいけないものを読んでしまった。これは兄へと向けた、菫さんの最後の言葉なんだから。ふと、紙面のザラついた感触に気付く。よく見ると、水滴が垂れたような跡がある。乱れた字に紛れていたけれど、字のインクも滲んでいた。

 これは、涙の跡だ。

 菫さんの?

 いや、涙を零してしまったなら、きっと書き直すはず。この手紙からは、遺される緋山さんの気持ちを少しでも和らげようとする愛情が感じられたからだ。それに、封も開けられている。きっと、この涙の跡は緋山さんのものだ。一人、この部屋で涙しながら遺書を読む緋山さんの姿が思い浮かんだ。菫さんの死を淡々と語る緋山さんからは、全く悲しんでないかのような印象を受けたけれど、そんなはずが無いんだ。誰が見ているわけでもないのに、流れそうになる涙をこらえて、私は手紙をしまった。

 必ず、菫さんを殺した犯人を捕まえよう。

 絶対に。

 眠気はすっかりとどこかに飛んでいた。

 とりあえず、顔を洗おう。リビングに出ると、緋山さんがイスに座ってうなだれていた。机の上にはノートPCが置いてある。パーカーを着ているなんて珍しい。いつもの黒セーター以外の服を着ているのを初めて見た。

 いや、違う。

 緋山さんじゃない。

 黒髪はボサついてて、背格好も似ているけれど、緋山さんじゃない。男は、ゆっくりと私の方に顔を向けた。緋山さんより、少し切れ長の目が私を捉える。男はのっそりと、気怠そうに立ち上がり、私の方に体を向けて、こう言った。

「はじめまして」

 一瞬で私の中に緊張が走る。全くの予想外の事態に、頭が追いついていない。この人が誰なのか、直感的にわかった。

「王生 紳です」

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