Ghost Account

第28話

 図書室のこのカビ臭さが、私は好きだ。年季の入った紙やインクの香りと言えばいいのかな。理由はよくわからないけれど、多分、歴代の知に溢れた空間に包まれることで、自分も少しは賢くなったと錯覚できるからかもしれない。

 そんな思い込みの力も借りたいほどに、私は困っていた。普段は極一部の読書好きの生徒しかいない図書室だけど、今日はそこそこの人が在室して勉強している。多分、受験を控えた三年生かな。きっと、みんな私と同じような思惑があるのかもしれない。だけど、私が直面している問題は、教科書に載っているようなものではなかった。

 

 *

 

「え……そんな、待ってください。妹さんが殺されたって……病気で亡くなったんじゃないんですか?」

 緋山さんが首を振る。

「いや、病死と言った覚えはないよ。僕の妹、緋山 菫(すみれ)は、殺されたんだ。そして、犯人はまだ捕まっていない」

 他殺だったことも、未だに犯人が捕まってないことも、そんな事件の解決を私なんかに頼むことも、全てが唐突で頭が追い付いていなかった。

「えっと……なんで、私にそんなことを頼むんですか?」

「ん? そうだな……まぁ、居候の身ってことで、一つ協力してよ」

 それを言われてしまうと、私は何も言い返せなかった。だけど、そんな、雑用を頼む感じで依頼されても困る。それに、勘だけど、緋山さんの中には何か真意のようなものが秘められている気がしてならなかった。そんな風に混乱している私にお構いなく、緋山さんは淡々と情報提供を続ける。

「1年前の6月27日の夜20時ごろ、僕は家を出た。泊まりがけの用事があってね。翌朝、9時ごろに家に帰ると、菫は既に亡くなっていた。死因は、チオペンタールと塩化カリウムの混合液を静脈注射されたことによる心停止。海外では安楽死に用いられる手法だ。死亡推定時刻は深夜2時前後。そして、僕が家を出てから戻るまでの間、家に出入りした人間は誰もいない」

「ちょっと待ってください!」

 思わず、掌を広げて緋山さんを制止してしまった。頭もそうだけど、それ以上に、心が追いついていない。一旦、落ち着く必要があった。

「ちょっと、心の準備をさせてください。えと……そう、一先ず、お茶を入れていいですか?」

 これから人が亡くなった話をすると言うのに、お茶をしながらというのも、なんだか不謹慎に思えたけど、緋山さんは一切気にする風でもなく「僕のお代わりもよろしく」と言った。

 台所に向かい、電気ケトルのスイッチを入れてお湯を沸かす。その間に、ミルクをマグカップに注いで、電子レンジで温める。コーヒーポッドにドリッパーをのせ、ペーパーフィルターをかける。コーヒー粉を入れる頃に丁度お湯が沸いた。のの字を描くようにゆっくりと、コーヒー粉にお湯を染み込ませていく。豆の香りが立ち込めて、私の心を落ち着かせてくれた。電子レンジからミルクを取り出して、淹れたコーヒーを注ぐ。更に、ハチミツを少し混ぜる。緋山さんの分はブラックだから、手間が少なくていい。マグカップを二つ持って、席に戻る。2人一緒にマグカップを傾けると、冬の寒さを溶かすように、暖かさが体を包み込んだ。

「………緋山さんが家を出てから帰るまでの間に、誰も出入りしてないって、どうしてわかったんですか?」

 カフェオレが私のガソリンになってくれたみたいだ。考えるべきことが次々と湧いてくる。

「君も知っての通り、このマンションはオートロックで、解錠は指紋認証式だ。実は、出入りの記録は、このマンションのシステムに記録されている。防犯のためにね。それによると、僕が不在の間にドアが解錠された記録は、一つも無かったんだ」

「その記録はどうやって確認したんですか?」

「当然だけど、警察沙汰になったからね。警察が記録の開示をマンションの管理会社に要求して、その結果を僕も教えてもらった」

 警察まで出てきたのに、未だに解決していない? そんな事件を私が解決できるとは思えない。緋山さんでもわからない犯人となると、尚更だ。だけど、そんな考えは一旦置いておいた。

「玄関はオートロックで鍵が閉まっている。緋山さんが不在の間は、誰も出入りしていない。つまり、密室だったということですね」

「まぁ、そう思ってもらって差し支えない。当時、指紋認証に登録していたのは、僕と菫以外に3人いた。この部屋に出入り可能だったのは、この面子だけ。必然的に、犯人はこの中に絞られる。繰り返しになるけど、僕の外出中、つまり菫が死んだ時間帯には、誰も出入りした記録が無い。あくまで〝入ることは可能だったメンバー〟と言うだけだ」

「え、菫さんと緋山さんと、その3人の5人暮らしだったんですか?」

「暮らしてた…とは言えないな。当時の仕事の関係で、ウチに出入り出来るようにしただけだよ。3人のうち2人は、君も知っている、燻木と水無瀬だ」

 菫さんが亡くなったのが1年前って言ってたから、その頃から一緒に仕事してたんだ。なんていう感慨は、すぐに吹き飛んだ。さっき緋山さんは、犯人は家に出入り可能だったメンバーの中にいると言った。と言うことは、燻木さんも水無瀬君も容疑者ということになる。私を助けるのに協力してくれたあの2人が殺人犯かもしれないなんて、私は信じたくなかった。

「菫さんが他殺だというのは、どうしてわかったんですか?」

 遠回しに、自殺だったのではと言及している。誰も出入りしていない家の中で、一人で亡くなっていたのなら、必然的にその可能性が浮かび上がる。

「前にも言ったと思うけど、菫は筋萎縮性側索硬化症という珍しい病気でね。徐々に体の自由がきかなくなるんだ。普通は、老人や年配の方がかかる。治療法はなく、これが一度発症すると、最後は心臓の筋肉まで動かなくなるから、もう長くはもたない。

 菫の場合はレアケースでね。17歳にして、既に菫は、一人で立ち上がるのは勿論、箸を持つことすら困難だった。注射を自分で押し込むなんて、更に無理だ。だから、犯人の手で注射されたと考えるのが妥当だ」 

 なるほど。それなら確かに、菫さんの自殺とは考えられない。

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