第34話

 水無瀬君の方に首を向ける。彼の険しい瞳と目があった。

「聞いても良い?」

 水無瀬君は頷くと、お水を一口飲んで喉を湿らせた。ブラックコーヒーを飲むのはもう諦めたみたいだ。

「まず、現時点で得ている情報は全て正しいとします。つまり、基本的に僕と燻木さんが訪れて、深夜に出ていく日々を繰り返します。6月27日のオフ日…菫さんが殺された日ですね。緋山さんは夜8時に外出し、翌朝に帰ってくる。この誰もいない時間を狙った犯行と読み取れます。しかし、その間、ドアのロックが開けられた形跡は無し。なのに、中で、菫さんは死んでいた…」

「やっぱり、一見して不可能だと思う。と言うことは、前提条件のどこかに間違いがあるのかな」

「いえ、この前提条件を満たしつつ、犯行は可能です。先に、犯人から言いましょう。それは、燻木さんです」

 ドキリとする。心臓が一瞬鼓動して、血が身体に巡るのがわかった。犯人は、当時あの部屋に入室可能だったメンバーの中にいる。その前提で考えて来たから、燻木さんも犯人の可能性も覚悟していたけれど、いざ口にされると、衝撃を隠せなかった。

「一体…どうやって?」

「ポイントは、共犯者の存在です。菫さんが殺害される前日、燻木さんの退出時に、実は、ドアの外に共犯者を呼んでいました。燻木さんは、自分が出ていくと同時に、彼…彼女かもしれませんが、を中に招き入れました」

「ちょっと待って。そんなの、緋山さんに見つからないの?」

「大丈夫です。僕らが帰る時、緋山さんが見送りをしたことは一度もありません」

 確かに、しなさそう。私もされたこと無いし。

「招き入れられた共犯者は、緋山さんが外泊する時間まで、玄関のクローゼットに身を隠します。あそこって、滅多に使われてませんよね?」

「その通りだけど、どうして知ってるの?」

「初めて緋山さんの家にお邪魔した時、探検させてもらったんですが、クローゼットには、靴の空き箱なんかが捨て置かれてるだけで、ほとんど何も入っていませんでした。普段から活用されてない証拠です」

 やっぱり、水無瀬君でもあのマンションには舞い上がってしまったらしい。探検だなんて、こんな時だけど、可愛いなと思ってしまった。

「そして、共犯者は緋山さんが外出したのを見計らい、クローゼットから出て、菫さんの部屋を訪れ、薬物を注射します。菫さんが素直に注射されたのは、やはり、緋山さんへ危害を加えられたくなければ、とでも脅されたのでしょう。注射の中身が安楽死用の薬剤だったのは、せめて苦しまないようにとの情けですかね。

 なぜ殺されなければならなかったのか、そんな動機は、周りの人間がいくら考えたところでわからないので割愛します。そして再びクローゼットに隠れ、緋山さんが帰宅し、燻木さんもいつも通りに出勤してきます。その際に、入ってきた時と同様、燻木さんと入れ違う形でドアを抜け、外に逃げます。これで、ドアの解錠記録にその存在を残すこと無く、菫さんの殺害が可能です」

 水無瀬君の、スラスラと台本を読み上げるように流暢に話されるセリフに関心してしまった。こういうのも、頭の回転の速さが成せる技なのだろうか。私は、後手に回るその頭で、水無瀬君の推理を必死に反芻する。確かに、共犯者が一人いるだけで、この事件の実現が可能になってしまった。

「でも、もしも運悪く、潜伏中に緋山さんがクローゼットをあけてしまったらどうするの?」

「その時は、単なるコソ泥として捕まるか、最悪の場合、緋山さんをも殺害する予定だったのかもしれませんね。そういう前約束が、共犯者と燻木さんの間で交わされていたかどうかは、定かではありませんが」

 水無瀬君の話を聞いて冷えた体温を、ホットミルクティーに口をつけて暖める。日常の中に潜む殺人犯。ぞっとした。でも、考えてみれば、これだけの人口密度の中で暮らしているのだから、そもそも今までに殺人犯の1人や2人とすれ違っていても、全くおかしくないんだ。

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