第37話

 大通りをはずれ、小道を何度か曲がっていくと、西欧の建物を連想させる、可愛らしいレンガ造りのお店に辿り着いた。最近オープンしたばかりの、人気の喫茶店だった。入口には既に長蛇の列が出来ていたけれど、私と燻木さんはその横を通り、入店する。

「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」

 ロングエプロンにシックなフォーマル黒ベストを身に着けた店員が出迎えてくれる。

「はい、燻木と申します」

「燻木様ですね、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 店内には、花を連想させる意匠が凝らされた丸テーブルが並び、奥には薪暖炉があった。中には本物の火がおこされており、店内を自然の暖かさが包んでいる。私と燻木さんは暖炉近くの席に案内された。私は首に巻いていたマフラーを鞄にしまい、ダッフルコートを椅子にかけようとしたけれど、店員さんが颯爽と預かってくれた。明らかに、高校生の財布事情で来られる場所ではないと、その客層と雰囲気が物語っていた。学校帰りだったので、制服で来た自分が随分と浮いているように感じる。一度、着替えてから来ればよかったかもしれない。

「お飲み物は、何にしますか?」

 燻木さんがメニューを広げてくれる。どんな値段なのか、やや戦々恐々としていたけれど、思ったほどではなくて少しほっとした。一杯程度なら、なんとか払えなくもない。燻木さんは、十中八九、奢ってくれそうな気がするけれど、最低限、自分でなんとかできるだけの備えは持っておくのがマナーだと思う。

「私は、カフェオレで」

「では、私はブルーマウンテンで。砂糖とミルクは不要です」

 注文を受けた店員さんは、深々と一礼をして去っていった。その所作の一つ一つにも優雅さがあり、接客の教育が行き届いているのだろうと実感させてくれる。

「予約までして、気をつかっていただいたみたいで…すみません」

「いえいえ、お安い御用です。と言うのも、私はここの出資者の一人なので、多少の融通は利きます」

 相変わらず経歴が謎だった。会話の取っ掛かりも兼ねて聞いてみることにする。

「燻木さんって、普段はどんなことをされているんですか?」

「基本的に、趣味に没頭しています。私は、車には目が無くて、当てもなくドライブに出かけることもしょっちゅうですね。それでも、車の数が多くて、全部を頻繁に乗り回すのは難しいです。やはり、持っている以上は、たまには乗り回してあげないと可哀想だとは思うのですが」

 その口ぶりから車への愛情がうかがえる。いくつも車を持てるなんて、緋山さんといい、やっぱり燻木さんも、お金持ちみたいだ。

「コンピュータは、趣味ではないんですか?」

「ええ、あれは趣味ではありません。特段、好き嫌いの感情も持ち合わせていません」

 ちょっと意外だった。この手の人はみんな、コンピュータが大好きで、それが高じてハッカーと呼ばれるレベルにまで達しているものだとばかり思っていたから。

「と言うのも、私にとって、スキルは商売道具だからです。効率的に目的を達し、収入を確保するための手段です。ビジネスに私情は持ち込みません。手は抜き過ぎず、力も入れ過ぎず、過不足の無い結果を返すことがモットーです」

 こうして話していると、本当に、優秀なサラリーマンという感じだった。とても、無法者のハッカーと言う印象は湧いてこない。

「香月さんは、普段はどんなことをされているのですか?」

「私ですか?」

 私のことを聞かれるとは思ってなかったので、少し戸惑う。会話としては、非常にあり触れた内容なので、戸惑う方が変なわけだけど。

「そうですね…小説を読むことが多いですね。と言っても、全然、趣味と呼べるほどの数は読めてないんですけど」

 ここに来る前に、衝動的に捨ててしまった本のことを思い出して、胸が痛んだ。あんな酷いことをしてる時点で、本好きを自称する資格なんかない。

「あとは…最近では、お料理の勉強をしていますね。引っ越してから、作る機会が増えたので。これが結構、楽しいんです」

「それは偉いですね。その若さで、自炊をされているとは」

「自炊と言えばそうですが、緋山さんにお世話になっている手前、恩返しというか、せめてものお手伝いって感じです」

 すると燻木さんは、少し目を見開くと、両手を組んだ。

「おや……もしや、緋山と2人で暮らされているのですか?」

 あれ、もしかして、燻木さんは知らなかったのかな。てっきり、知っているものとばかり思ってしまった。でも確かに、私からは伝えてないし、緋山さんもわざわざ報告するようには思えないから、燻木さんが知るよしは無かったのかもしれない。

「えっと…そのぉ…これはですね」

 なんと説明したものかと逡巡していると、燻木さんは手を開いて制止してくれた。

「いえ、無理に説明してくださらなくても結構です。プライバシーですからね。それに私は、断片的な情報で安易に邪推をするほど、幼稚ではありません」

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