第29話
「本当に、この家への出入り口は玄関だけだったのでしょうか? 窓とか、どこか出入り出来る場所が、実はあったりしたんじゃ…」
「知っての通り、ここは22Fのマンションの一室だ。ベランダがあれば、上下の階のベランダから飛び移れたかもしれないけど、こういったマンションにはご存知の通りベランダが無い。理由は言ったっけ?」
「マンションの景観のためと、高層階から物を落としたら大変なことになるから……でしたっけ?」
緋山さんは頷いた。「概ね、そんなところ。窓からの侵入はトカゲでも無い限り難しいし、秘密の出入り口も無い。なんなら好きなだけ調べていいし、マンションの管理会社に問い合わせて、間取り図も貰えるよ」
案の定、その線は既に考慮済みだったらしい。この家にはまだ私が入ったことのない部屋が1部屋だけあったけど、緋山さん曰く、サーバルームだ。仮にそんな部屋に秘密の出入り口があるなら、警察も緋山さんもとっくに調べてるはずなので、わざわざ検証する価値は薄そうだった。ちなみに、と緋山さんが口を開く。
「指紋パターンを登録したと言うことは、誰がどのタイミングで入室したのか、履歴から判別できるということだ。指紋は、個人を識別するIDとも言えるからね。その情報があるから渡すよ。ちょっと待ってて」
そう言って、緋山さんは席を立ち、自室に入っていった。数分の後、戻ってきたその手には、数枚の紙が握られていた。
「これが、当時の解錠記録だよ。警察から渡されたやつは、文字ばかりでわかり辛かったから、表にしてみた。外から入る時は指紋認証だから、誰が解錠したのかわかる。中から出る時は、誰が出たのか、システムには残らない。指紋認証がいらないからね。だから、退出者の情報は、僕や当人たちの証言を基に記載されてる」
手渡された表に目をやると、それは、表計算ソフトで作成された簡易なものだった。事件発生の6月27日を含む、直近一週間分の入退室の記録だ。でも、そこに記された情報は、わざわざ表にすることもないくらいシンプルなものだった。
まず、緋山さんは24時間、家の中にいる。玄関から全く出入りしていない。
午前10時や11時ごろになると、燻木さんが入室。
17時ごろになると、水無瀬君が入室。多分、学校帰りなんだろう。
夜、23時にさしかかるころ、燻木さんと水無瀬君は退室。
つまり、昼前に燻木さんが来て、夕方に水無瀬君が来て、深夜に二人とも帰宅する。緋山さんは常に家の中にいる。コンビニにすら行ってないみたいだ。それ以外、この家への出入りは一切ない。そんな規則的な入退室の日々が毎日、事件発生の一週間前から続いていた。
「緋山さん、家を出た形跡が全くありませんけど、ずっと引きこもってたんですか?」
食事とかはどうしてたんだろう。あぁ、燻木さんや水無瀬君に買ってきてもらってたのかな。
「仕事に熱中する時期は、そうなることが珍しくない。ちなみに、当時の仕事は、ウイルスや外部からの攻撃を避けるためにオフラインに徹してたから、水無瀬と燻木にはウチまで通ってもらっていたんだ。ほら、あのサーバルームがその完成品だよ」
そう言って緋山さんは、私の背の向こうにあるドアを指さす。それは何をするためのものなのか、聞いてみたい気持ちも少しあったけど、話が逸れるので、頭の隅に追いやることにした。
事件当日である、6月27日の入退室記録に目を向ける。その日は例外で、燻木さんと水無瀬君は来ておらず、家の中にいるのは朝からずっと緋山さんだけだった。あと、菫さんもか。
「どうして、6月27日は水無瀬君と燻木さんが来てないんですか?」
「オフ日だったから」
「なるほど……」
6月27日の20時11分、緋山さんが家を出たと記録表にある。今わかっている記録上では、緋山さんの初めての外出だった。
「事件当日の夜は、どこに外出したんですか?」
「友人の家を訪ねたんだ。泊まりでね」
友人……。そりゃ、緋山さんにだって泊まりに行くくらい仲の良い友人がいても、何もおかしくないか。
6月27日は、燻木さんと水無瀬君も来てなくて、夜に緋山さんは外出。つまり家の中は、菫さん一人だったことになる。まさに、そこを狙われた犯行だったんだろう。記録表には、6月27日の深夜2時の時間帯に、赤い文字で『菫 死亡推定時刻』と印字されている。そして、翌朝6月28日の9時、緋山さんが帰宅。泊まりから帰ったら妹が死んでいるなんて、緋山さんは夢にも思わなかったはず。その胸中は、とても想像できるものじゃない。
「6月28日は、いつも通り燻木さんが午前11に来て、そこで入退室の記録が終わってますけど、どうしてですか?」
「その日のうちに、警察が沢山調査に来たからね。オートロックを解除したから、記録も残らなくなったんだ」
なるほど、と記録表に目を戻す。
「水無瀬君はいつも、夕方5時か6時代に来てるんですね」
「彼は、学校が終わってからそのまま来ていた」
「水無瀬君の退出の時間がどれも夜遅いですけど、中学生なのにこんな時間まで残ってちゃダメじゃないですか」
「大丈夫。帰りはタクシーをいつも呼んでたから。ちなみに、彼の自腹だ」
「そんな遅くまで残した挙句、中学生にお金まで払わせたんですか?」
「当時の仕事に参加したのも、遅くまで残ったのも、全て彼の強い希望だ。僕らが援助する筋合いは無い。燻木は、早めに帰った方がいいとは言ってたけどね。水無瀬は聞く耳持たずで、燻木が根負けしたよ」
燻木さんはやっぱり、見た目通り紳士的と言うか、常識人であるようだった。
「もしかして、水無瀬君も中学生にしてお金持ちだったりするんですか?」
「いや、彼の技術は一流だけど、それを金銭に繋げることには全くの無頓着でね。財布事情は、一般的な学生と変わらなかったんじゃないかな」
じゃあ、尚更タクシー代くらい出してあげるべきだったんじゃ…と改めて思いつつも、今は飲み込んだ。
素直に見れば、午前中に燻木さんが来て、夕方に水無瀬君が来る。夜遅くに2人は帰っていく。それを規則正しく繰り返してるようにしか見えない。事件発生の6月27日以前の一週間は、基本的にはその繰り返しだった。でも、一つだけ例外の日があった。
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