第39話

 あからさまに、ほっとする自分がいた。その根拠を促すと、燻木さんは流暢に続けてくれた。

「と言うのも、事件が起きた後の朝方、私がいつも通り出勤した時間のことです。水無瀬君曰く、共犯者を外に逃がした瞬間ですね。実はこの時、緋山に出迎えられているのです。本人はただトイレに立っただけのようでしたがね。この時、私は彼の目の前でドアを閉めました。これは、共犯者を手引きする場合、最も避けたかったアクシデントですね。当然、一度閉まったドアはオートロックのため、解錠の際には記録が残ります。しかし、その後にドアが解錠された記録は、警察が捜査に入るその時まで、残っていません。勿論、警察が踏み入ってから、共犯者が家の中で見つかってもいません。よって、中に共犯者はいなかったと言えます」

「ドアのオートロック機能を停止させてから、共犯者を逃がすことは可能ではありませんか?」

「それも不可能です。オートロック機能を停止したのは、警察が来てすぐですので。それまでは正常に入退室を監視しており、その間、出入りした人間はいません。大勢の警官が出入りするようになってからの脱出は、より一層不可能です」

 この話は、緋山さんからも裏が取れるだろうから、信じても良さそうだった。よかった。やっぱり、短い付き合いでも、私を救ってくれた恩人の一人が殺人犯と言うのは、どうしても考えたくなかった。

「ですが、だからと言って、私が犯人では無い証明にはなりませんがね」

 私の胸中を察したかのように、燻木さんは困ったような笑顔で、私に釘を刺す。確かにその通りだった。願望や感情を優先していては、きっと真実には辿り着けない。

「燻木さんは、何か仮説のようなものをお持ちですか?」

 そうですねぇと言って、再び腕を組んで顎の下に手を添える。どうやら、それが燻木さんの考える時の癖みたいだった。こうしてみると、各々に考える時の癖が観察出来て、少し面白い。

「仮説…とも言えない戯れ程度でよければ、いくつかのアイディアはあります」

 ぜひ聞かせて欲しい。その旨を伝えると、燻木さんは一つ、咳払いをして続けた。

「例えば、6月23日の王生の訪問。約1時間ほどで退出しているようですが、この時、彼は退出せず、ドアを開けただけであり、室内に残ったとしたらどうでしょう。そして、何日間にも渡って人知れず潜み続け、緋山が外に出た頃を見計らって、彼は実行に及んだ。王生だけは、私達と違ってメールベースのやり取りで仕事を進めていたので、ノートPCさえ持ち込めば可能です」

「え…でも、緋山さんが家を出たのは、6月27日の夜ですよね。5日間も、ずっとどこかに潜んでいるなんて出来るのでしょうか」

「不可能ではありませんね。人は水さえあれば、意外と長く生きていられるので、そのぐらいは携帯できたでしょう。私達が一度も出入りしていない空き部屋もいくつかある。とは言え、非常に運要素が高く、何より菫さんの死後、退出の痕跡が無い問題をクリアできないため、この説は成り立ちませんがね」

 あぁ、確かに燻木さんの言う通りだ。話を聞く側になると、やっぱり頭が後手にまわってしまう。

「あと考えられるのは、このような場所で淑女相手に申し訳ないですが、指紋認証で登録した指が、最初から他人の切断した指だった、というアイディアもあります」

 いきなり猟奇的な話が出てきて、体が強張る。私は自分で考えることを放棄して、なぜそれがアイディアになり得るのかを燻木さんに尋ねた。

「切断した指で指紋認証を突破できるなら、他人に譲渡が可能であり、自分の入室時間を偽装可能ということです。つまり、指紋認証の制約を受けず、普通の鍵のように扱えるということですね。しかし、今回の場合では、このトリックは役に立ちません。結局、緋山の退出記録以後、犯行が行われた6月27日の夜から6月28日の朝にかけて、誰の入退室記録も残っておらず、偽装の余地がありませんから」

 なるほど。ミステリ小説に出てきそうなアイディアだと思った。そもそも、他人の指なんてどこからどうやって調達するんだろう。それだけで足がついてしまいそうだ。

「続いては、適当な物を噛ませてドアを半開きにして、常に解錠状態にしておくパターンがあります。この状態である限り、入退室の記録は一切残りません」

 なるほど、その発想は無かった。でも、それなら事件を説明できる気がした。記録に残らない入退室自由の時間を作れるなら、誰も出入りしていない、という前提を崩せる。一気に、光明が差した気がした。

「期待させてしまったようで申し訳ありませんが、この説も不可なのです。と言うのも、あのオートロックシステムは、解錠時間が10分を超えるとアラームが鳴る仕様なのです。勿論、アラームの記録もシステムに残る。よって、今回それは行われていませんでした」

 がくりと、肩すかしを食らった気分だった。

「ちなみに、その仕様はどうやって知ったんですか?」

「過去に、私が試しました。管理や監視されるのがどうにも落ち着かないものでして。ドアを開けっ放しにさせてもらおうかと考えたのですが、ダメでした」

 水無瀬君と同じことを言ってる。やっぱり燻木さんも、こういった人種の一人なんだなと実感した。

「以上が、私の思いつくアイディアです。お役に立てず、申し訳ありません」

「いえいえ、とんでもないです。私が知らなかった情報まで聞けて、助かりました」

 実際に対面で話を聞いてみると、水無瀬君も燻木さんも、まったく犯人に見えない。当たり前かもしれないけれど、なんて言うか、雰囲気と言えばいいのかな、とても人を殺せる人とは思えない。となると、最後に残った王生さんに対して、最も警戒心が強まる。あぁ、ダメだ。やっぱり、論理よりも感情が先立ってるなと思う。

 謎は深まる一方だ。ギブアップして、解答を見せて欲しい気持ちで一杯だった。根を詰めている様子が表情にも出ていたのか、燻木さんは笑顔でこう言った。

「頭を働かせるには、糖分が必要です。ここのガトーショコラは絶品ですよ。いかがですか?」

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