第40話

 燻木さんと別れて、駅へ向かう途中、ふと空を見上げると、どんよりとした曇り空だった。今にも雪が降ってきそうだ。なんとなく、空を一枚、携帯で撮ってみる。私は、よく空の写真を撮る。季節や天気によって毎日違う様相を見せる空が、私は好きだった。空の手前に電柱や電線が入ってるのも嫌いじゃない。だけど、撮っておいてなんだけど、今日の曇り空の写真は迷走する私の現状を絵にしたようで、見ていて白い溜息が漏れる。

 これからどうしようか。いつの間にか目の前に止まっていた電車に乗って、窓の外に流れる街並みを眺める。最後に食べたガトーショコラは、確かに絶品だった。今日、燻木さんに案内されたお店は素敵だった。滅多にTwitterに投稿しない読み専の私でも、つい写真に撮って公開したい衝動に駆られたけれど、あのお店の雰囲気と燻木さんの前では、流石に恥ずかしくなって自重した。

 窓の外には、クリスマスのイルミネーションを飾る家がいくつも通り過ぎる。そうだ、そろそろクリスマスなんだ。どうしよう、緋山さんにプレゼントを買うつもりだったけど、まだ決めてない。お金は、半ば強引に始めさせてもらった家のお手伝いで貯めた貯金がある。と言っても、緋山さんの家にお世話になってから、まだ3ヵ月ほどしか経ってないので、大して貯まってないけれども。

 なんとなく、義父からのお小遣いで貯めた貯金を使うのは嫌だった。緋山さんも、もしかしてクリスマスプレゼントとか用意してくれてるのかな。そういう社会のイベントって、全然興味無さそうに見える。きっと何も用意してないに違いない。だけど、それが緋山さんらしくていいと思う。

 緋山さんらしいって、なんだろう。私が一体、緋山さんの何を知っていると言うのだろう。向こうだって、私のことなんて何も知らない。教えてないんだから、当然だった。もっと知りたいし、知って欲しい、と思うのは独りよがりかな。

 そうだ、クリスマスプレゼントは、コーヒーカップにしよう。それなら、なけなしの貯金でもなんとかなる。今日はもう、買いに行くのは面倒だったから、また今度だ。緋山さん、喜んでくれるかな。

 鞄から小説を取り出そうとして、捨てたことを思い出した。手持無沙汰のまま、ぼーっと窓の外を眺め続けることにした。雪でも降りそうな、重い重い景色だった。電車を降りて、マンションに着いてロビーを抜けると、コンシェルジュの人達が会釈をしてくれる。

 そうだ、そう言えば、この人達は事件当時の犯人を見ているはずなんだ。このロビーを通らなければ、中には入れないんだから。だけど、そんなことは警察が真っ先に調べているはず。しかも、一年前の夜8時以降に、怪しい人は通りませんでしたかなんて今更聞いても、答えられるはずがない。当時のコンシェルジュはいないかもしれないし。

 いや、監視カメラがあるはず。エレベーターの手前にある自動ドア、その付近の天井を探すと、黒い半球が張り付いていた。確か、カメラの死角を探られないように、ああやってカバーを被せてるんだっけ。あれが監視カメラだ。と言う事は、犯人の入退室も映っているはず。それこそ警察が真っ先に調べてるだろうけど、いずれにせよ、私も押さえておきたい重要情報だった。さっそく、帰ったら緋山さんに聞いてみよう。

 エレベーターを昇り、指紋認証でロックを解除して、玄関にあがる。緋山さんの姿は見当たらない。靴はあったから、部屋にいるのかな。キッチンを覗くと、飲み終わったコーヒーカップが置かれていた。私はブラックを飲めないけれど、ブラックが入っていたカップの、乾いたコーヒーの匂いが好きだ。挽いた豆や、淹れ立てのコーヒーとはまた違った良い香りがする。ちょっとコップを手に取ってみたけど、人が飲んだ後のカップの匂いを嗅ぐなんて、変態っぽいのでやめておいた。

 

 *

 

「疲れたぁ~…」

 自室に戻り、鞄を床に置いて、ベッドに倒れ込む。ダッフルコートを床に脱ぎ捨ててしまったけれど、仕舞うのは後にしよう。今日の燻木さんとの会話は、話を聞いてばかりだったけど、それでもなんとか頭をフル回転させていたので随分と疲れた。緊張していたせいでもあると思う。もう何か月か経つので、最初に感じていた菫さんの匂いは、ベッドからはもうほとんど無くなっていた。

 あぁ、まずい、このまま寝ちゃいそうだ。また制服に皺をつくるわけにはいかないと思いつつも、なかなか体は言う事を聞いてくれなかった。せめて瞼だけは抗おうとするけれど、その重さにはなかなか打ち勝てない。意識も朦朧としてきた気がする。洗濯物溜めちゃってたっけ。あ、卵買い足さなきゃだった。そろそろ起きないと制服に皺が…。ダメだ、取り留めもないことを次々と連想してる。眠りに落ちようとしてるしょうこだ。あと5ふんだけ、目をつむったらすっきりする きっと…。

 タイマー かけなきゃ あ ケータイは かばん

 ………。

 ………………。

 ……………………………。

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