第23話

「うわぁ……おっきい……」

 水無瀬君が感嘆の声を上げる。そう言えば、誰かを自宅に招待したのは初めてだった。すっかりと自分の住宅に麻痺していたけれど、これが普通の反応かもしれない。

「こちらが香月さんのご自宅で、相違ありませんか?」

 門の前で車を停めて、燻木さんが確認する。

「はい、間違いないです」

「香月の姓に、この豪邸となると、もしやお父様は、政治家の香月 修ですか?」

 と、燻木さん。

「はい、そうです。えっと…黙ってて、すみません」

 わざと黙ってたわけじゃないけれど、言ってなかったのはまずかったかもしれないと、今更思った。一般人ならともかく、政治家を相手にするとなると、話は変わってくるかもしれない。

「いや、関係ないよ」

 緋山さんの頼もしい返答だった。

「水無瀬、準備は出来た?」

「ちょっと待ってくださいね……遅い、遅過ぎます。香月さんのおウチが大きすぎて、ここまでターゲットルータの電波がほとんど届いてないんです。そのせいで、レスポンスが遅すぎます」

 水無瀬君は、明らかにイライラする様相で、親指の爪を噛んでいる。

「水無瀬君、コレを」

 そう言って、燻木さんは鞄から黒い立方体のような機材を取り出す。その両端には2本のアンテナのようなものが、バンザイする形で伸びていた。

「電波中継器です。このあたりを飛び交う電波なら、これで補強されるはずです。大抵の電波帯域には対応させているので」

「わぁ、燻木さん流石ですね。最高です!」

 燻木さんが、水無瀬君に笑顔を返す。水無瀬君は再び、すごい速さでキーボードを叩いたり、止めたりしながら、作業を再開した。

「案の定、ルータの管理者パスワードは初期設定のままでしたね。瞬殺でした。こんなの、僕じゃなくても入りたい放題ですよ。LAN内からアップロードのリクエストを受信したら自動的にポートを閉じるよう、ルータのファームウェアをアップデートしておきました」

 水無瀬君はつまらなそうに顔をしかめて、ノートPCを閉じた。よしと言って、緋山さんは車から降りると、私を手招きした。

「じゃあ、僕は今から、藍と家に乗り込むから、2人は解散していいよ。水無瀬は、自分の仕事結果が気になるなら、残ってもいいけど」

 さっきから、緋山さんが私のことを名前で呼ぶのが気になっていた。水無瀬君とかは苗字呼びなのに。クラスの男子からは苗字でしか呼ばれたことがないから、異性に名前で呼ばれるのに慣れていない。なんだか気恥ずかしい気分だ。緋山さんの挑発的なセリフに、ムッとした顔で水無瀬君は答える。

「気になんかなりませんよ、動くに決まってるので。もう十分に網は仕込みましたし、帰ります。見たいアニメも溜まってますし」

「私も、今日は撤収させていただきます。この後、食事の約束があるもので」

 ご武運を。そう言い残して、燻木さんと水無瀬君は去っていった。

「さて、行こうか」

 もう、ここまで来たらどうにでもなれ、という一種の諦観が私を支配していた。たったの2日ぶりに帰る我が家は、全くの別物のように見えた。門をくぐると出迎えてくれる、左右に並ぶ庭園植物も、今の私には毒々しく見える。玄関の鍵を開けると、見慣れた光景が広がる。まず目につくのは、吹き抜けの天井からぶら下がるシャンデリア。正面には2階に続く階段。左右にはそれぞれ、応接間と和室に繋がっていた。

「お父さんの書斎はどこ?」

「2階です。案内します」

 広さを持て余した玄関で靴を脱ぎ、階段を上り、シャンデリアを正面に見据えて左手が、父の書斎だった。父は書斎に鍵をかけない。扉を開くと、左右には本棚が並んでいる。政治経済の本が主で、次いで父の趣味である、模型や航空関係の本も目立つ。部屋の左奥に父の机があり、その上にはディスプレイとキーボードとマウス、脇にはPCの本体が置いてあった。

 緋山さんは一直線に机に向かい、躊躇なくPCの電源を入れる。パスワードを求める入力画面がディスプレイに映し出された。緋山さんはそれを無視して、ミリタリーコートのポケットからUSBを取り出すと、PC本体の裏側に刺した。次いで、マウスも使わずに、キーボード操作のみでPCを暫く弄った後、シャットダウンする。終わると、緋山さんはまたもやミリタリーコートのポケットから、今度は1通の手紙を取り出し、机の上に置いた。ご丁寧に、赤い蝋で封をしてある。

「その手紙はなんなんですか?」

「あぁ、これ? ラヴレターだよ。これを読んだ時、お父さんは間違いなく、今までで一番ドキドキするだろうね」

 緋山さんがにやりと笑う。この人の笑顔を初めて見た。なんだか、子供が悪戯を仕掛けているような、そんな笑顔だった。

「よし、これでやれる事はやった。後はお父さんが帰ってくるのを待つだけだ。そうだな…藍の部屋で時間をつぶそうか。あぁ、玄関の靴は隠しておかないとね」

「え、もう終わりですか? いや、それより、なんで私の部屋なんですか」

「そこなら、帰ってきたお父さんと鉢合わせることは無いだろう?」

「それはそうですけど…嫌ですよ。盗撮カメラが仕掛けられているのに」

「それは大丈夫だよ。多分、もう撤去されているから」

「どうしてそんなことがわかるんですか?」

「藍に、盗撮をバラしたんだろう? なら、もう、設置したままにするメリットが無い。証拠として押収される前に、撤去するさ」

「それは…そうかもしれませんけど、嫌ですよ。もしかしたらがあるじゃないですか」

「それは大丈夫。念のために、燻木から検知器を借りてきたから」

 緋山さんは、ミリタリーのポケットから、スマートフォンサイズの端末を取り出す。ただし、大きいダイヤルと、一本のアンテナがついていた。どうでもいいけど、なんでもポケットにしまうんだな、この人は。この機械をどう使うかの好奇心と相まって、私は緋山さんを部屋に招待した。入るなり、緋山さんは端末を片手に、部屋をゆっくりと一周する。小説ばかりが並ぶ本棚や、学習机の下、ベッドの付近なんかにも端末をかざす。今更だけど、男の人を部屋にあげたのは初めてなので、なんだか気恥ずかしい。特に、ベッドの上に並べたヌイグルミが恥ずかしかった。こんな時に呑気かもしれないけれど、日頃から整理整頓してて良かったと思った。

「うん、やっぱり撤去されてるみたいだね。盗撮カメラが使用する無線規格は独特なんだ。仕込むために、サイズが非常に限られるから。この端末は、それを検知して音を発するんだけど、今回、それが無かった」

 それからの時間は、正直、暇だった。緋山さんは部屋の真ん中に胡坐をかいて、ひたすら携帯端末を眺めている。後ろから覗き見ると、英字がびっしりと並んでいた。英語はどちらかと言えば得意だけど、解読する気にはなれない。父が戻るまでの数時間を、私は既に読み終えた小説を眺めることで消化する。いつもみたいにベッドに寝転びたかったけど、スカートなので、腰かけるだけにしておいた。だけど、一度読んだ内容はやっぱり刺激が少なくて、ウトウトしかけた、その時だった。

「なんだこれはぁあ!?!?」

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